写らないものが写ルンです
心霊写真のハナシではありません。
押し入れを片付けていたら古い写真が出てきまして。たしか30歳の頃。
勇んで違う制作会社に転職したもののうまく馴染めず、新しい移り先も決まっていないのに8ヶ月で辞めてしまった無職の春。3万円のガソリン代でどこか行けるところまで行こうとオンボロ車で一般道を西へ西へと走ったのでした。

写真は伊勢湾のあたり。海に浮かぶ真珠養殖の筏と、あとは本州最南端の紀伊半島・串本町の灯台をバックに。「写ルンです」で撮りました。
ピンボケだし解像度も粗い「写ルンです」の写真。どこで何をしたのか記憶もだいぶ薄れてしまっていますけれど、いちばん愛しい思い出と言える旅です。
で、ふと思ったのは「解像度の粗い写真のほうがぬくもりや幸せを感じる気がする」ということ。
調べてみると(もちろん諸説ありますが)ビンゴでした。
まずひとつは『余白が「想像力」を補完する』
解像度が低いということは、情報が100%提示されていないということ。見えない部分を脳が自分の都合のいいように、あるいはもっとも幸せだった瞬間の感情で埋めてしまうため実物以上に美しく、温かく感じられるそうです。
次に『記憶の仕組みに近い』
人間の記憶は4Kテレビのように細部まで記録されているわけではなく「匂い」「音」「その時の空気」など、いろいろな刺激が混ざり合った「断片的なイメージ」として保存されるのだそうです。
粗い写真はまさにその「脳内の記憶の形」に近いので心にスッと馴染むのかもしれません。
3つめは『高精細へのカウンター』
今の時代は何でも高精細で記録できてしまいます。毛穴まで見えるような鮮明さは時に冷徹で、なんだか冷たい現実を突きつけてくるような鋭さがあります。対して昔のフィルムカメラの粗さは「過ぎ去った時間」というフィルターを通したような優しいヴェールを感じさせるのだそうです。
いずれにしてもピントが合っていないからこそその場の『空気』が写っている、というのはありそうです。
フィルムカメラや初期のデジタルカメラ、あと写真ではありませんがアナログレコードやカセットテープが近年人気な理由。
それは単なるレトロブームでは無く「粗さの心地よさ」を無意識に選んでいるのかもしれませんね。







