ハリウッドに、それまでのベトナム戦争に疲弊した社会を写すニューシネマに代わり、全世代型のファミリー映画が現れたのは確かだった。

Vol.62
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

誰からも頼まれもしないのに撮ったボクのピンク映画もどきは、新宿のピンク専門の配給会社によって公開されたはずだが、さて、東京のどこの、関東の、東北の、北海道の、はてさてどこの映画館で順次上映されていったのか、それは何も分からずじまいだった。広島の知り合いから、「この前、駅裏の映画館でかかってたけど、1週間で番組が入れ替わって見逃した」と教えてくれたりしたが、それっきりだった。仲間たちであれほど必死になって作ったのに、業者に渡してしまえば、もうそんなに自作に未練がなくなっていたのも不思議なものだった。でも、時折り、どこの小屋(映画館)でかかってるんだろうと思い返すと、空しくてやりきれなかった。

そして、またボクは元の無職者に戻っていた。次回作を作りたくなる時まで、映画の作り方を根本から勉強だ、勉強しないとまた失敗して落ち込んでしまうだけだと思った。映画は感性で作るんだ、客の感性がどうあろうとお前の感性が先だ。お前は感性がいい。何がオモシロく、どこがつまらないのか判っているはずだ。もっと感覚を磨くんだ。他人の映画もたくさん見て、自分の感性とどう違うのか、自分が信じる感覚を探すんだと、もう一人のボクがそう言っていた。

1975年の後半は、心に穴が空いたような気分のまま、アルバイトに明け暮れる日々だった。大阪の田舎で遺跡の発掘現場で鍬で地面を削り、土を一輪車で運んだ。毎日、寒かったが、これも映画作りの役に立てばと耐えて働いた。12月に入ると、アメリカで夏に大ヒットした『ジョーズ』(75年)が封切られた。アメリカのどこだか知らない田舎町の海に現れたデカいサメと人間が死闘する、いわゆる海洋パニックもので、『激突!』(73年 劇場公開)という※テレフィーチャー(これも、怪しい大型トラックに追いかけられるパニックもの)で名を売り出したスティーブン・スピルバーグという新人監督の、鳴り物入りの映画だった。まあ、世界中の誰が見てもわかる脅かし物だが、ボクは奇を衒っただけの、然したる人間ドラマもない、いわゆる子供向けの娯楽はどうでもよくて、途中で厭いて、どうせ人間がサメを仕留めて終わるんだろと思うと退屈だった。そして、ついでに、『白鯨』(56年)という、巨鯨と死闘する(昔、テレビで観た)怪作を思い出して比べた。主演はグレゴリー・ペックで、過去に鯨に片足を食いちぎられて義足をつけている頑迷な船長役に扮し、その鯨に復讐を誓い大海に乗り出す勇壮な話だった。宿敵との死闘の末、船長は鯨になぶり殺される。サメ映画はあまりに即物的で、哲学的ではなかったが、ハリウッドにはそれまでのベトナム戦争に疲弊した社会を写すニューシネマに代わり、全世代型のファミリー映画が現れたのは確かだった。

ボクは、そんな全世代に分かる大味なものは元から嫌いだし、幸福な結末など要らない特異なニューシネマにもっと出会いたかった。そう思っていた矢先、大阪の新世界の洋画館に『悪魔の追跡』(75年)という、いかにも安っぽいゲテモノがかかった。『ゴッドファーザー』は何十年先でもボクには作れないが、この手のB級は自分でも作れそうだし、物語が盛り上がろうが破綻してしまおうが、そんなことはどうでも良く、映画しか知らない者は必ず見たくなる類いだった。
主演は、ひたすらカーチェイス場面が続く『ダーティ・メリー クレイジー・ラリー』(74年)のピーター・フォンダ兄さんと、ギャングスター映画の傑作『デリンジャー』(74年)のウォーレン・オーツ小父さん。彼ら二組の夫婦が車旅行に出て、テキサスの田舎で悪魔崇拝者らのおぞましい儀式を見た為に最後まで追われ続ける、単純な話だが、呪われたアメリカをそのまま炙り出していた。

年末は遺跡掘りの退屈なアルバイトに耐えながら、その分、映画を片っ端から観た。ニューヨークのアパートで猫のトントと暮らす一人身の老人がビル解体で立ち退きを迫られて、シカゴに住む娘を訪ねようと車で猫と一緒に向かうロードムービー、『ハリーとトント』(75年)も愉しかった。キャメラがそこにあることを感じない実に自然なアングルで、日本のカメラマンだとこんな風には写せないなと感心した。

現実から逃げようとあがく者、現実に抗ってもがく者、それらは現実に馴染めないでいるボクの気分そのものだ。あがき、もがく者を描こうと決めたのはこの頃からだ。

(続く)

 ※テレフィーチャー…単発物のテレビ用長編(特作)ドラマ番組。 (デジタル大辞泉より引用)

≪登場した作品詳細≫

『ジョーズ』(75年)
監督:スティーブン・スピルバーグ
製作:リチャード・D・ザナック、デビッド・ブラウン
原作:ピーター・ベンチリー
出演:ロバート・ショウ、ロイ・シャイダー、リチャード・ドレイファス、ロレイン・ゲイリー 他

『激突!』(73年)
監督:スティーブン・スピルバーグ
製作:ジョージ・エクスタイン
原作:リチャード・マシスン
出演:デニス・ウィーバー、ティム・ハーバート、チャールズ・シール 他

『白鯨』(56年)
監督:ジョン・ヒューストン
製作:ボーハン・N・ディーン、ジョン・ヒューストン
原作:ハーマン・メルビル
出演:グレゴリー・ペック、リチャード・ベースハート、レオ・ゲン、オーソン・ウェルズ 他

『悪魔の追跡』(75年)
監督:ジャック・スターレット
脚本:リー・フロスト、ウェス・ビショップ
製作総指揮:ポール・マスランスキー
出演:ピーター・フォンダ、ウォーレン・オーツ、ロレッタ・スウィット、ララ・パーカー 他

『ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー』(74年)
監督:ジョン・ハウ
脚本:リー・チャップマン
原作:リチャード・アネーキス
出演:ピーター・フォンダ、スーザン・ジョージ、アダム・ロアーク、ビック・モロー 他

『デリンジャー』(74年)
監督:ジョン・ミリアス
製作:バズ・フェイトシャンズ
出演:ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、ミシェル・フィリップス、ハリー・ディーン・スタントン 他

『ハリーとトント』(75年)
監督:ポール・マザースキー
製作:ポール・マザースキー
脚本:ポール・マザースキー、ジョシュ・グリーンフェルド
出演:アート・カーニー、エレン・バースティン、ジェラルディン・フィッツジェラルド、ラリー・ハグマン 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。
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●鳥越アズーリFM「井筒和幸の無頼日記」(毎週日曜13:00〜13:50 生放送中)

https://azzurri-fm.com/program/index.php?program_id=302


●映画『無頼』

※欲望の昭和時代を生きたヤクザたちを描いた『無頼』はNetflixでも配信中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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