生まれた街を知る

choco旅 vol.13
ライター
DECO KATO
加藤 デコ

想像を超える明治の四日市

四日市には「四日市公害と環境未来館」がある。1960~70年代に発生した四日市ぜんそくなどの公害の歴史と、その後の環境改善の取り組み、産業と環境保全を両立させたまちづくりなどについて紹介する博物館だ。2015年の開館から10年を迎え、今夏、記念の企画があった。

その一つ、「戦後の公害・環境行政の歴史とそこから学ぶこと 宮本憲一✕岡田知弘」に参加した。びっくりしたのは、このお二人、四日市の人じゃないのに四日市について本当によくご存じ、ということだ。不勉強で全く知らなかったのだが、宮本憲一氏は四日市ぜんそく訴訟(1967~1972年)の際、原告側の証人を務めておられた。岡田知宏氏は、『四日市市史』近現代編の執筆者の一人である。さらに、『環境再生のまちづくり 四日市から考える政策提言』(ミネルヴァ書房)といった本もあり、これは宮本憲一監修、遠藤宏一・岡田知弘・除本理史編著、だ。四日市が研究対象の都市になっていることにも驚いたし、そりゃ、よく知ってて当然なのだった。

そこで、図書館から『四日市市史』を借りてきて読んでみた。私にとって四日市は「工業都市で、公害を起こしたあんまり誇りに思えないふるさと」なのだが、明治、大正の四日市では、農業、漁業、林業、工業が様々に発展している。農業、漁業はまだ理解できるけど、林業って…(驚)。が、材木を他の地域に出荷したり、製紙業があったり、想像を軽く超えている街の姿がそこにはあった。「工業都市で、公害を起こしたあんまり誇りに思えないふるさと」というのは、かなり偏見に満ちたイメージでしかなかったのだ。

戦後の復興から公害の街へ

戦後の四日市の復興もおもしろかった。例えば、こんなエピソード。

●三重県ローカルの三岐鉄道は、貨物列車で黒四ダム(黒部ダム)建設のためにセメント41万トンを運んでいる。四日市と黒部ダムにそんなご縁があったとは…。しかも41万トンって想像できない。

●国鉄四日市駅(現・JR四日市駅)は、国鉄だけでは建設できず、民間・自治体・国鉄が資金を出し合ってつくった「民衆駅」である。四日市は東海地方で4番目の民衆駅だそう。以前、豊橋鉄道のお仕事をやったときに、戦後、豊橋駅は同じ形式で建設された日本で最初の駅という話が出てきたことがあった。あー、同じだと感動。

●わが家の近くには、梨園がたくさんあった。今でも梨が売られている。戦中、食糧増産のために市内の果樹園の多くが荒廃したが、戦後、助成金を受けて再生された。梨園もその対象の一つだった。

こうした細かいネタをひろいながら読んでいくと本当におもしろい。仕事そっちのけになってしまう。ようやく、「四日市ぜんそく」にたどりつく。

●四日市ぜんそくは大気汚染の問題とみられがちだが、それ以前に水質汚染問題があった。「四日市の魚は臭い」と言われ、セリで値がつかなくなってしまう。そこで、漁ができなくなった漁師たちが工場の排水口にフタをすべく土嚢を船に積んで行った。そんな実力行使の工業都市化への反対運動が四日市にもあったのか。

『四日市市史』『環境再生のまちづくり 四日市から考える政策提言』をひろい読みして、おそらく「四日市ぜんそく」の項になるともっと知らないことが出てくるに違いない。そこで、環境未来館主催の「バスで巡る校外学習」に参加してみることにした。公害は負の遺産であるけれども、そこからどんな発見があるのか、楽しみにしている、

プロフィール
ライター
加藤 デコ
「本当にライターですか?」と疑われる今日この頃。

TAGS of TOPICS

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP