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井筒 和幸
井筒 和幸の記事一覧
2023.04.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.60
映画監督 井筒 和幸
半年間で、劇場用映画とは何かを学んだことだけは確かだった。でも、 もう二度と映画は作れないなと、自分の無能を改めて思った。
仲間たちとピンク映画もどきの制作に命懸けで挑んだものの、既成の日本映画なんて壊してやる!映画界に殴り込んだる!と気合いを入れたものの、ボクらが作った『性春の悶々
2023.01.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.57
映画監督 井筒 和幸
太陽光かタングステンライトが当たり、フィルムに人間と風景が感光したら、もう映画だ。撮ろう。そんな思いが募るばかりだった。
ボクのような、今までにない新しいテーマで新しいタッチの邦画を探していた映画ファンには、(前回も触れたが )“実録”と銘打って現れた1973年の『仁義なき戦い』シ
2022.12.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.56
映画監督 井筒 和幸
勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるか
2022.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.55
映画監督 井筒 和幸
勉強にならなかったものは忘れている。その30本を、もう一度観てみたい。
1972年、この年は見たくてうずうずする映画が、次から次に封切られて、ほんとに映画の勉強になって良かった。でも、もう親から小遣いはもらえないし、仕方ないからバイ
2022.10.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.54
映画監督 井筒 和幸
正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚
2022.08.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.52
映画監督 井筒 和幸
「映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら・・・・」
洋画や邦画を片っ端から見ることに明け暮れた1970年代を、再び、追想したい。ボクが17歳から10年間に見た映画は数え切れない。恐らく、その10年間は後の80年代
2022.07.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.51
映画監督 井筒 和幸
「大学を卒業してからじゃ、そんな感性は失くなってしまうし、どこかの会社に勤めて、そこの歯車になっては、なおさらだろう。」
人生は一度だ、この世以外に何がある、人は一人で耐え、一人で笑い、生きるのだ、と思わせる映画は、確かに気が安らぐのだった。主人公も孤独だし、誰もがそうなんだと気づ
2021.06.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.38
映画監督 井筒 和幸
「なぜ、京都の撮影所に行ったか?それは旋風を起こし、映画のスタイルを変えたかったからだ。そして、大部屋俳優たちがボクの仕事を助けてくれた。」
京都はテレビ時代劇の撮影が多いので、有名俳優たちも撮影所内の大食堂で今日のランチを食べて歓談していた。こっちはまだ32歳の新米。京都東映に外部からそんな若いカン
2021.05.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.37
映画監督 井筒 和幸
「お伽話に近い『二代目はクリスチャン』も、やっぱり、周りの人物たちの悲喜こもごもを気を抜かずに描いてこそ映画だ、と思い直した。」
東映京都撮影所の門から入ってすぐ脇にある制作本部の廊下の一番奥に、我が「井筒組」スタッフルームはあった。その10畳足らずの部屋で、ボクは8月のお盆明けまで三か月
2021.04.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.36
映画監督 井筒 和幸
「ボクはそんな生ぬるいことを許すわけにはいかなかった。やっぱり、映画は監督が作るのだと、役者たちに思い知らせたかった。」
京都太秦へ単身赴任だ。 「どんな問題が起きようと、好きに暴れて、思いつくまま撮ってやれ。笑わせて泣ける話にしてやろうじゃないか。お宿(旅館)は撮影所の正門から3
2021.03.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.035
映画監督 井筒 和幸
「ボクにとっては、因縁の東映京都撮影所での初仕事だった。」
‘85年の初夏、京都の東映撮影所に乗り込んで、ボクの寝泊りに用意されたのは撮影所の正門から目の前の和風旅館だった。ここなら毎日、撮影開始時間のぎりぎりまで寝てら
2021.02.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.034
映画監督 井筒 和幸
「新しい角川の記念作品に挑む時がきた。思わず、武者震いがした」
振り返れば、‘85年は映画作りに没頭しまくった年だった。 私生活は単調で自宅に戻ったら寝るだけの日々だった。 春に日活のゲテモノ『金魂巻』が封切られて、6月から
2020.09.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.029
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
“活動屋”とは何だ。寝ても覚めても映画のことばかり考えて生きていた
1984年は、アイドル映画からCM演出にビデオワークまで、映像の仕事なら何でもし始めた“活動屋”としては、次から次と忙しかった。しかし、オレはいったい何屋なんだ
2020.07.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.027
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
「映画で見て憧れたニューヨークに渡って、色々と思った。映画のアイデアなど何も湧いてはこなかったが、とてもいい息抜きだった。」
知人の小さな制作会社のにわかな発案で、吉本所属の怪しい漫才師、西川のりお、上方よしおコンビと怪しい俳優の伊武雅刀のビデオ用コラボコント企画が急に進み出したので、
2020.03.11
井筒和幸の Get It Up !
Vol.023
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
よっし、肚は決まったぞ。映像とは、観客に投げつける不安、緊張感、つまり、サスペンスなんだ
『晴れ、ときどき殺人』は不良性感度を追うシャシン(映画)じゃないんだぞ、今度は大丈夫なのか?」とボクにもう一人の自分が話しかけてきたので、「何とでもなるわ。ピン
2020.02.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.022
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
たかがミステリー、されど映像芸術。それじゃ、ヒッチコックかよ
「晴れ、ときどき殺人」という赤川次郎のポケット版の原作は、角川からオファーを受けた一週間後に、やっと読んでみた。この小説家の本は他にはほとんど読んでいなかった。
2019.07.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.015
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
“創造”と“混迷”の連続、怒涛の1981年を振り返る
1981年は、『ガキ帝国』の関西先行封切りと、二作目の東映版『ガキ帝国・悪たれ戦争』の封切りと、そして、打ち上げ大暴れ逮捕事件まで立て続けにあって、まさしく怒涛
2018.07.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.3
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸 氏
映画哲学がオモシロかった日々
日本の映画倫理委員会が「18歳未満お断り」と入場制限した成人映画、つまりピンク映画を何本か撮り、その間に16ミリで児童教育映画も撮ったりして、これ以上どんな努力
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