アウェリ(Awely) の祈り 後編 @Tate Modern

Vol.164
アーティスト
Miyuki Kasahara
笠原 みゆき

Song of the Emu 1991  Emily Kame Kngwarreye

会場のどこからか女性達の歌声が聞こえてきます。これはアウェリ(Awely)と呼ばれる先住民の女性達の神聖な儀礼の歌。歌の意味は多層的で、多くは日常会話にはない詩的な言葉で表現されます。歌の中には、旅をしながら身をかがめてファンフラワーとデザートレーズンを食べる祖先のエミューについて歌った詩があります。女性たちは歌い踊りながら、このエミューの行動を体現します。


砂絵を描くウングワレー

オーストラリアの先住民族は太古から、地面に絵を描いたり、岩や木に模様を刻んだり、儀式のために体に絵を描いたりしてきました。ウングワレーも同様です。そして、彼女はコミュニティの年長者として、儀式のために女性達の身体に石膏や黄土などの天然顔料を直接着色するボディ・ペインティングを指導していました。


Anwerlarr(鉛筆ヤムイモ)

Anwerlarr(鉛筆ヤムイモ)は、アルハルクラ地方に自生する植物。このヤムイモはマメ科の植物で、人々は通常、地表の蔓が枯れた後にその食用根を掘り起こします。これらは熱した土と炭で軽く煮たり、生で食べたりします。


Anwerlarr(Pencil Yam)1990 Emily Kame Kngwarreye

こちらはAnwerlarr(鉛筆ヤムイモ)をテーマにした作品。Anwerlarrは黄色い花と鮮やかな緑色の三つ葉の葉を持ち、長く伸びる蔓は地面で絡み合い、筵(むしろ)ような形状を成し、近くの植物に絡みついたりします。


Kam 1991 Emily Kame Kngwarreye

ギャラリーの天井まで聳える数メートルの壮大な作品。こちらのモチーフはAnwerlarr(鉛筆ヤムイモ)の種子。この植物は花を咲かせ、地表だけでなく地中にも種を実らせます。その莢(さや)に包まれた種子はKamと呼ばれ、Emily Kame Kngwarreyeの名の由来となっています。Kamは色を変えます。最初は白く、その後黄色になり、そして歳を重ねるにつれて赤褐色になります。色の変化は人間の人生の段階に例えられます。白いものはampa akely (子供)、黄色いものはawenk(十代の少女)、赤褐色のものはarelh ampwa (老女)。


My Country 1993 (一部分) Emily Kame Kngwarreye

70代で初めて絵筆を握り、86歳で他界するまでのわずか8年間に3,000点以上の作品を残したウングワレー。初期の点描に始まり、やがてストライプ、有機的な線描など、画風を変えながら精力的に活動し、その作品は世界各地の美術館のコレクションに収められ、現代美術家としての地位も確立しています。そのパワーの源は一体何だったのでしょうか。

The Alhalker Suite 1993 Emily Kame Kngwarreye

Marn Everything IV (Bush Food) 1993  Emily Kame Kngwarreye

Winter Awely I  1995  Emily Kame Kngwarreye

Not Titled 1996 Emily Kame Kngwarreye

オーストラリアの先住民族は1788年の英国植民地化によって土地を追われ、さまざまな迫害を受けてきました。

1920年代、ウングワレーが少女だった頃、彼女の住むアルハルクラ・カントリーはまだ、白人入植者が管理していたオーストラリア内陸部のさらに奥地に位置していました。しかし、彼女の一族も植民地化による壊滅的な影響から逃れることはできませんでした。入植者たちは、一方的に羊や牛を導入し、柵を築き、水を得るために井戸を掘ることで、先祖代々の土地を牧地へと変貌させます。当時初めて白人を目にした彼女はこの恐ろしい出会いを、今でも覚えていて、新参者たちをArrenty(悪魔、怪物)だと思ったそうです。

やがてアルハルクラの東側の地域は入植者に占領され、ユートピアと改名されました。ウングワレーを含む多くの先住民族の人々は、これらの新たに形成された牧場で、通常は賃金ではなく配給と引き換えに働かされました。彼女は家畜の番をし、厨房で働きました。

しかし1967年に転機が訪れます。国民投票による憲法改正のため先住民族が市民権を獲得するのです。植民地支配から約180年後です。

1976年には先住民族の土地所有権がノーザン・テリトリー(北部準州)で許可され、アボリジニ自由保有地として同州の36%が、再び先住民の手に戻ります。

翌1977年オーストラリア政府はアボリジニの女性を対象とした教育プログラムを実施、美術工芸の授業ではインドネシアのバティックのワークショップを開催します。ウングワレーもこれに参加。ワークショップは、アボリジニの人々の経済的自立を目的に企画されたもので、女性たちは、民族の文化と習慣を伝える儀式であるアウェリ(Awely)をバティックで表現し、現金報酬を得ます。この際、彼女らはユートピア・ウィメンズ・バティック・グループを結成します。

ユートピアで土地所有権回復のための聴講会が開かれた1979年、ここで女性達はバティックを持参し、アウェリを実演して権利を主張します。バティックが収入源となる染め物としてだけではなく、アボリジナル文化を記録、継承する美術、知的財産であるとして裁判官や関係者の強い関心を引きます。これにより、ユートピアの土地所有権も認められ、ウングワレーは牧場から故郷アルハルクラへ戻ることができたのです。

そして11年に渡りバティックの制作を続けた後、1988年に画家としてのデビューを果たします。その時、彼女はすでに78歳になっていました。

プロフィール
アーティスト
笠原 みゆき
2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。 Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。
ウェブサイト:http://www.miyukikasahara.com/

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