『ルックバック』押山清高さんに聞く、アニメーターの仕事とキャリア。AI時代に“それでも描く”理由

Vol.242
劇場アニメ『ルックバック』監督・アニメーター
Kiyotaka Oshiyama
押山 清高
拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

拡大

2004年にアニメーターとして活動を開始し、2007年放送の『電脳コイル』では新人ながら作画監督を務めた押山清高さん。2024年公開の劇場アニメ『ルックバック』は公開15週目にして動員数120万人、興行収入20億円を突破する大ヒットを記録しました。
監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督・原画までを兼任し、少人数体制で作り上げた濃密な58分を映画とは別の体験として作り手が込めた思い届ける展覧会「劇場アニメ ルックバック展―押山清高 線の感情」が、麻布台ヒルズ ギャラリーにて開催されています。
今回は劇場アニメ『ルックバック』を手がけたアニメ監督・アニメーターの押山清高さんにインタビュー。アニメーターの仕事やキャリアの築き方、制作の舞台裏、そしてAI時代に“描く”理由までを聞きました。

地方で「絵の仕事」を探した10代|アニメーターになるまで

押山さんがアニメ業界に入りたいと思ったきっかけを教えてください。

子どもの頃からアニメは好きでしたね。日曜の朝にやっているような番組も含めて、放送されているアニメは女の子向けでも関係なく、とにかく全部見ていたと思います。
同時に描くのも好きで、小学生の頃から絵を描いていました。だいたい高学年くらいになると辞めちゃう子も多いと思うんですけど、僕は高校生くらいまでずっと描き続けていた。だから「いつか絵で食べていきたい」という感覚は、早い段階からあったと思います。

そこから、どうやって進路を決めていったのでしょう。

ただ、いざ仕事にしようと思っても、地元の福島はそもそも絵の仕事が少ないんです。あっても広告のチラシや、お菓子のパッケージデザインといった仕事くらいで、アニメをはじめとするポップカルチャー系の仕事は県外に行かないとありませんでした。
当時はゲームも好きだったので、ゲーム会社のグラフィック職を探したりしていましたね。関西にあるカプコンのデザイン室に憧れがあったんですけど、それまでまともに家族旅行すらしたことがなかっただけに、関西が海外の様に遠く感じて躊躇してしまいました。
また、漫画家も考えたのですが、漫画は数十ページのストーリーを描いて賞に応募しないといけないし、絵を描くのは好きでしたが、そもそも数十ページも描いたことがなく、「ハードルが高い」と思ったんです。

そして選んだのが、アニメーターという仕事だった。

アニメーターも最初は、どうすればなれるか分からなかったんですが、調べていくうちに「アニメ制作会社に入る」という入口が見えてきて、募集していた会社の何社かに履歴書を送ってみたんです。

入りたい会社はあったのでしょうか?

いえ、正直当時は、知っているアニメ会社もスタジオジブリとプロダクションIG、ガイナックスくらいしかなかったんですね。漠然と好きな作品を作っている会社に入りたいと思いましたが、そもそもアニメーターを募集していなかったり、募集期限が過ぎてしまっていたり、大卒資格がなくて受ける事が許されなかったりしたんです。選択肢がないから「とにかく入ってみよう」と飛び込んだんですけど、結果的にはそれが正解でした。
もし「憧れの人がいる会社じゃないと嫌だ」とか「好きな作品を作っている会社がいい」とか、最初から条件を絞りすぎていたら、自分のキャリアに制限がかかっていたと思います。

「辞めたい」時期に掴んだ『電脳コイル』がくれたキャリアの転機

その後、2007年放送の『電脳コイル』で作画監督を務められました。その経緯について教えてください。

『電脳コイル』は当時、監督がホームページ上でアニメーターを募集していたんです。今でこそ『電脳コイル』は、テーマも先進的で、作画も力を入れて作られているので「準備万端で作られた」というイメージを持たれることもあるのですが、監督の磯光雄さんもスタッフ集めには苦労していたのだと思います。
ちょうどその頃、1社目の会社にいて、辞めたい気持ちが強くなっていた時期でした。外の現場を見たい、他のクリエイターの仕事を見たい、という気持ちが高まっていました。それと同時に、インターネットが盛り上がり、アニメーターの仕事を認知できるようになってきた頃で、僕がリスペクトしていたアニメーターの仕事を映像で見てかっこいいと思っていました。そのタイミングでネット上に募集が出ていたので、挑戦してみたいと思ったんです。

当時はまだ、キャリアのスタートから時間が経っていない時期でした。不安などはありませんでしたか?

おっしゃるとおり、当時の僕は、作画監督はおろか原画マンとしてのキャリアも十分ではなかった。それまでに描いていた原画のコピーを制作班に渡して、果たして自分の実力で仕事が貰えるか確認するところから始まりました。「作画監督をお願いします」と言われて、正直「いきなり?」と思いました。でも、いただいたチャンスは糧になると思って引き受けたんです。

結果的に、『電脳コイル』の現場ではどのようなことを得ましたか?

僕はそれまで外部との交流が少なく、都内の学校やアニメの専門学校にも行っていないから、業界の知り合いがいなかったんです。でも、制作現場では磯光雄監督を含め、ベテランの凄腕アニメーターたちがたくさんいて、同じ場で非常に刺激を受けました。
同時に、そういう場所で作画監督を任されたことが「新人だけど一定の実力がある」と認知されるきっかけにもなったと思います。そこから紹介で仕事が来たり、同世代のアニメーターと仲良くなって、みんなで遊びに行くような関係ができたり…。自分の世界が一気に広がるきっかけになった作品でした。

そして、2017年には独立し、アニメーション制作会社スタジオドリアンを設立されました。

仕事を広げていく中で、チームで作品を作る全体像が見えてきたんです。そして、テレビシリーズ『フリップフラッパーズ』を監督することになるんですけど、あの時期がかなり大変でした。

大変というのは?

『フリップフラッパーズ』は2016年に放送されました。当時は市場に作品が増え始める一方で、DVDやBlu-rayの売り上げはどんどん下がっていました。とはいえ、今ほど配信サービスが当たり前ではなかった時期で、作っても見られないアニメが多かった時代です。監督として身を粉にして作ったはずなのに、達成感以上に徒労感が強かった。アニメ制作は基本「製作委員会方式」がとられており、制作現場ではクリエイティブな仕事をしているにも関わらず、監督の権利ですら蔑ろにされやすい構造になっています。ここにいてはダメだなと思ったんです。

現在のチームが少数精鋭なのも、そうした経験がもとになっているんですね。

そもそも現代のアニメ制作会社は構造的に自転車操業に陥りがちで、現場を回すために次の仕事を取り続ける負のスパイラルに入りやすい。スケジュールに追われて手あたり次第に仕事をばら撒いて、メインスタッフが直して…という作り方だけじゃなくて、信頼できるスタッフに絞って、少人数で腰を据えて作ることができないか、と考えて今の少数精鋭の体制になりました。どうせ身を粉にしてアニメを作るんだから、そこで得たノウハウや人脈を自分達で持てるようにスタジオを作り、ムダを減らし、いざとなれば自分が馬車馬に描きさえすればなんとかやっていけるんじゃないかと思いました。そんな身軽な作り方を方針にしました。

『ルックバック』でこだわった、手描きの粗さ

2024年に、『ルックバック』が公開され、国内外で大きな反響がありました。原作を初めて読んだときの印象を教えてください。

仕事を始めてから漫画を読む時間をほとんど取れていなくて、最初は正直「話題作なんだな」くらいの認識でした。でも読んでみたら、想像以上に展開が鋭く、読み切りだったこともあって一気に読めました。台詞が少なく場面の力で進むし、解釈の幅があっていろいろな読み方ができる作品でした。振り返ると、自分のこれまでとも重ねていたのだと思います。

アニメでは、監督・脚本・キャラクターデザインなど、押山監督がほぼすべてを担当されています。制作終盤では、1週間に1,000枚もの絵を描いたとか。

監督としては、任せられる人がいれば任せたいという思いはあります。しかし、アニメ制作のコストで一番大きいのは人件費です。なるべく節約して作る必要があったし、そもそも優秀なスタッフほど仕事が先までスケジュールが決まっていて捕まえづらい。だったら自分で兼任した方が早い…という判断でした。仮にお願いできたとしても、直し続けなければいけないという辛さもありますから。

公開初日は、世間の反応が不安だったそうですね。

最初は不安でした。『ルックバック』は手描きの粗さが残るような線を見せる作り方なので、公開初日に「手抜きなんじゃないか?」と言われたらどうしようとビクビクしていました。でも蓋を開けてみたら、肯定的な意見が多く、「自分に刺さった」と言ってくれる人もいて、ホッとしました。
僕らアニメーターは自分たちの作品がどう届いているか分かりません。映画館でお客さんと一緒に見るわけでもないし、目の前ですぐに反応が返ってくる仕事でもない。だから結構エゴサもしますよ(笑)。やっぱり感想をもらえると、それを糧に作品を作る活力も出てきます。

今回の展覧会では、どこに注目してほしいですか。

映画が58分しかなくて、「ポップコーンを食べる暇もなかった」みたいに、体感としては1時間という短い時間にも関わらず濃厚だった、という感想が多かったと思います。
ただ、映画のラストは一見凄惨な結末が描かれていて、その悲劇性に「泣ける」「感動作」という表面だけが消費されてしまう側面もあったかもしれない。
展示では、僕や制作陣がどこに何を込めたのかを言語化しておくことで、映画とは別の体験をお届けできると思っています。

先ほど展覧会を拝見しましたが、展示物を前に涙を浮かべるお客さまもいらっしゃいました。

展示場では、劇中音楽を担当されたharuka nakamuraさんの音楽も演出として大きく機能していて、音楽の力でキャラクターや作り手の心情にも没入できるような展示だと思います。「線の感情」というタイトルのとおり、作り手側がどういう思いを込めて線を引いたかを体感してほしい。ぜひ好きなだけ足をとどめて、ゆっくり作品の世界観に浸っていただけるとうれしいですね。

AIが台頭するこの時代に、クリエイターが「描く」ことの意味

AIが普及する今、「人が絵を描くとは何か」を問う展示でもあります。押山さんにとって「描く」とは?

今回の展覧会は、AIが何でも生成できてしまう今、それでも描き続けるという我々の覚悟の表明の場であり、クリエイターへのリスペクトを捧げています。展示のラストには僕が描いた漫画を展示しているんですが、あれは「自分の描く原点」を表現しています。
一方で、絵を描くこと自体はとてもシンプルで、感覚としては子どもの遊びに近いものだとも思っています。手を動かしているだけで、ただ楽しいとか、ただ心地いいとか。描きたいときに描きたいだけ描けばいい。そうした衝動や身体感覚の延長にある行為が、結果として「描く」ということなのだと思います。

クリエイターを目指す人へ|仕事として描き続けるために

最後に、描くことに取り組むすべてのクリエイターへ、アドバイスをください。

描きたいときに描きたいだけ描きたいものを描く、という気持ちは大事です。ただ、仕事にしようとすると「面倒なものでも、言われたことをそのとおりに描ける人」が評価され、人がありがたがるものでないとお金にならない。だから、これから絵を仕事にしていくなら、若くて体力があるうちに「周りから求められること」をある程度は勉強して、武器として積み上げた方がいいと思います。
でも、それだけだと描くのが嫌いになってしまう人もいる。描きたくないものを描くのが当たり前になって、心が死んでいくクリエイターを現場でも見てきました。必要な苦労はしつつも、それだけに偏りすぎないで、自分が元々持っている気持ちを失わないようにしてほしいです。
それと、僕自身はあまりお行儀良くやってきたタイプではないですが、結果としてはそれで良かったなとも思っています。人の話を真面目に聞きすぎると、見失うものもある。若い人は半分くらいは聞かない、くらい尖っていた方が、むしろ絵描きとして長くやっていけるんじゃないかなと思います。特にアニメーターは漫画家以上に「人から要求されるもの」を描かなければならない職業なので、自分を見失わない工夫が何より大事だと思います。

取材日:2026年1月20日 ライター:FM中西 スチール:島田敏次 会場動画撮影:浦田 優衣 インタビュー動画撮影・編集:鈴木 夏美

『劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情』

会期:2026年1月16日(金)~3月29日(日) ※会期中無休予定
会場:麻布台ヒルズ ギャラリー
( 東京都港区虎ノ門5-8-1 麻布台ヒルズ ガーデンプラザA MB階 )

展覧会特設サイト:https://www.azabudai-hills.com/azabudaihillsgallery/sp/lookback-ex/

プロフィール
劇場アニメ『ルックバック』監督・アニメーター
押山 清高
1982 年、福島県生まれ。2004 年よりアニメーターとして活動を開始し、2006 年『電脳コイル』では作画監督を務める。その後も数々の作品で監督・脚本・デザインなどを手がけ、多様な表現に携わる。
2017 年にアニメーション制作会社スタジオドリアンを設立し、短編『SHISHIGARI』を制作。2024年には、監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督・原画を務めた劇場アニメ「ルックバック」が公開された。著書に『作画大全作画添削教室・押山式作画術増補合本 神技作画シリーズ』がある。

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP