突然ですが
どどいつって知ってますか?
なぜか僕が子供の頃は、音楽番組の歌の紹介の頭に「歌は世につれ、世は歌につれ〜」みたいな口上として使われたり(正式にはどどいつじゃないらしいですが)、「散切り頭を叩いて見れば 文明開化の音がする」や「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」など、歴史の教科書にその時の世情を表す歌として載っていたような言い回しの詠です。
ネットで調べてみると、「どどいつ(都々逸)は、江戸時代に生まれた日本の定型詩で七・七・七・五の音数で構成されるのが特徴です。主に男女間の恋愛感情(情歌)を詠み込むことが多いですが、世相、社会風刺、季節の風物などをテーマにすることもあり、日常会話のような親しみやすい言葉で詠まれます。」と書いてあります。
なんというか、俳句や短歌ほど格式の高くない、縛りも少ない庶民の俗な調子のいい短歌だったんでしょう。
川柳に近いかもしれません。
有名な作品としては、
「立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は 百合の花」(作者不詳)
「梅は咲いたか 桜はまだかいな 松は栄えて 葉が茂る」(作者不詳)
坂本龍馬が詠んだどどいつで、
「世の人は 我を何とも 笑わば笑え 我なす事は 我のみぞ知る」
というのも有名な作品です。
今でも寄席で落語を聞いていると、結構な割合で噺の中に出てきたり、現代では古典を踏まえながら、現代の感覚を織り込んだ現代都々逸というものがあるらしいです。
突然何を言い出すんだ?とお思いかもしれませんが、あるコマーシャルの企画を考えている時にナレーションの構成を変わったリズムにしたいと思い立って、今風だとラップなんだけど、川柳とか短歌だと普通だし・・みたいなことで探しているうちに「どどいつ」にたどりつきました。
七・七・七・五の音数が日本語の流れとぴったりなんでしょう。
耳のこりもよく、読んでいて気持ちがいいし、声に出して読んだ方が面白い文章ということでCMのナレーション向きです。歌い込んで音楽にしてもいい。
30秒や15秒のなかで「どどいつ」風ナレーションを読んで、続いてキャッチコピーが入り商品名が入る、くらいでぴったしなナレーションのサイズにもなるんじゃないか?思ったからです。
そのために、いろんな作品を片っ端から読んでみました。
読んでいくと、日本語の深さというか奥ゆかしさを感じる、俳句や川柳ほど潔くない、ネチネチした恋愛感情を表現するのに最適なフォーマットなんだとわかってきます。
ネットには、「俳句が自然の風景や季節感を表現する雅な詩であるのに対し、どどいつは庶民の生活や感情を歌い上げる、より口語的で自由な短詩型文芸」だとも書いてあります。
まあそもそも、宴席で酒飲んで三味線に合わせて歌う遊びみたいなことで発展したんでしょう。
切ない恋愛の話がめちゃくちゃ多いですね。
「恋し恋しと 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」とか、
「夢に見るよじゃ 惚れよが薄い 真に惚れれば 眠られぬ」とか。
最近ではどんなものがあるんだろう?と思って調べたら、やってる人たちが確実にいて、作品の発表もされています。
誰がお詠みになったかは存じませんが、
「マスク姿で 目だけしか見えぬ 惚れた腫れたも 分かりゃせぬ」というのもありました。
面白いですよこれ。
これはいける。大発明だ。俺天才、とか喜んで、さて本来の商品に当てはめて詠を考え始めましたがこれがまた難しい。
商品のスペックなどを入れ込むとどっちらけで本来のどどいつらしさからは程遠い、建前くさく普通の説明文になっちゃうからです。
本当にうまいこと言い換えできないと失敗だなこりゃ。
AIにコウコウこういう条件でどどいつを詠んでくれと頼んだら、できるんだけどやっぱり面白くないんですよね。
そういえば、若い頃、暴走族の隊員だった友達の特攻服の背中に何かの歌詞が刺繍してあって、演歌かと思っていたけどどどいつだったんだ!とこの原稿を書いていて理解しました。
「どうせ一夜の 徒花ならば 散って見せます ネオン花」
そう刺繍してあったのです。
なんというか、人間が考えて表現することは、表面的な事じゃなく、その後ろについてくる目に見えない情念を纏って出てくるからでしょうか?
そういう目に見えない、臭いや震えのようなものを纏った言葉や表現を出せる人間しか残んないよな、と思います。
もうちょっと苦しんで考えます。







