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コラム
井筒和幸の Get It Up !
映画の夢を追った70年代、天下御免の80年代、苦闘の90年代、そして新世紀へ、”わが映画渡世”を語ります。乞うご期待!(井筒和幸監督・映画監督)
2023.09.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.65
映画監督 井筒 和幸
客たちは大笑いした。ボクも拍手していた。野川由美子も小林稔侍もなりふり構わず雪まみれで叫んでいた。邦画らしい大衆芸能がそこにあった。
昔のピンク映画界で一番忙しかった山本晋也先輩が、映画は「芸術」でも「娯楽」でもなく、その間にある「芸能」なんだ、と言ったのを今も覚えている。アメリカの映画アカデ
2023.08.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.64
映画監督 井筒 和幸
ベテラン監督が言った。映画って「芸術」でも「娯楽」でもなく、その間に ある「芸能」なんだよ。芸能って解るか。大衆のための芸能だ。
ある日、ピンクコメディー映画『未亡人下宿』シリーズで名を売る山本晋也監督は、新宿東口にある「ウェルテル」という静かな喫茶店で待っていた。ボクから見つけて手を上げ
2023.07.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.63
映画監督 井筒 和幸
ある日、『未亡人下宿』で名が通っている山本晋也監督から電話があった。 「すぐに一本クランクインするんだけど、助監督が…、ふけちゃってさ。」
76年になると、ボクは、自作の売り渡しで世話になったピンク界の先輩の現場の手伝い、つまり、助監督として何度か、東京と奈良を行ったり戻ったりした。地元に戻った時は
2023.06.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.62
映画監督 井筒 和幸
ハリウッドに、それまでのベトナム戦争に疲弊した社会を写すニューシネマに代わり、全世代型のファミリー映画が現れたのは確かだった。
誰からも頼まれもしないのに撮ったボクのピンク映画もどきは、新宿のピンク専門の配給会社によって公開されたはずだが、さて、東京のどこの、関東の、東北の、北海道の、は
2023.05.10
井筒和幸の Get It Up !
Vol.61
映画監督 井筒 和幸
ボクは小躍りしたくなるほど嬉しかった。 同世代の若者たちに見てもらえるなら願ったり叶ったり、だ。
「映画は、人を退屈にさせてはならないし、愉しませて、悲しませて、喜ばせて、時間を忘れさせるものです、さて、次に紹介するのはこのアメリカンニューシネマです。主演は
2023.04.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.60
映画監督 井筒 和幸
半年間で、劇場用映画とは何かを学んだことだけは確かだった。でも、 もう二度と映画は作れないなと、自分の無能を改めて思った。
仲間たちとピンク映画もどきの制作に命懸けで挑んだものの、既成の日本映画なんて壊してやる!映画界に殴り込んだる!と気合いを入れたものの、ボクらが作った『性春の悶々
2023.03.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.59
映画監督 井筒 和幸
初めての35ミリフィルムをキャメラにつめて、ロケ撮影は大阪郊外、奈良の河原、京都など方々で気ままに敢行。すべて神出鬼没のゲリラ撮影だった。
1975年、ボクは仲間たちと自主製作映画、『性春の悶々』の制作に人生を賭けた。他人の作品を何百本見てこようが、何でもいいから、自分が作りたい映画を作らなければ、
2023.02.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.58
映画監督 井筒 和幸
大阪の天王寺の深夜喫茶で見つけた彼女は、女工の役を気前よく引き受けてくれた。
映画館にかかる邦画は、アメリカンニューシネマの新鮮さはなく、見劣りするものばかりだった。『エクソシスト』(74年)は悪魔をリアリズムで見せる世界初のものだった。
2023.01.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.57
映画監督 井筒 和幸
太陽光かタングステンライトが当たり、フィルムに人間と風景が感光したら、もう映画だ。撮ろう。そんな思いが募るばかりだった。
ボクのような、今までにない新しいテーマで新しいタッチの邦画を探していた映画ファンには、(前回も触れたが )“実録”と銘打って現れた1973年の『仁義なき戦い』シ
2022.12.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.56
映画監督 井筒 和幸
勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるか
2022.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.55
映画監督 井筒 和幸
勉強にならなかったものは忘れている。その30本を、もう一度観てみたい。
1972年、この年は見たくてうずうずする映画が、次から次に封切られて、ほんとに映画の勉強になって良かった。でも、もう親から小遣いはもらえないし、仕方ないからバイ
2022.10.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.54
映画監督 井筒 和幸
正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚
2022.09.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.53
映画監督 井筒 和幸
放送クラブにいたちょっと美人で大人っぽい目をした女子に、「ゲリラ上映を助けてほしいんやわ」と声をかけた。
――(先回からの続き)。1970年、高校3年の秋の文化祭で上映するために作った、初めての8ミリ劇映画もどきは、かなり、内容が深刻で衝撃的だったのか、映画研究部顧
2022.08.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.52
映画監督 井筒 和幸
「映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら・・・・」
洋画や邦画を片っ端から見ることに明け暮れた1970年代を、再び、追想したい。ボクが17歳から10年間に見た映画は数え切れない。恐らく、その10年間は後の80年代
2022.07.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.51
映画監督 井筒 和幸
「大学を卒業してからじゃ、そんな感性は失くなってしまうし、どこかの会社に勤めて、そこの歯車になっては、なおさらだろう。」
人生は一度だ、この世以外に何がある、人は一人で耐え、一人で笑い、生きるのだ、と思わせる映画は、確かに気が安らぐのだった。主人公も孤独だし、誰もがそうなんだと気づ
2022.06.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.50
映画監督 井筒 和幸
「映画は孤独を慰めてくれるのではなくて、孤独だと気づかせてくれる」と、 メモにある。
享楽的なモノ、つまり、正義の味方が登場して、問題を解決する、早い話が、勧善懲悪なモノ。そういうものは映画館の前に立った時に直感で分かった。でも、映画は日々の喜怒
2022.05.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.49
映画監督 井筒 和幸
「相変わらず、日本映画に中身がなく、ウソっぽくて取って付けたドラマが多く、食指が動かなかった」メモにある。
享楽的で荒唐無稽なモノには、興味がなかった。唯々、社会勉強、人生勉強になるモノを探した。それが、ボクの日々の充足感だった。高校入学してすぐに体験したスタンリー・
2022.04.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.48
映画監督 井筒 和幸
「うっ憤や退屈が、脳に沈殿してしまうと、人生はつまらなくなって当然だ。 そのための映画なんだ」とメモにある。
と、前回にも書いた。これは18歳頃のボクの映画への思いだった。折角、現実の気だるい時間を割いて映画館という非日常に逃げ込むのだから、心を揺さぶってもらいかった。
2022.03.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.47
映画監督 井筒 和幸
「快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。」
高校生なのに、アメリカ映画の『卒業』(68年)や『ジョンとメリー』(69年)などの色恋の話に、ボクはあまり気がいかなかった。サイモン&ガーファンクルが唄
2022.02.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.46
映画監督 井筒 和幸
「思春期からの数多の映画が、ボクの血肉や骨、そして、心まで作ってきたように思う。そうとしか考えられないのだ。」
少年の頃は、映画館に入る度に祈ったものだ。今日も頼もしく、おかしな奴や、胸に迫る場面に出会えますように、と。 アメリカ映画の『バルジ大作戦』(65年)では真冬の
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