「出来る」から スタートして チャレンジあるのみ!

Vol.84
株式会社フロムワン 代表取締役 小林澄生(Sumio Kobayashi)氏
 
 出版、イベントそしてフットサルコート運営まで、日本で唯一、〝サッカー〟をキーワードにありとあらゆる事業展開を手がける株式会社フロムワン代表小林澄生氏。国立競技場で日本代表戦が開催されても閑古鳥が泣いていたような時代から熱狂的なサポーター、いやサッカー小僧だった氏は、当初たった一人でその道を切り開き、会社を今日まで大きく成長させてきた。まずは行動あるべし。これからプロのクリエイターを目指す若い世代にとって、氏のバイタリティから学ぶべき事は多い。
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会社を立ち上げた経緯から教えて頂けますか?

単純に私はサッカーが大好きで(笑)。元々は広告代理店に勤めていました。1991年前後に「日本にプロサッカーリーグが出来る」という情報を得て、一サッカーファンとしてプロサッカーリーグの準備室に出入り始めました。当時から私は「日本にプロサッカーリーグが出来た場合は、やはり専門の媒体が必要である」ということを提案していました。それで、1992年の5月15日、つまりJリーグの開幕1年前に編集プロダクションというスタンスでJリーグの専門誌、『ジェイレブ』を朝日新聞社から創刊しました。そのあと1998年のワールドカップ、フランス大会に日本が初めて出場を決めて、今までとは少し違った形で日本のサッカーファンが海外のサッカーに触れる機会が出来た。それで「これからは日本のサッカーだけではなく、海外のサッカーがかなり注目されるだろう」と思い、媒体や事業を広げてゆきました。

『フロムワン』という会社が目指す所は何でしょうか?

日本のサッカーの普及発展に貢献できることは基本的に何でもやる会社です。日本でそういう考え方でサッカーにたずさわる企業は、おそらくわが社だけじゃないでしょうか。例えば、『サッカーマガジン』、『サッカーダイジェスト』、あるいは文藝春秋の『Number』も、基本的にはみなさん、「出版社」という形ですよね。わが社は、出版社ではあるけど出版だけではない。

「サッカーの総合商社」みたいな。

そうですね。例えば、以前はJリーグのあるチームが優勝して、その特集号を発行する文化はなかった。わが社は「求めるファンがいる以上は伝えるべきだ!」と思い発刊しました。今までどの出版社もやらなかった事なので冒険でしたが、売れると確信していたし、実際売れました。結果的に競合他社も同じことをやり始めたが、それはそれで日本のサッカー文化がひろがったという事でもある。追随されて『嫌だな』というより、目に見えるカタチで日本のサッカー文化に貢献が出来た事が嬉しいですね。

海外の有名サッカー雑誌を出版する会社とも提携されています。活路はどのように見出したのですか?

飛び込みです(笑)。直接メールを出して直接尋ねて行きました。1998年のワールドカップ・フランス大会で、イタリア代表が話題になりましたね。イケメンたちが大勢いた時代で、「じゃあうちで、日本初のセリエA専門の雑誌を作ろう」と思ったのが最初です。周囲からはかなり反対されたけど雑誌作りの手段として、海外の雑誌社と提携する事を思い付きました。 相手は世界的にも有名なイタリアの雑誌社でした。メールを出して直接尋ねてゆくなんて事、大手出版社は絶対しない。最初から無理だと諦めている。でも、わが社は諦めなかった。どうしてもそこと提携したかったのです。 契約は次の2002年日韓ワールドカップまでの4年間という長期契約でした。当時彼らは日本を市場としては捉えていなかったので、それなりの好条件で契約できました。そのあとにヒデ(中田英寿)がセリエAに移籍が決まり、日本でセリエAブームがおきました。結果、『セリエAといえばフロムワン』と知れ渡りました。以来弊社にとって「ヨーロッパのサッカー文化を紹介することが、日本のサッカー界やファンに貢献出来るひとつの形」という目標が出来ました。

"夢"がそこにあるならば、時には採算度外視の挑戦も良し!

現在では出版事業にとどまらず、キャプテン翼スタジアムの運営もされています。

これも、他の出版社ではやらないことをやろうと。だって、あったら良いなと思いますよね。日本のサッカー界がいまあるのは、もちろん大勢の方々が貢献していますが、そのうちの大きな役割を『キャプテン翼』という作品が担っている。やっぱり一緒に何かやりたかった。高橋陽一先生には数年かけて提案し続けて実現しました。

2006年には、セルジオ越後さんと一緒に、アイスホッケーの日光アイスバックス(株式会社栃木ユナイテッド)の経営にも、代表取締役として携わるようになりました。

いま日本のサッカー界はそれなりのひろがりを見せていますが、高橋陽一先生の描いた『キャプテン翼』の貢献は非常に大きかったが、もうひとり、決して忘れてならないのはセルジオ越後さんの存在です。1978年からセルジオさんが約30年間実施してきた「さわやかサッカー教室」。全国津々浦々をまわり約60万人もの子どもたちに教えてきました。その中から、Jリーガーや日本代表の選手が輩出されてきました。高橋陽一先生、セルジオ越後さん。サッカーに関わる人間として、このふたりと一緒に何かをしたい、貢献したい、と考えるのは、わたしにとっては至極当然の事でした。それで、ある方からご紹介頂き、長い年月をかけて関係性を築いてゆきました。3年ほど前、日光アイスバックスの経営をセルジオさんから「一緒にやってくれないか」と声をかけて頂いた時も、断る理由なんてありませんよ。採算の取れる可能性のきわめて低い会社の経営を、わかっていて引き受けるわけですから、さすがに悩みはしましたけど(笑)。でもセルジオさんと一緒に仕事ができる事のほうが、わたしにとっては価値ある事だったのです。

「経営者」という立場からスタッフを雇う時の基準は何でしょうか。

わが社はすごく分かりやすくて「サッカーが好き」という共通言語を持っている事が絶対条件です。ただ、それは非常に悩ましい問題でもあります。ということは、自ら人材の幅を狭めてる、枠を狭めてる事になるのです。 とはいえ、わが社の企業スケールでは、その共通言語を持っていなければ仲間に入れないような雰囲気もある。ただし今後はもう一歩先に進んで、企業体としてもうひと皮剥けたカタチになる必要はあると考えています。

集合体で大切なのは一体感。要はみんなが同じ方向を向いてるかどうか。その視点から考えると、「サッカー」という共通言語があるかないかということは非常に重要ですよね。

企業は大小に関わらず、社内の一体感を作ったり方向性を定めなければいけませんが、わが社の場合は無理に作る必要がない。「サッカーが好き」という共通言語があるおかげで、仕事上で辛い事や問題を抱えたとしても、協力し合って乗り越えられる。それは強みですね。

難しく考えるな!「出来る」と信じる事から始めよう。

今後の「夢」について伺わせて下さい。

いまフロムワンは「サッカー関連の総合商社」みたいなイメージで会社経営に取り組んでいますが「サッカーのことならフロムワン」と、より一層言われるような立場に持って行きたいですね。 ただ、これはうちだけで出来る事ではありません。いま、わが社にはユーザー、アクセスともに日本一かも知れない毎月400万人のサッカーファンが集まる。『サッカーキング』というwebsiteがあります。このwebsiteを活用して新しい事業展開を生み出したい。 印刷媒体ではなくweb媒体のほうが、今後はもっと凄いことが出来る可能性を秘めているのは間違いない。サッカー文化の醸成や普及啓蒙していく事がもっと広く出来る。それで、サッカーキングというサイトを、わが社だけで活用するのではなく、すべてのサッカーファンのために開放する事で、相互コミュニケーションがとれる形でサッカー文化の発展に寄与出来たら良いなと思います。あらゆる出版社、あらゆるファンの垣根を越えて、サッカーに関わっていろいろな事に取り組んでいる人たち全員が「サッカーキング」というサイトを活用出来るようにしたい。それがサッカー界全体の発展に寄与できることかなと思います。

会社単体での取り組みも考えていらっしゃいますか?

本社三階はサッカーに関わるイベントスペースとして解放しています。120人ぐらい入れるので、さまざまなイベントに使える。Jリーグの地方のチームが、何か東京でやる時に活用していただいたり、先日もあるメーカーさんの展示会で使って頂きました。サッカーファン全体に対してさまざまなサービスを提供できるような企業にしていきたいな、と考えています。

最後に。若いクリエイターにメッセージをお願いします。

まずは自分で考えて、自分で行動を起こす事。それが私の原点でもあります。みないろいろな事は考えるけど出来ない事から考えてしまう人が多い。そうではなく、何事もまずは「出来る」というところからスタートして欲しい。それが成功に繋がる唯一の方法論ではないでしょうか。「隗(かい)より始めよ」ではないですが、まずはチャレンジあるのみです。

取材日:2012年8月10日

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