町中華の料理人からアニメーターの道へ「パトレイバー」が自身にとって人生の転機に
無数の祈りを受け止めてきたクスノキと、番人となった青年を中心に描かれる都会の群像劇――。小説家・東野圭吾さんが原作の『クスノキの番人』は、理不尽な解雇により職を失った主人公の青年・直井玲斗をはじめ、様々な葛藤を抱えながらも都会の一角に立つ神秘的なクスノキに集う登場人物たちが、それぞれの人生と向き合う重厚な物語です。劇中では、リアリティのある背景描写も印象に残ります。
本作で美術監督を務めたのは、新海誠監督によるアニメ映画『天気の子』など、数々のヒット作品に関わってきた滝口比呂志さんです。家業である町中華店で鍋を振る料理人から一転、22歳でアニメ業界を目指しました。挫折を乗り越えたキャリアの転機を振り返りつつ、最新作『クスノキの番人』について伺いました。
押井守監督作「パトレイバー」の劇場版が人生の転機に

アニメーション作品において、美術監督にはどのような役割があるのでしょうか?
背景を描き、作品の空間を表現するのが主な仕事です。はじめて作品をご覧になる方の印象を左右しますし、作品自体の本質を作り上げる責任ある役割だと思っています。監督と密なコミュニケーションをはかる場合もあるんです。監督の描いたコンテをもとに制作途中で画面設計を見直していくのは日本独特なようで、日本のアニメーション作品におけるクリエイターの熱意を表しているとも思います。
元々、アニメ業界へ入りたいという強い思いがあったのでしょうか?
娯楽がテレビしかなかった世代ですし、アニメは人並みに見ていました。ただ、アニメの仕事をやろうとは思っていなかったですね。中学、高校と進んで、卒業してからは家業の町中華を手伝っていたんです。幼少期から店を手伝っていたし、当たり前のように家業を継いで、中華鍋を振っていました。
そこから、なぜアニメ業界へ進んだのでしょう?
家業が休みの日に、友だちと観に行った押井守監督によるアニメ映画『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993)がきっかけでした。劇中で描かれる東京の街並みが素直にカッコよくて、ふと「自分もアニメの景色を作りたい」という衝動に駆られたんです。当時はまるで魔法にかかったような感覚で、22歳で今の業界へ入ろうと決めました。
約8年の制作会社勤務を経てフリーランスへ転身

料理人から、アニメ業界への転身は意外です。
親とは揉めましたね。人生を「自分で切り拓きたい」という気持ちも強かったし、実家も飛び出しました。自分の貯金を切り崩して、最初はアニメ制作を学べる専門学校に1年間通って卒業したんです。ただ、就職までは世話をしてもらえなくて、インターネットのなかった時代ですし、電話ボックスにあったタウンページ(電話帳)から電話番号を調べ、アニメ制作会社へ電話をかけて面接をいくつも受けました。そのひとつである『ドラえもん』『ちびまる子ちゃん』など、子ども向け作品の背景を中心に手がける「アトリエローク07」に入って、約8年勤めました。
その後、フリーランスとして独立されたんですね。
30歳ぐらいで独立して、現在に至ります。子ども向け作品の背景を中心に手がける会社で「リアルな背景を描きたい」という気持ちが強くなったんです。入社して次第に「どこか別の場所で働きたい」と思うのは、社会人にとってありがちな悩みとも思いますが、当時は若かったですし、会社では自分の描きたいものを作れないジレンマもあったんですよね。その思いから、勢いのままにフリーランスとなりました。
当初、どのようにお仕事を獲得していったのでしょうか?
前職でお世話になっていた別の制作会社の方に「会社を辞めたので、何かあったらお願いします」と連絡していました。その中のひとつが、声をかけてくださった「Production I.G」です。OVA(オリジナルビデオアニメ)作品や映画の背景に関わらせていただき、仲間同士で連絡を取り合っているうちに「手伝ってよ」と呼ばれる機会も増えました。
その後も、途切れることなく仕事を続けられて。
いや、途切れた時期は何度もありました。フリーランスとなって2〜3年目が一番辛かった時期で、数か月も仕事がなく、お金もないのでずっともやしばかりを食べていたほどですから。振り返ってみると、実績を積んで2〜3年目には、調子に乗っていたんですよね。「自分のやるべき仕事ではない」とせっかくいただいたお話しも突っぱねてしまって、仕事もなくなってしまうし、実力が伴っていないのに仕事をより好みしていたんです。そんな時期もあったので、現在では引き受けた仕事のすべてに感謝していますし、作品に参加するからには「完成まで全力で」と思っています。
新海誠監督との出会いがキャリアを立ち直らせてくれた

一番辛かった時期も乗り越えて、現在では20年以上にわたってフリーランスとしてアニメ作品に関わっていらっしゃいますし、順調に進まれている印象です。
必ずしも順調ではないですね。日々、必死です。シンプルに「上手い、下手」で評価される仕事ですし、どれほど描いても監督に認めてもらえないこともあるので、いまだに落ち込む日があります。過去の成功を振り返るときもありませんし、常にどん底から這い上がっているような感覚です。ただ、その感覚が「自分の力を磨いてくれる」とも思っています。
美術監督としての充実感、やりがいを感じる瞬間はありますか?
作品が完成して、公開されるときですね。喜びや幸せが込み上げてきますし、鑑賞してくださる方にとって人生のスイッチが変わる瞬間を「与えられた」という感覚が、背景美術の仕事を続けられる支えとなっています。食い扶持を稼ぐ意識ではなく「いい作品を世に出したい」の意識が勝っていますし、その意識でここまでやってきました。
そうしたキャリアにおいては、みずからスタッフに志願した新海誠監督によるアニメ映画『星を追う子ども』(11)も、転機となったのではないでしょうか。
元々、短編アニメ映画『ほしのこえ』(02)から新海監督の作品が好きだったんです。ただ、作品へ参加するにあたっては、前段がありました。『星を追う子ども』のスタッフとなる直前、参加していた映画でボコボコにダメ出しされて、背景美術の仕事をあきらめかけていたんですよ。背景のカットをどれほど仕上げてもその作品を手がけていた監督のOKが出ず、耳が痛い言葉を散々浴びせられて「もうアニメ業界を辞めよう」とすら思っていました。
その後も、中途半端な気持ちのまま仕事を続けていたんですが、たまたま知人から「新海監督が新作を手がけるらしい」という噂を聞いたんです。新海監督は、すべてのセクションをご自身で手掛けられたことのある方でしたので、僕の経験してきたアニメ業界の仕事とは違う環境で働けるかもしれないと思い、新海監督の所属会社に直接メールを送ったらお返事をいただけたんですよね。面接もあったんですが、その場で合格が決まり「これをお願いします」と絵コンテを渡されて、すぐさま『星を追う子ども』に参加することになりました。
東野圭吾原作『クスノキの番人』ではリアリティとファンタジーを両立

新たに、伊藤智彦監督によるアニメ映画『クスノキの番人』に美術監督として参加されています。実在するSHIBUYA109など、都会を舞台にした作品での背景描写は非常に緻密な印象でした。制作中はどのような意識を持っていたのでしょうか?
東野圭吾さんによる原作小説が、強く影響していたと思います。人の優しさや温もり、人情味が文章を通して伝わってきて「アニメーションとして世に出すべき作品」だと確信しました。なかでも、物語の鍵を握るクスノキは重要で、作品にあるリアリティとファンタジー感を両立するために「クスノキの持つ力は現実なんだ」と感じていただきたかったです。
クスノキの生える「月郷神社」は架空の場所です。しかし、クスノキの番人となる主人公・玲斗と、和菓子メーカーの御曹司で神社に訪れる大場壮貴が木のうろの中で語り合うシーンであったり、クスノキを中心としたシーンでは、まるで実在しているのかと思うほどのリアリティがありました。
参考にした場所はあります。劇中で描かれるクスノキは40メートル級ですが、現実には30メートル級が最高なんです。ただ、事前の設定段階で、すでにかなりスケールの大きなものになっていたので、熱海にある実際のクスノキも参考にしながら、原作の空気感を再現しようと務めました。
本作で新たに芽生えた、美術監督としての仕事に対する充実感、やりがいはありましたか?
なかなか大変な作品でしたし、素直に完成してよかったと思います。様々な作品に関わってきましたが、支えてくださったスタッフさんとともに、目頭が熱くなる瞬間を経験したのは本作がはじめてだったんです。感謝しかありませんし、全国公開によって多くの人に届く日が楽しみです。

周囲への敬意や謙虚さはそのままに「自分の足で」感性を磨いてほしい

最後に、アニメ業界での活躍を目指すクリエイターの方々にメッセージをお願いします。
心ない批評に悩むときもあるでしょうし、何かを表現するのは孤独だと思うんです。ただ、表現を続けていると、人との関わりが急激に濃密になってくる時期が押し寄せてきて、そこでいかに立ち振る舞うかが重要だと思っています。インターネットで技術を学べる時代では、技術の向上は時間が解決してくれますが、人間性はリアルでしか学べない。ですから、出会った人に対しての敬意や謙虚さは、常に持っていてほしいです。
また、表現は結局「自分の足で稼いだもの」から生まれるんですよね。手元のスマホを置いて、イヤホンもせずに街中を散歩してみると、思わぬ発見に巡り会えるはずです。美しい光景を素直に「美しい」と感じられるように、感性を磨いてほしいです。
取材日:2026年1月15日(木) ライター:カネコ シュウヘイ

©東野圭吾/アニメ「クスノキの番人」製作委員会
『クスノキの番人』
1月30日(金)全国公開
高橋文哉、天海祐希
齋藤飛鳥、宮世琉弥、大沢たかお
原作:東野圭吾「クスノキの番人」(実業之日本社文庫刊)
監督:伊藤智彦
脚本:岸本 卓
キャラクターデザイン:山口つばさ・板垣彰子
音楽:菅野祐悟
美術監督:滝口比呂志
美術設定:末武康光
色彩設計:橋本 賢
衣装デザイン:高橋 毅
CGディレクター:塚本倫基
撮影監督:佐藤哲平
編集:西山 茂
スーパーヴァイジングサウンドエディター:勝俣まさとし
リレコーディングミキサー:藤島敬弘
制作:A-1 Pictures・Psyde Kick Studio
配給:アニプレックス
©東野圭吾/アニメ「クスノキの番人」製作委員会
【主題歌情報】
主題歌:Uru「傍らにて月夜」
作詞: 清水依与吏
作曲: 清水依与吏
編曲: back number
【主題歌リリース情報】
2026年1月19日 digitalリリース
2026年1月28日 CDリリース






