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コラム
井筒和幸の Get It Up !
映画の夢を追った70年代、天下御免の80年代、苦闘の90年代、そして新世紀へ、”わが映画渡世”を語ります。乞うご期待!(井筒和幸監督・映画監督)
2024.04.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.72
映画監督 井筒 和幸氏
「映画は分かりませんけど、ガラの悪いリアルな大阪弁思いっきり喋りたいですわ」と言われた。
『ガキ帝国』で、素人ながら鮮烈な印象をスクリーンに残した若い役者たちは数知れない。大阪心斎橋の裏通りの乱闘場では顔中に血糊を塗りまくって呻いてみせてくれたし、国
2024.03.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.71
映画監督 井筒 和幸
何度も赤信号にひっかかり、何度もNGになり、数カット撮るうちに空が白み始めた。地球が回転していたことを忘れていた。朝なんか来るな!と思った。
『ガキ帝国』(81年)は1980年の秋にクランクインはしたものの、なにせ、初めての長編映画だし、現場は試行錯誤ばかりで思ったように運ばなかった。スタジオにセット
2024.02.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.70
映画監督 井筒 和幸
クランクイン初日からアドレナリンが出まくり、飯も口に入らず、眠れる時間もまったくなかった。よく死ななかったものだ。
1980年の秋口から、初めての一般映画『ガキ帝国』(81年)は、準備も追いつかないままドタバタのうちにクランクインした。初日の早朝ロケは前夜から一睡もできなかっ
2024.01.10
井筒和幸の Get It Up !
Vol.69
映画監督 井筒 和幸
製作費が一千万円でもそんな洒落たキャメラが使えるなら有難いことだ。ボクは、誰も見たことがない映画を撮るぞと自分に言い聞かせた。
『ガキ帝国』(81年)の制作に取りかかるその前年、1979年に観た映画を振り返ってみる。『フレンチ・コネクション』(72年)の鬼才、ウィリアム・フリードキン監督
2023.12.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.68
映画監督 井筒 和幸
大衆のための映画とは何か、映画を見て勉強を重ねた日々。そして、ついに一般映画を撮るチャンスが到来した。
振り返ってみれば、70年代は無職同然の20代のボクには、懐にお金はなかったけれど、「映画という虚構」がいつも身の回りにあってくれて、映画を見るというより、映画を
2023.11.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.67
映画監督 井筒 和幸
生きる苦しみを和らげる、悪夢も見させてくれる。安堵したり、戦慄したり。そんな大衆のための映画を探し歩いて、見つけたもの。(其の二)
70年代のボクの夢の時代を思い返すと、なんとも切なくなってくる。1975年に、仲間たちと『性春の悶々』を作ったのをきっかけに、上映時間がわずか60分の、ボクの淫
2023.10.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.66
映画監督 井筒 和幸
生きる苦しみを和らげる、悪夢も見させてくれる。安堵したり、戦慄したり。そんな大衆のための映画を探し歩いて、見つけたもの。(其の一)
『遠すぎた橋』(77年)という戦争巨編に刺激されて、改めて、戦争と暴力について考えるようになったのは確かだが、その頃、ボクが撮ってみたいと思う“戦い”の映画は、
2023.09.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.65
映画監督 井筒 和幸
客たちは大笑いした。ボクも拍手していた。野川由美子も小林稔侍もなりふり構わず雪まみれで叫んでいた。邦画らしい大衆芸能がそこにあった。
昔のピンク映画界で一番忙しかった山本晋也先輩が、映画は「芸術」でも「娯楽」でもなく、その間にある「芸能」なんだ、と言ったのを今も覚えている。アメリカの映画アカデ
2023.08.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.64
映画監督 井筒 和幸
ベテラン監督が言った。映画って「芸術」でも「娯楽」でもなく、その間に ある「芸能」なんだよ。芸能って解るか。大衆のための芸能だ。
ある日、ピンクコメディー映画『未亡人下宿』シリーズで名を売る山本晋也監督は、新宿東口にある「ウェルテル」という静かな喫茶店で待っていた。ボクから見つけて手を上げ
2023.07.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.63
映画監督 井筒 和幸
ある日、『未亡人下宿』で名が通っている山本晋也監督から電話があった。 「すぐに一本クランクインするんだけど、助監督が…、ふけちゃってさ。」
76年になると、ボクは、自作の売り渡しで世話になったピンク界の先輩の現場の手伝い、つまり、助監督として何度か、東京と奈良を行ったり戻ったりした。地元に戻った時は
2023.06.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.62
映画監督 井筒 和幸
ハリウッドに、それまでのベトナム戦争に疲弊した社会を写すニューシネマに代わり、全世代型のファミリー映画が現れたのは確かだった。
誰からも頼まれもしないのに撮ったボクのピンク映画もどきは、新宿のピンク専門の配給会社によって公開されたはずだが、さて、東京のどこの、関東の、東北の、北海道の、は
2023.05.10
井筒和幸の Get It Up !
Vol.61
映画監督 井筒 和幸
ボクは小躍りしたくなるほど嬉しかった。 同世代の若者たちに見てもらえるなら願ったり叶ったり、だ。
「映画は、人を退屈にさせてはならないし、愉しませて、悲しませて、喜ばせて、時間を忘れさせるものです、さて、次に紹介するのはこのアメリカンニューシネマです。主演は
2023.04.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.60
映画監督 井筒 和幸
半年間で、劇場用映画とは何かを学んだことだけは確かだった。でも、 もう二度と映画は作れないなと、自分の無能を改めて思った。
仲間たちとピンク映画もどきの制作に命懸けで挑んだものの、既成の日本映画なんて壊してやる!映画界に殴り込んだる!と気合いを入れたものの、ボクらが作った『性春の悶々
2023.03.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.59
映画監督 井筒 和幸
初めての35ミリフィルムをキャメラにつめて、ロケ撮影は大阪郊外、奈良の河原、京都など方々で気ままに敢行。すべて神出鬼没のゲリラ撮影だった。
1975年、ボクは仲間たちと自主製作映画、『性春の悶々』の制作に人生を賭けた。他人の作品を何百本見てこようが、何でもいいから、自分が作りたい映画を作らなければ、
2023.02.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.58
映画監督 井筒 和幸
大阪の天王寺の深夜喫茶で見つけた彼女は、女工の役を気前よく引き受けてくれた。
映画館にかかる邦画は、アメリカンニューシネマの新鮮さはなく、見劣りするものばかりだった。『エクソシスト』(74年)は悪魔をリアリズムで見せる世界初のものだった。
2023.01.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.57
映画監督 井筒 和幸
太陽光かタングステンライトが当たり、フィルムに人間と風景が感光したら、もう映画だ。撮ろう。そんな思いが募るばかりだった。
ボクのような、今までにない新しいテーマで新しいタッチの邦画を探していた映画ファンには、(前回も触れたが )“実録”と銘打って現れた1973年の『仁義なき戦い』シ
2022.12.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.56
映画監督 井筒 和幸
勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるか
2022.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.55
映画監督 井筒 和幸
勉強にならなかったものは忘れている。その30本を、もう一度観てみたい。
1972年、この年は見たくてうずうずする映画が、次から次に封切られて、ほんとに映画の勉強になって良かった。でも、もう親から小遣いはもらえないし、仕方ないからバイ
2022.10.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.54
映画監督 井筒 和幸
正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚
2022.09.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.53
映画監督 井筒 和幸
放送クラブにいたちょっと美人で大人っぽい目をした女子に、「ゲリラ上映を助けてほしいんやわ」と声をかけた。
――(先回からの続き)。1970年、高校3年の秋の文化祭で上映するために作った、初めての8ミリ劇映画もどきは、かなり、内容が深刻で衝撃的だったのか、映画研究部顧
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