猫とわたしの関係に名前を付けるのならば

宮城
ライター
KIROKU vol.26
佐藤 綾香

 

わたしは9歳になる黒猫のスミと暮らしている。

スミが生後6ヶ月くらいのときに保護をしてからずっと一緒に暮らしているのだが、わたしとスミの関係は決して「親子」ではない。

つまり、わたしはスミの「お母さん」とか「ママ」とか言われたりするのがウルトラ級に嫌いなのだ。

 

 

動物を飼っているとなぜか「お母さん」とか「ママ」と認識されるシーンが多々あるのだが、前々から嫌だった。

わたしが捻くれ者であることも影響しているかもしれないのだけど、張本人がスミを子どもだと認識したことがない。

家族には違いない。けれど、わたしの子どもだと認識したことは一度もない。

 

先日お世話になった動物病院でも、「お母さん」と言われてしまった。

9歳になるスミは、人間の年齢で言えば約52歳。

年齢のこともあるし、猫とは人間のように「ここが痛い」「ちょっと具合が悪い」などと楽にコミュニケーションをとれるわけではないので、半年に一度くらいのペースで健康診断に連れて行くことにしている。

 

いよいよ診察台に乗せられたスミ。

体重を測るだけでもスミはかなり嫌そうにジタバタしていたのに、わたしの姿が見えないところで血液検査のために注射をされている間はかなりおとなしかったらしい。

そんな様子を見た先生に「注射のときはお利口さんでしたよ、お母さんに甘えてるんですね」と言われたのだが、すごくいい先生でよかったなと感謝していた傍で、わたしは複雑な気持ちになってしまったのだ。

 

こんな話を聞いたことがある。

飼い猫は、一緒に暮らしている人間を「毛がなく、大きくて動きがトロい変な猫」だと認識しているらしい。

思えば実家で一緒に暮らしていた頃、たぶん玄関の中に迷い込んでしまったアマガエルを捕まえて、わたしの部屋にわざわざ持ってきたことがある。

その行動は、狩りができないノロマな仲間のお世話に当たるのだとか。

みんなはわたしをスミの「お母さん」「ママ」と言うけれど、実際はスミがわたしの世話をする側だと思っているのかもしれない。

だがその一方で、スミが子猫のようにスリスリと甘えるモードに入ることもある。

だから基本的に、わたしたちはきっとどちらも「あなたが親で、あなたが子ども」と決めつけて一緒に暮らしているわけではない。

わたしだってスミに甘えることがあるし、ヘルプを出すこともある。

そしてわたしの知らないところで、スミはわたしのお世話をしている可能性もある。

大切な人生のパートナーで家族であることは変わらないのだが、お互いが精神的な部分で補い合っているからこそ、親子関係と決まりきった関係性をつくられることにかなりの違和感がある。

スミとわたしの関係に名前をつけるのならば、仲間とか、家族とか、相棒とか、そういうものになるかもしれないけど、なんでもかんでも関係性に名前をつけなくてもいいじゃないか、ともおもう。

 

甘えて、甘えられる。

お世話をされて、する。

助けて、助けられる。

 

わたしとスミは、そういう循環のある関係性だ。

ほんとうのところはどうなのか、スミに聞かないとわからないけれど。

いずれにせよ、わたしは一人の自立した人間で、スミは一匹の自立した猫である。

 

プロフィール
ライター
佐藤 綾香
1992年生まれ、宮城県出身。ライター。夜型人間。いちばん好きな食べ物はピザです。

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP