AIはどこまで古文漢文に対応できるか?『今昔物語』編
AIイラストは古文漢文にどれだけ対応できるか?
先日は平安期の「みやび」を体現した『枕草子』の原文をAIに突っ込んでイラスト化させていただきました。
今回は一歩踏み込んで、治安も社会制度も近代技術の片鱗も存在しない中世ヨーロッパ、そのヨーロッパと同時時代であった平安時代、その実情を芥川龍之介言うところの、「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」そんな文体で描きぬいた『今昔物語』を原文のままAIにつっこんでイラスト化してみたいと思います。
巻29第18話 羅城門登上層見死人盗人語 第十八
今昔、摂津の国辺より、盗せむが為に京に上ける男の、日の未だ暮ざりければ、羅城門の下に立隠れて立てりけるに、朱雀の方に人重(しげ)く行ければ、「人の静まるまで」と思て、門の下に待立てけるに、山城の方より、人共の数(あまた)来たる音のしければ、「其れに見えじ」と思て、門の上層(うはこし)に和ら掻つき登りたりけるに、見れば、火髴(ほのか)に燃(とも)したり。
盗人、「怪」と思て、連子より臨(のぞき)ければ、若き女の死て臥たる有り。其の枕上に火を燃して、年極く老たる嫗の白髪白きが、其の死人の枕上に居て、死人の髪をかなぐり抜き取る也けり。
盗人、此れを見るに、心も得ねば、「此れは若し、鬼にや有らむ」と思て、怖(おそろし)けれども、「若し、死人にてもぞ有る。恐して試む」と思て、和ら戸を開て、刀を抜て、「己は」と云て走寄ければ、嫗、手迷ひをして、手を摺て迷へば、盗人、「此は何ぞの嫗の、此はし居たるぞ」と問ければ、嫗、「己が主にて御ましつる人の失給へるを、繚(あつか)ふ人の無ければ、此て置奉たる也。其の御髪の長に余て長ければ、其れを抜取て鬘にせむとて抜く也。助け給へ」と云ければ、盗人、死人の着たる衣と、嫗の着たる衣と、抜取てある髪とを奪取て、下走て、逃て去にけり。
然て、其の上の層には、死人の骸(かばね)ぞ多かりける。死たる人の葬など否(え)為ぬをば、此の門の上にぞ置ける。
此の事は、其の盗人の人に語けるを聞継て、此く語り伝へたるとや。
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芥川龍之介の『羅生門』の元ネタです。
小説では、さびれた都で解雇された下人が、生きる術を求め「盗賊」になるか否か悩むが「勇気」が出ない。そんな彼は一夜の宿を求め羅城門の2階に上ると…
一方で原文では、主人公はすでに盗賊。「仕事」をするため摂津の国から都へ上る。都は寂れておらず人通りが喧しい。夜になるまで身を隠そうと羅城門の2階に上ると…さびれていない都ながら、羅城門の2階には遺体が捨てられている。その若い女の遺体と老女の人間関係、そして盗賊が老婆に挑む理由も小説と原文では微妙に異なるのだが、とりあえずイラスト化してみましょう。

AIは日本文化に弱い。
昔の日本と言えば江戸時代しかない。
だから舞台は江戸時代風。
下人≠盗賊は水干や小袖姿ではなく直垂姿。
でも…
照明用の炎が大きすぎる。
これでは火事になりますよ。
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続いてもう一ネタ
巻31第32話 人見酔酒販婦所行語 第卅二
今昔、京に有ける人、知たる人の許に行けるに、馬より下て其の門に入ける時に、其の門の向也ける古き門の、閉て人も通らぬに、其の門の下に販婦(ひさめ)の女、傍に物共入れたる平なる桶を置て臥せり。「何にして臥たるぞ」と思て、打寄て見れば、此の女、酒に吉く酔たる也けり。
此く見置て、其の家に入て、暫く有て出て、亦馬に乗らむと為る時に、此の販婦の女、驚き覚たり。見れば、驚くままに物を突に、其の物共入れたる桶に突き入れてけり。「穴穢な」と思て見る程に、其の桶に鮨鮎の有けるに突懸けり。販婦「錯しつ」と思て、怱て手を以て、其の突懸たる物を、鮨鮎にこそ韲(あへ)たりけれ。
此れを見るに、穢しと云へば愚也や。肝も違ひ心も迷ふ許思へければ、馬に急ぎ乗て、其の所を逃去にけり。
此れを思ふに、鮨鮎、 本より然様だちたる物なれば、何にとも見えじ。定めて、其の鮨鮎売にけむに、人食はぬ様有らじ。
彼の見ける人、其の後永く鮨鮎を食はざりけり。然様に売らむ鮨鮎をこそ食はざらめ。我が許にて、慥に見て、鮨調(ととのへさ)せたるをさへにてなむ食はざりける。其れのみにも非ず。知と知たる人にも、此の事を語て、「鮨鮎な食ひそ」となむ制しける。亦、物など食ふ所にても、鮨鮎を見ては、物狂はしきまで唾を吐てなむ、立て逃ける。
然れば、市・町に売る物も、販婦の売る物も、極て穢き也。此れに依て、少も叶たらむ人は、万の物をば、目の前にして慥に調せたらむを食ふべき也となむ語り伝へたるとや。
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ある男が馬に乗って知人宅を訪ねた。
その門の脇に、物売りの女が酔いつぶれて伏していた。
男が知人宅での用を済ませ門を出ると、例の女はいまだ酔いつぶれていた。
女は馬に驚いた拍子に思わず嘔吐し、売り物の「鮨鮎」の桶に嘔吐してしまったが、もったいないのでそのままかき混ぜてごまかしてしまった。
教訓:市場で売られている食物は、どんな来歴があるかわったものではない。目の前で煮炊きした安全な食物のみを口にするに限る。
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食品管理衛生法もない時代の生々しい逸話。同時に「日本の食文化史」を語る上でも貴重な一幕です。
「すし」と呼ばれる食品は日本では2千年前から、おそらくは稲作の日本伝来とともに存在します。
現在、「すし」と言われれば「酢飯を一口大に軽く握り、新鮮な魚の切り身を載せてワサビを利かせた食品」を連想されるでしょう。
ですが日本のすし二千年史上、そのようなすし、寿司が登場したのは江戸時代の後期以降。もともとの「すし」とは、「塩漬け魚を飯と共に漬け込み、数か月かけて発酵させた保存食」。いわゆる「熟れ鮨」。そもそも「すし」は、古代日本語で「酸っぱい」を指す語。現在も滋賀県に伝承される「鮒すし」が、古代日本の「すし」のありさまを伝えています。
発酵した米の中に漬かった、発酵臭漂う熟れた魚。
それが平安期の「すし」の姿。
だからこそ、「嘔吐物」を混ぜ込んでもごまかせる。
そんな尾籠なありさまをAIにしてみたら…

やはり江戸時代風。
桶の上に並ぶのは「サーモンの握り寿司」「鉄火巻き」。
「平安時代風にお願いします」と明記しなかったから仕方がないか。
平安時代と書き添えれば、熟れ鮨を描いてくれるのか。
ちなみに「嘔吐」の場面は原文では「物を突」(ものをつく)。
原文が理解できなかったのは仕方がない。
ちなみに同じ文章で今一度イラスト化を指示すればこんな感じ。

やはり江戸時代風。
新鮮な魚を桶に入れた物売りのおばさん。
太巻き鮨を周囲に並べて路上で酒盛り。
背後には「クラフトビール」の瓶まであって…
AIはいまだ発展途上…







