パクチーも最後に食べる派
パクチーがとても、とても、とてもすきだ。なんなら、世の中にパクチーブームがやってくるずいぶん前からだいすきだ。
パクチー。パクチー。パクチー。とにかくパクチーには目がない。
居酒屋に山盛りパクチーサラダがあれば、一緒に入った友人がパクチー嫌いだとしても「これは絶対に食べたい」と、なにがなんでも食べるという意志が揺らぐことはない。
※結局、その友人はパクチーが大好きだった。
「パクチー、食べたことない」というひとがいれば、パクチーをおいしく食べられるお店に連れていき、テーブルをだいすきなパクチー料理で埋め尽くし、わたしなりにもてなした。
※結局、その友人はパクチーが嫌いになった。謝った。
最近、とあるお店でパクチー料理が期間限定で発売され、わたしは当然とばかりに食べに行った。
予定した日は発売終了の1週間前あたり。「この日に食〜べよ!」と、ルンルンしながら予定を立てた。
ちなみに、わたしは“大好物を最後に食べる派”である。
食べられるまでの過程も、それにかかる時間も、やっと大好物にありつける幸福感も、ぜんぶひっくるめてたのしいのだ。
だから期間限定とはいえ、発売終了までの1週間前のギリギリに食べに行くと決めても、特になにも問題はなかった。
はやる気持ちはむしろ、たのしみに変わっていくから。
そのほうがスケジュールの具合もちょうどよかったし、あまり気分が落ち着かないなかでドタバタと大好物を食べるのだけは避けたかった。
ところが、これほどまでに気持ちも予定も整えたのにも関わらず、売り切れていた。
「もう売り切れちゃったんです」と店員さんに伝えられたときの、絶望感たるや。
わたしはそれでも引き下がらない。だって、パクチーがだいすきだから。
「今日が無理なのでしょうか、それとも提供自体が終了ということでしょうか」
店員さんがかわいそうだろう、とおもいながらも面倒なことに、こちらも期間限定パクチー料理をかんたんに諦めることができない。
「提供自体が終了、なんです……」
おわった。すべてがおわった。
忙しい日々を乗り越え、やっと食べられるとおもったパクチー料理。
ちょっとモヤっとすることを言われても、ちょっと待てぃ!と言い返したいことをグッと飲み込んでも、パクチー料理を食べるのを目標にがんばって大人の対応を心がけてきた。
嫌なことがあるたびに
「わたし、あとちょっとがんばればパクチー料理食べられるんで大丈ですから!っていうか、なんともないんで!ノーダメージなんで!」
と、心のなかで威勢よく言い放ってきたのだ。
それなのに、わたしはここ2〜3週間ほど支えにしてきたパクチー料理を食べられない。
かなしい気持ちでいっぱいだ。
大人になっても、とるにたらないことでも、すぐには割り切れないときがある。
といいつつも食べられないのはもう仕方がないので、店員さんオススメのメニューを頼んだ。
おすすめメニューはすごくおいしかった。あんなにパクチー料理を求めて来たのに、パクチー料理を食べたい欲を忘れてしまったくらいである。
だがしかし、わたしのパクチー料理を食べたい欲はそんなに甘くない。
お店を出たあと、パクチー料理を食べたい欲はさらに高まった。
しつこいパクチー料理を食べたい欲を抑えられなかったわたしが次に向かったのは、デパ地下の惣菜売り場。
目指す先には、なんとパクチーサラダが売っている。
デパ地下の惣菜はけっこう値が張るけれど、いまはそんなのもうどうだっていい。
わたしの頭に浮かんでいたのは【金で解決】の4文字だった。
が、その日に限ってパクチーサラダも売り切れていた。
「売り切れちゃったんですね……」とわたしは肩を落とす。
それを見た惣菜売り場の店員さんが色とりどりの惣菜が並ぶケースをすこし見渡したあと、顔をパッと明るくしてこう言った。
「ラスト1本です!パクチーの生春巻きならまだあります!」
まさに救世主。
わたしは迷わずパクチーの生春巻きを買い、スキップしたい気持ちを抑えながら帰路に着いた。
さあ、いよいよ、やっと、わたしはパクチーを食べる。望んでいたカタチではないにしろ、だいすきなパクチーを食べる。
なんてしあわせなんだろう。やっぱり、大好物は最後に食べたほうがいい。
こんなふうにパクチーについて書いていたら、パクチーが食べたくなってきた。
わたしは今日も、仕事帰りにまたデパ地下の惣菜売り場へ向かう。
やっぱりデパ地下の惣菜は高いけれど、今度こそ、あのときすがりたかったパクチーサラダが食べたい。
無事お目当てを買うことができたわたしは、いまからパクチーサラダを食べる。
ああ、なんてしあわせなんだろう。
わたしの目の前に、いま、パクチーがある。
