捨てられない葉っぱ
いま我が家の冷蔵庫には、「あいう」と書かれた葉っぱが堂々と飾られている。
これには深いワケがあって、というか、わたしの性分が大きく関係していて、捨ててもよかったものをここ1ヶ月ほど捨てられなくて、もうどうしたらいいのかわからなくなって、ついには飾ることを選んでいるのだ。
わたしは、手書きのものにめっぽう弱い。
たとえば手書きで書かれた手紙やメッセージをもらうと、ほんとうに嬉しくなる。
「ありがとう」とか「ごめんなさい」とか「がんばってね」とか、そういう一言だけでも嬉しい。
勝手に頬がゆるんで、内臓がぐんとあたたかくなる。
そういうふうに身体にも気持ちが伝染するくらい、有頂天になってしまう。
そもそも手書き文字がすきだから、という理由もあるのだが、わたしを思い浮かべながら文章を考えたり、文字を書いたりしてくれる、その手間と時間と気持ちがありがたい。
そんなことに思いを巡らせていると、わたしは手書きのものをどうしても捨てられなくなる。
しかし問題の「あいう」の葉っぱは、手書き文字なのはいいのだが、特にわたしに気持ちを寄せて書かれたものではない。
なのに、わたしは捨てられずにいて、最終的には自宅の冷蔵庫に飾っている。
この葉っぱをくれたのは、仕事でお世話になった取材先のおじいさんだ。
仕事がひと段落してから、そのおじいさんとわたしが外ですこし雑談をしているとき、ふと側に目をやると「タテヨウ」という木が生えていた。
おじいさん曰く、タテヨウは別名「ハガキの木」とも呼ばれていて、葉っぱの裏に尖ったもので文字を書くと、その部分が黒く変色して浮かび上がってくるらしい。
タテヨウが「葉書」の由来だとも教えてくれた。
それを実演するために、おじいさんがタテヨウの葉っぱをぶっきらぼうに2〜3枚を束にしてブチッとちぎると、自分のボールペンを取り出し、芯を出さずに葉っぱの裏に文字を書く準備をしはじめた。
どういう言葉を書こうか迷っている様子だったが、「う〜ん、まあ、なんでもいいか!」といった具合で何かをサラサラ書いた。
「ほら見て!」おじいさんは言う。
すると、どんどん文字が濃くなり、「あいう」が浮かび上がった。
わたしは「ほんとだ〜!これはすごいですね!」と返すと、純粋無垢な笑顔を見せたおじいさんは「はい、あげる!」と葉っぱをこちらの手に乗せた(人から「あげる!」と言われると反射的に手を目の前に出してしまうのはなんでだろう)。
こうして、わたしは「あいう」の葉っぱをいただくことになったのだが、正直に言おう。
おじいさんとの一連の会話は、なんというか、わたしからしたら間をもたせるための雑談にすぎず、頭の中は仕事のことを考えているから受け答えもかなり適当である。
だから「ほんとだ〜!これはすごいですね!」という返しも、「すごい」とはおもっているけれど、割合からしたら20%くらいしか気持ちは乗っていない。
“すごい:20%” のテンションなもんだから、手書き文字入りの葉っぱをもらったとしても、かなり困る。
一応「ありがとうございます〜!」と伝えるのだが、心の底では(これどうしよっかなー)である。
これ以上考えるのは時間がかかるので、わたしはとりあえず、ポケットに葉っぱを入れた。
そのあと捨てようとしても、あのおじいさんの「あいう」の手書き文字が頭をよぎり、なんだか捨てられなくなり、ポケットに葉っぱをまた戻した。
そのあと一日を慌ただしく過ごし、やっと帰宅。
「疲れたな〜」と思いながら、その日ポケットに入れたものを取り出そうとすると、ガサガサしたものが。
あの葉っぱだった。このときポケットに手を入れるまで存在をすっかり忘れていた。
「そういえばいつ捨てようか迷ってたんだっけな、もう考える気力もないな、よし明日考えよう」。
そしてわたしはこれを何日も繰り返すことになる。
葉っぱが我が家に来てから1ヶ月を迎えようとした頃、わたしは観念して飾ることにした。
もうどうせ捨てられないのだから、飾ったほうが気持ちもラクになる。
なんの思い入れもない「あいう」の葉っぱだが、飾ったことで最近は愛おしい気持ちが芽生えてきた。
よくよく考えると、葉っぱに書いた文字が浮かび上がるなんてちょっとロマンチックだし、1ヶ月がたっても葉っぱは腐らずにキレイな色を保っているし、すごい。
この葉っぱ、けっこうすごい。
ちなみにこの「すごい」は、“すごい:100% ” である。







