清涼な風景が生んだ「流しそうめん」に、アイデアの極意をみる

福岡
ライター
kosaka
香坂

ぱくたそ[ https://www.pakutaso.com ]

 

先日、友人から「今度納涼会をしよう」と誘われた。

とはいえ納涼って、一般的にどのようなことをするものなのだろう?と調べてみたところ、どうやら以下のような過ごし方が定番らしい。

 

・ビアガーデン

・屋形船

・縁日

・花火大会

・流しそうめん

 

なるほど。つまり夏らしいイベント、かつ夜風や浴衣なども含め、涼しげな気持ちになれることをすればいいのだな、と。

 

 

そこでふと気になったのが「流しそうめん」である。

親子向けの催しというイメージはあるが、子どもが喜ぶ、それ即ち非常に遊び心があるアクティビティということだ。

何よりあの竹で造られた専用の器具。

ひと目で流しそうめんをするのだと分かるその造形は、何とも言えない独創性を感じさせる。

 

流しそうめんは、果たしてどのようにして生まれたのだろう?と考えてみると、何と地元九州にそのルーツがある、という説を目にした。

 

場所は宮崎県の高千穂町。

一説によれば昭和30年ごろ、『千穂の家』という食事処の社長が生み出したものが元祖だと言われている。(以下、引用)

 

昭和30年、当時の新聞各社の支局員が屋外でそうめんを湯がき、高千穂峡の冷水にさらして食べ、涼を得たという事を記事しました。その新聞記事を見た千穂の家社長が、試行錯誤の末に「そうめん流し」のスタイルを生み出したといわれています。

引用元:高千穂町観光協会

 

また、以下のサイトには「暑い夏の野良仕事の際に」という記載もあった。

参考:島原「そうめんの山道」

 

まとめると、当時高千穂町を訪れていた新聞社の駐在記者が、野良仕事の合間に「涼を得よう」と屋外で茹でたそうめんを竹に入れ、そこに高千穂峡の冷水を流した。

そして地元の飲食店の社長がその光景にインスピレーションを受けた結果、長い竹樋(たけひ)を用いた現在のような形で商業化したということのようだ。

※諸説あり

 

しかし流しそうめんのルーツが高千穂、と言われると、何となくすんなり腑に落ちる部分もある。

私自身過去には高千穂峡に足を運び、その荘厳な滝の風景に息をのんだからだ。

(筆者撮影)

美しい緑の中で、冴えわたる流水のさえずり。

パワースポットとしても有名だが、それ以上に日々の喧騒が遠いもののように思わせてくれる静かな存在感が、多くの人々を癒すのだろうと感じさせられた。

 

きっと流しそうめんを発案した方の記憶にも、あの風情は根付いていたに違いない。

竹を割り、繋ぐことで開通したそうめんの通り道は、まさしく懐かしい高千穂峡の涼しげな姿に重なった。

 

夏の一幕を切り取るように生まれたそうめんの一つの楽しみ方が、その後も数十年にわたり愛され続ける。

日常のふとした瞬間から創造や発明は見出され、現在にも受け継がれているのだと思うと、私も創作者の端くれとしてそういう視点を大切にしていきたいな、としみじみ心に刻まれた。

たとえ小さなアイデアでも取りこぼさず、丁寧にすくい上げたいものです。

プロフィール
ライター
香坂
オリジナル会葬礼状のライター業を経て、現在は情報誌、およびWEB系のフリーライターとして活動中。漢字とひらがなのバランスに悩むのが好き。仕事におけるモットーは「わかりやすく、きれいに」。趣味はお酒・アイドル・展覧会鑑賞・化粧品。創作は何を書いても不穏な雰囲気になるのが強み、かもしれない。

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