描きたいから、描き続けて――。プロとして楽しさを貫く漫画家、真島ヒロさんの歩み

Vol.239
漫画家
Hiro Mashima
真島 ヒロ
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グランプリ
orange氏『ちいさなお客さん』

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準グランプリ
國安ユウキ氏『花葬』

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準グランプリ
Daniel Luskin氏『An Abstract Sunset』

1998年に新人漫画賞を受賞後「RAVE」( 講談社)や「FAIRY TAIL」( 講談社)など、数々の人気作品を手がける漫画家の真島ヒロさん。審査員を務めた「コピック」によって描かれた作品のコンテスト「コピックアワード2025」の審査会場でお話をお聞きしました。
未来あるクリエイターの作品に刺激を受ける今、キャリアを振り返ると漫画家を「『やめたい』と思ったことは一度もありません」と断言。祖父が実家の裏山から拾ってきた漫画をきっかけに惹き込まれた漫画の世界で、プロに「なれる」と確信していた幼少期から現在までの歩みを様々なイラストレーターによる作品の可能性に驚きを隠せなかったという「コピックアワード2025」の総評と共に聞きました。

アナログイラストの可能性に満ちた「コピックアワード2025」への思い


コピックアワード2025提供

今回「コピックアワード2025」の審査員を引き受けられた思いから、教えてください。

僕もコピックを愛用していたので、お話をいただいたときは懐かしくなりました。学生時代からデビューして初の連載作「RAVE」を描いていた当時までは、いつも手元にある画材だったんです。ただ、懐かしさから引き受けたものの、審査会場へ足を運んでみると、想像以上の熱気あるアワードで気が引き締まりました。

審査会場には多数の作品が並んでいました。

応募作品数に圧倒されました。会場にビッシリと並ぶ作品の数々を目にして、僕も漫画家として衝撃を受けましたね。1点1点の熱量が高く、おごそかな「展示会」のようで。ご一緒した審査員の方々も名だたるクリエイターの方々ばかりでしたし、無限の可能性を持つアワードで、僕の視点や感覚がどれほど通用するのかという責任の重さも痛感しました。

実際の作品を見ての感想も、教えてください。

どの作品もレベルが高かったです。絵が上手なだけではなく、コピックの特徴を活かした作品が多かったですね。コピック(コピック アルコールマーカー)は便利なカラーマーカーですが、色の重ね方が難しいんです。塗ったとたんに乾くので、ためらっていると色の境界線がくっきりと浮いてしまう。グラデーションをいかに作るかは作者に委ねられますが、今回のアワードでは、応募者の方々の創意工夫が随所に表れていました。色のにじみを上手に活かした作品も数多くあって「ここまで突き詰めているのか」と、驚きましたね。

真島ヒロ審査員賞
moco氏 『めいろ』

審査コメント
一次審査から選んでいた作品です。迷路になっていて「遊べる」という要素がとても魅力的だと感じました。
絵で遊べるというのは本当に楽しいことで、その楽しさが作品からもしっかり伝わってきます。

アナログの画材であるのも、デジタル全盛の時代ならではのコピックの魅力だと思いました。

僕も過去に使っていましたが、アナログならではの表現もあるんですよ。コピックで生まれる色のにじみやインクのかすれを、デジタルで意図的に再現するのは難しいんです。偶然生まれる表現はアナログならではの魅力ですし、作品づくりの難しさを楽しめる人が新たな作品へと挑む。今回のアワードは、そのための入り口としても大きな意義があると思いました。

漫画家に「なりたい」ではなく「なれる」と思っていた

コピックアワード2025提供

今回の「コピックアワード2025」のように、真島さんも新人漫画賞でプロへの切符をつかみました。プロとして二十数年、今も初心を思い出すときはありますか?

新しいことをはじめるときは、常に初心に返るつもりで取り組んでいます。年齢や経験を重ねていくと慎重になりがちですが、それでも忘れないようにしているんです。新人時代にしかない無謀さ、失敗を恐れなかった姿勢に立ち返るときはあって、若かった自分の心を呼び起こしています。

その原点として、幼少期から漫画にはふれていたのでしょうか?

実家の裏山から、祖父がよく漫画雑誌を持ち帰ってきたんですよ。雨に濡れて紙が波打っていたり、泥で汚れていたり、ページが破れていたりしても、幼い僕にとっては宝物のようで、夢中になって読んでいましたね。そこから「自分でも描いてみたい」と思い、新聞広告の裏に当時読んでいた「キン肉マン」(集英社)の好きな超人が戦う姿をマネして描くようになりました。

当時から、漫画家には憧れていたんでしょうか?

漫画家になりたいではなく「なれる」と思っていましたね。小学校でも両親が働きづめだったので、留守番中に漫画を描いていて、中学ではちょっとはワルさもして、高校ではバンド活動もしていたんですが、漫画だけはやめませんでした。

オリジナルの漫画を描きはじめたのは、いつだったんですか?

中学時代です。当時は『週刊少年マガジン』で藤沢とおる先生の『湘南純愛組!』や、加瀬あつし先生の『カメレオン』に影響を受けて、それがのちに「週刊少年マガジン第60回新人漫画賞」へ応募するきっかけにもなりました。

専門学校の仲間とも励まし合ったデビューまでの道のり

高校卒業後は漫画の専門学校に進んだものの、半年で退学されたそうですね。

長野県から上京して、親も「行ってこい」と背中を押してくれましたね。ただ、授業の内容がプロをめざすには遠回りだと思って、退学しました。1年目は漫画を描く道具の使い方から学ぶんですが、すでに知っていたし、学校の先生方もプロ目線でないと感じてしまって、作品を自分で描いて「編集部に持ち込む方が早い」と考えたんです。

その後、新人漫画賞へ応募されるまでは、どのような生活を送っていたのでしょうか?

半年ほど、昼はアルバイトで働き、夜は原稿と向き合う生活を続けました。寝る時間を削っていたし、徹夜で書き続けられたのは若さがあったからですね。2日に1度しか眠らないときもありましたし、振り返ると無茶苦茶でしたが、当時の経験が今の自分を支えていると思います。

ずっと、独学で漫画を描き続けていたんですか?

はい、完全に独学です。模写からはじめて、好きな漫画をひたすらマネしていました。ただ、同じ夢を持っていた専門学校の仲間とも、おたがいの漫画を見せながら意見交換していたので、孤独ではなかったです。

そして、努力が実り、新人漫画賞で入選された当時の心境はいかがでした?

僕は、最高位の「特選」の一つ下の賞を獲って「これですぐに連載できる」と勘違いしていたんです。ただ、実際には初の連載作「RAVE」まで1年ほどかかりました。その間には担当編集者から何度も手厳しい声をもらって、毎週のように編集部へ作品を持ち込み、ダメ出しを受けては描き直すという繰り返しでした。今では、自分が甘かったと分かりますし、自分を鍛えるための貴重な時間だったと思います。

憧れる漫画家もいらっしゃったんでしょうか?

鳥山明先生ですね。「ドラゴンボール」(集英社)は僕の青春そのものですし、キャラクターの魅力、ストーリーのテンポ、ギャグとシリアスの緩急がどれも完璧で、読むたびに心を揺さぶられました。他にもいらっしゃって、田中宏先生の「BADBOYS」からは、不良を描く力強さや独特のかっこよさを学びましたね。「はじめの一歩」(講談社)で知られる森川ジョージ先生は、同じ「週刊少年マガジン」での連載を持つ先輩として、技術面でも意識面でも数えきれないほどのことを教えていただきましたし、近づきたいと願う尊敬する存在です。

名だたる先生方と肩を並べるプロとしての自覚が芽生えたのは、いつでしたか?

読み切りのデビュー作「BAD BOYS SONG」が「週刊少年マガジン」の本誌に掲載されたときです。ページをめくると憧れる先輩方の作品が並んでいて「自分もプロになれたんだ」と実感しました。ただ、画力の未熟さや構成の甘さも痛感したんです。読者に読んでいただく以上は「中途半端では許されない」と、現実を突きつけられるターニングポイントでもありました。

漫画家を「やめたい」と思ったことは一度もない

作品を手がけるにあたって、軸にあるものは何でしょうか?

読みやすさはもちろん、読者がページをめくる手を止めずにいられる楽しさを意識しています。今、連載中の「FAIRY TAIL 100 YEARS QUEST」では、長年「FAIRY TAIL」シリーズを愛してくださっているファンへのサービスも意識していて、読者の喜びが作品を推し進める原動力になっていると感じています。

20代から40代にかけて、漫画家としての心境の変化もありましたか?

体力は、どうにもなりませんよね。20代の頃は夜通しで原稿を描いても平気でしたが、30代、40代となるにつれて、身体の無理は効かなくなってきました。勢いだけで突っ走れるのは若いうちだけですし、経験によって計算が先立つようになって、よけいなことまで考えてしまう時間が増えた気はします。ただ、どれほど辛い時間があったとしても「やめたい」と思ったことは一度もありません。僕は「描きたいから、漫画を描き続けている」と、胸を張って言えます。

そんな真島さんから、若いクリエイターへ向けてのメッセージをお願いします。

イラストの世界で生きていくなら、楽しんで描くことがすべてですね。苦しい時期もあるとは思いますが、楽しめなければ長く続けるのは難しいです。そして、漫画家を目指すなら漫画だけではなく、小説や映画、ゲームのような他の娯楽にも目を向けてほしいです。将来、役に立たない経験はありませんし、インプットの多さはいずれ、アウトプットの厚みに変わりますから。みなさんと漫画雑誌で肩を並べられる日を、心待ちにしています。

取材日:2025年9月19日(金)  ライター:カネコ シュウヘイ スチール:あらい だいすけ 動画撮影:浦田 優衣 動画編集:鈴木 夏美

コピックアワード2025

「コピックアワード」とは、世界中のコピックファンを作品でつなぎ、コピックでの作画・制作をより楽しいものにすることを目的としたコンテストです。

コピックアワードサイト:https://copicaward.com/ja/
プロフィール
漫画家
真島 ヒロ
1977年5月3日生まれ。長野県出身。1998年に「MAGICIAN」で「週刊少年マガジン第60回新人漫画賞」に入選。1999年より「週刊少年マガジン」にて「RAVE」を連載。2006年に同誌で連載スタートの「FAIRY TAIL」はテレビアニメ化、劇場版アニメ化、舞台化とメディアミックス展開を果たした。シリーズは世界で愛され、現在は同誌の公式アプリ「マガジンポケット」で「FAIRY TAIL 100 YEARS QUEST」を連載中。

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