職種その他2026.06.04

小説家と物語、2つの世界がひとつの舞台で融合する名作「アイ・ラブ・坊っちゃん」

東京
エンタメ批評家・インタビュアー・ライター・MC
これだから演劇鑑賞はやめられない
阪 清和

※写真は、ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」の一場面。前列が井上芳雄(左)と三浦宏規、後列上部に小林唯=(写真提供・東宝演劇部)

小説家が自身の作品を創り上げる時、主人公が自分を投影したものであればあるほど、小説家が主人公と共に悩み、行き詰まり、思索の旅を共にすることが多くなる。時には互いが互いに影響を与えることもあり、小説家が実際に経験したことが小説の展開に影響を与えたり、主人公の行動が小説家の生活に微妙な波風を立てたりすることもあるのだ。実際にそんなことが起きているかどうかは分からないが、この容易には目に見えない不思議なメカニズムを舞台作品として昇華させたのが、日本のミュージカル史に大きな足跡を残したミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」である。一貫して日本のオリジナル・ミュージカルを生み出してきた音楽座ミュージカルの名作を東宝が明治座と共にリスペクトを込めて上演しているのが令和の時代に降り立ったミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」。文学へのリスペクトとミュージカルの歴史へのリスペクトが相まり、馥郁たる香りを放つ良質な作品に仕上がっていた。

音楽座ミュージカルは海外の翻訳ミュージカルが大勢を占めていた創設時代から「日本発のオリジナル・ミュージカル」を生み出すことを重要な目標としていた。もちろん「星の王子様」をミュージカル化した「リトルプリンス」など海外の文学作品を題材にしてきた歴史もあるが、「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」をはじめ、「とってもゴースト」「マドモアゼル・モーツァルト」「泣かないで」「ホーム」「メトロに乗って」「7dolls(七つの人形の恋物語)」「ラブ・レター」「グッバイマイダーリン★」「SUNDAY(サンデイ)」などオリジナル・ミュージカルの名作と言われる作品を数多く上演してきた。
現在、東宝ミュージカルなどでプリンシパルキャストを務め、日本のミュージカル・シーンの中心にいる俳優たちが口をそろえて、そのオリジナリティを絶賛する創作集団である。特にスター俳優の井上芳雄はひときわ音楽座ミュージカル愛が強く、近年、東宝製作で「シャボン玉とんだ宇宙(ソラ)までとんだ」など複数の作品を上演し、主演した。
今回もその流れの延長線上にある公演で、井上が夏目漱石役として主演。妻役で音楽座ミュージカル出身の土居裕子が共演している。坊っちゃん役をミュージカル界の若手有望株、三浦宏規が演じている。

小説家の現実の生活と、その頭の中にある小説の世界という次元の違うふたつの世界を舞台というひとつの空間の中に浮かび上がらせた作品で、「吾輩は猫である」で評判を呼んだ夏目(井上芳雄)が「坊ちゃん」を書き進めていく過程が描き込まれている。
夏目は妻(土居裕子)と4人の子どもと共に東京・駒込千駄木町の自宅に住んでいたが、まだまだ小説だけでは食ってはいけず、教師の仕事を続けている。生来の癇癪持ちで、尽くしてくれる妻にも文句ばかり。新作の執筆も思うようには進まず、鬱屈した思いを抱いていた。
新作の構想を話したのは、「吾輩は猫である」を載せてくれた俳句雑誌「ホトトギス」を、早くに逝ってしまった正岡子規から引き継いだ高浜虚子。無鉄砲で「てやんでぇ」な性格の坊っちゃん(三浦宏規)が、やがて数学教師として赴任した愛媛県松山市の中学校での日々が新作の物語の主軸だ。
曲がったことが大嫌いな坊っちゃんは周りの人々とぶつかるが、一方でさまざまな出会いも経験する。教養があるが腹黒い教頭の「赤シャツ」(松尾貴史)や、正義感あふれる性格で共鳴する「山嵐」(小林唯)。事なかれ主義の校長や、町一番の美人と評判の「マドンナ」(彩みちる)など豊かなキャラクターがそろう「坊っちゃん」の世界。それはやがて夏目の日々の生活にも影響を与え、突破口が見つけられず鬱屈していた日々に風穴を開け始める。
躍動する登場人物たちは物語も現実の生活もある種のクライマックスへと導いていく。

文学ファンにとっては、夏目の頭の中を覗き見て小説を組み立てていく過程が手に取るように分かり、思わず身を乗り出すような感覚に陥る。ふたつの世界が作用しあう様が臨場感を高めて表現されていて見応え十分。作者と主人公が共に抱える感情のコントロールの問題をどう解決していくのかに絞って観てみるのも面白い。
坊っちゃんの唯一の理解者だった実家のお手伝いさん、清(春風ひとみ)の存在が坊っちゃんが成長していく過程で、重要なポイントとなっていることも明らかになっていく。
演劇ファンにとっては、日本のオリジナル・ミュージカルがいかに質の高いものであるかを知るきっかけにもなる。

音楽座ミュージカルは今も良質な作品を創り続けている。これから日本のミュージカル界は、競い合って新しい作品に挑むとともに、業界の財産とも言える作品を協力して磨き上げ、いつか世界中で上演される作品を生み出してほしい、と心から思う。

ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」は、2026年6月7~11日に北海道札幌市の札幌文化芸術劇場 hitaruで、6月22~28日に大阪市の大阪SkyシアターMBSで上演される。これに先立って5月1~31日に東京・浜町の明治座で上演された東京公演はすべて終了しています。

プロフィール
エンタメ批評家・インタビュアー・ライター・MC
阪 清和
共同通信社で記者として従事した31年間のうち約18年は文化部でエンタメ各分野を幅広く担当。2014年にエンタメ批評家・インタビュアー、ライター、エディターとして独立し、ウェブ・雑誌・週刊誌・パンフレット・ガイドブック・広告媒体・新聞・テレビ・ラジオなどで映画・演劇・ドラマ・音楽・漫画・アート・旅・食・メディア戦略・広報戦略に関する批評・インタビュー・ニュース・コラム・解説などを執筆中です。雑誌・新聞などの出版物でのコメンタリーや、ミュージカルなどエンタメ全般に関するテレビなどでのコメント出演、パンフ編集、大手メディアの番組データベース構築支援、公式ガイドブック編集、メディア向けリリース執筆、イベント司会・ナビゲート、作品審査(ミュージカル・ベストテン)・優秀作品選出も手掛け、一般企業のプレスリリース執筆や顧客インタビュー、メディア戦略や広報戦略、文章表現のコンサルティングも。日本レコード大賞、上方漫才大賞ATPテレビ記者賞、FNSドキュメンタリー大賞の元審査員。活動拠点は東京・代官山。Facebookページはフォロワー1万人。noteでは「先週最も多く読まれた記事」に26回、「先月最も多く読まれた記事」に5回選出。ほぼ毎日数回更新のブログはこちら(http://blog.livedoor.jp/andyhouse777/)。noteの専用ページ「阪 清和 note」は(https://note.com/sevenhearts)

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