泥ヒバリが見つけた宝物?! @LONDON MUSEUM DOCKLANDS

Vol.162
アーティスト
Miyuki Kasahara
笠原 みゆき

今回訪れたのはテムズ川のほとりにあるロンドン・ミュージーアム・ドックランズ(LONDON MUSEUM DOCKLANDS)。以前にも紹介しているので詳細は省きますが、ミュージーアムは1802年に大掛かりな貿易港として開かれたウェスト・インディア・ドックスの、今も残るその200年以上前の建物の一つを利用しています。まず、ディスプレイに並んでいたのは紀元前一万年〜数千年以上前の石器の数々。上方には紀元前800年の銅製の剣があります。これは特別な儀式のために使われたもの?

こちらは13世紀〜18世紀の様々な装飾品や靴。さて、これらは一体どこから発掘されたのでしょうか。

こちらはそのお宝を発掘する人々のフィギュア。なんだかドロドロした泥の中から掘り出している様子。

しかも皆変なお面を被っている?!彼らはマッドラーク(Mudlark)又はマドラーカーと呼ばれる人たち。Mud+lark=泥+雲雀、直訳して泥ヒバリ。でも鳥のヒバリのことではありません。遊ぶ、はしゃぐという意味の動詞「to lark=ヒバリ」から来ていますが、ここでは物色したり、掘り返したりすることを意味します。マッドラークは18世紀末から職業として存在していて、それは主にテムズ川で行われていました。先に触れた石器や装飾品も実は全てテムズ川からマッドラークによって拾い出されたものだったんです。

さて、上の変な仮面を被っている3人はというと、Alessio Checconi (跪いている人)、Mark Iglesias Vasco (立っている人)、Caroline Nunneley (膝に手を乗せてお宝をかざしている人)といった著名なマッドラーク達。これらの肖像作品はBillie Bondの「Finders Keepers, 2025」各々の頭は彼らが見つけた代表的なお宝にすげ替えられています。

会場はテムズ川岸の泥地をイメージした設え。展示のタイトルは「Secrets of the Thames」

見てください、こちらの盾!美しい幾何学模様に紅色のガラスがはめ込まれています。推定年は紀元前350年〜50年。2000年以上前に作られた盾から当時のケルト人の文化の高さが伺われます。1857年にロンドン南部のバタシーのテムズ川岸から見つかっています。

現在ではマッドラークといえば、主にテムズ川から歴史的な遺物を漁る人を指しますが、マッドラークという言葉が使われるようになった当初のビクトリア朝時代はそうではありませんでした。

マッドラークに関する初期の記録では、主に8歳から15歳までの子供、年配の女性、そして時には男性もいたとされています。物乞いの中でも最下位に位置していた彼らは貧困の中で暮らし、川の泥漁りで集めた屑物を売ることで暮らしを立てていました。一方で、川の近くに住んでいた彼らは、潮汐に関する深い知識を持っていたといいます。

1851年、ジャーナリストであり改革者でもあったHenry Mayhewは、ロンドンの貧困層に関する3冊の本を執筆しました。上の挿絵はその著書の一つ『London Labour and the London Poor, Henry Mayhew, 1864』。描かれているのは彼が出会った、帽子に拾ったものを集めていたマッドラークの少年。彼は数人のマッドラークにインタビューし、彼らを特異な階級として描写しています。

月明かりを頼りに、テムズ川岸辺をサックをいっぱいにするための屑物を探しているのは、二人の若いマッドラーク。1850年にはマッドラークは1日に8〜12ペンスほど稼いでいたとされています。これは、当時食料を買うのに十分な金額で、運が良ければ下宿屋で寝ることもできました。二人の後ろには、17世紀にバッキンガム公のために建てられた堂々としたYork WaterGateが聳え立っています。それは、富の象徴で、マッドラーク達のわずかな収入とは対照的です。絵画はHenry Petherの「York WaterGate and the Adelphi from the River, by Moonlight, 1850」

見えるかな、アルファベットの活字、文字が彫られた金属製の小さな文字の型。 これらもテムズ川で見つかったもの。ダヴズ・プレスは、ロンドンのハマースミスに拠点を置く出版社として、1900年にアーティストのT. J. Cobden-Sandersonと友人のEmery Walkerによって設立されました。彼らは当時「史上最も美しい書体」と評されたダヴズ書体を考案、傑作『ダヴズ・バイブル』の印刷に使用しました。ダヴズ活字は、文字や句読点が逆さまに記されています。植字工は、文字を正しい順序に並べ、紙に印刷するために、苦労して活字を並べました。

アーツ・アンド・クラフツ運動を率いたウィリアム・モリスの友人でもあったCobden-Sanderson。彼の完璧主義はWalkerとの10年間にわたる論争を招きます。最終的に二人のパートナーシップは解消。そして、Cobden-Sandersonが死ぬまでこの活字を独占的に使用し、その後Walkerに譲渡することで合意に至ります。

しかし、Cobden-Sandersonは考えを変えます。1916年に健康が衰え始めると、彼は活字をWalkerに残すのではなく、テムズ川に「遺贈」することを決意するのです。活字全体の重さは1トンを超えました。1916年8月31日の真夜中、サンダーソンは会社にほど近いハマースミス橋から貴重な活字をテムズ川に投げ込みます。全ての活字が川に流されるまでに、170回もの往復を要したと日記に記しています。

コインには「The Lawn Tennis Championship」と書かれています。盗まれた財産が川岸で見つかることはよくありますが、持ち主の元に戻ることはめったにありません。テニスチャンピオンのピーター・フレミングは、家の盗難事件の後、大切なメダルを永遠に失ったと思っていました。しかし、マッドラークのおかげで、メダルを取り戻すことができました。

フレミングは1976年から1988年にかけて、ウィンブルドン選手権のダブルスで数多くのメダルを獲得。彼はジョン・マッケンローと組んだ男子ダブルスで圧倒的な強さを見せ、50以上のタイトルを獲得しています。

ウォータールー・ブリッジの袂に立つマッドラーク。写真はJohn Chaseの作品。

色々紹介したいのですが、コラムの文字数が大幅にオーバーしてしまっているので最後のギャラリーへ。そこには天井まで届く月の模型が輝いていました。そしてその脇の区切られた小部屋には一人一人のマッドラークから話を聞けるようにその肉声が録音された物語が用意されていました。

ところでどうして月なの?テムズ川は潮の満ち引きの影響を受ける Tidal River「感潮河川」。最も干潮と満潮の差の生まれる大潮時には、川の水位は7メートル以上も変化し、強力な流れを生み出します。テムズ川の潮汐地帯は、テディントン閘門から北海に至るまでの95マイル(約145キロメートル)の区間。毎日の強い潮により海から海水が押し寄せることで、流れが強く、水深も変化する、活気に満ちたダイナミックな海洋環境を作り出します。そして干潮時には、川と歩んできた人々とロンドンの都市の歴史を垣間見せてくれるのです。

プロフィール
アーティスト
笠原 みゆき
2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。 Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。
ウェブサイト:http://www.miyukikasahara.com/

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