昭和100年、平成37年。「平成レトロ展」観賞

東京
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

平成37年。平成はもはや「レトロ」

平成中期の2004年から2010年、ちょうど震災の前年までビジネスジャンプで連載されていたマンガ『嬢王』は、キャバクラ世界のナンバーワンを射止めるべく策謀をめぐらすキャストらを描いた作品。2009年秋、当マンガはテレビ東京系で『嬢王 Virgin』としてドラマ化された。コンセプトは「キャストは全員平成生まれのキャバクラ」。

2009年、平成21年。平成元年の1989年から20年。そう、平成生まれは若かった。

譲位により令和に改まってもはや7年目。仮に平成がいまだ続いていたなら今年は平成37年。そう、平成は中年を迎えた。ちびまる子ちゃんも怯えたノストラダムスの大予言で地球が滅亡したはずの1999年、平成11年7の月を知る由もないミレニアムのちの生まれの世代がもはや社会人。平成は完全におっさんおばさんの領域へと移りつつある。

2025年は令和7年。
昭和100年。
平成なら37年。

平成も、もはや「レトロ

団塊ジュニアが多感な青春時代を送りつつ、社会人になったらば「上の世代」同様の「リッチでゴージャスな生活」を体現できるものと意味もなく憧れた平成初期。

あえなくバブルははじけ世間に放り出された平成フタケタ時代。

何のかんので命脈をつなぎつつ生きながらえた平成20年代。

悲喜こもごも平成の「レトロ」を一堂に会した「NEO 平成レトロ展」がこの夏、東京は渋谷の西武百貨店で開催された。渋カジに始まりアメカジキレカジコギャル孫ギャルルーズソックス、茶髪ロン毛にガングロヤマンバと昭和末期平成初期から中期の若者文化発信地だった渋谷、まさに「聖地」での開催と言えようか。

※(キレカジが一発変換されず「切れ家事」になったのは微妙にショック)

西武百貨渋谷店A館入口

イベントに合わせてリニューアルされた電光掲示板

ルーズソックス姿の女子高生。

会場入口はこの通りのポップな色使い。前に並んで撮影を当て込んでのものだろうか。

周囲に並ぶ入場希望者は若い。平成元年に高校1年だった筆者より20年は若いだろうから、少なくとも平成10年以降の生まれだろうか。場違いで多少気恥ずかしくなるのもなんともはや。

平成のシンボル、それこそ「ケータイ」

まず平成と言えばケータイ。

電話が家の固定電話1台のみ、クラスの女の子に電話したらオヤジが出て…恋人でもなんでもなく、ただのクラスの女子に「連絡網」で電話かけても「娘はいません!」でガチャ切り。こんな苦い思いに泣く団塊ジュニアにとって「一人一台の電話」は想定外、誰にも邪魔されず青春の青臭い思いを語りあう電話。その登場が団塊ジュニアの高校卒業後なのがイタかった。高校在学中かその直後の最新通信手段と言えば、公衆電話を媒介として「数字暗号」で思いを伝えあう「ポケベル」だったのだから。

 

1997年、平成9年ころから若者に大流行したケータイ。ちなみに「イケメン」の全段階である「イケてる」なる言葉が生まれたのも同じころ。当時は「単音」だったケータイの着信音だが、「ボタンを押すことで作曲機能」が付加されたことで世界が広がる。しかし音楽の才能がなければ、ドレミファソラシドに長調短調、フォルテにメゾピアノ…深遠な音楽の世界をケータイ一つで再現できない。そんなときの悩みにはコンビニ売りの「ケータイ作曲本」。ドラマにアニメ主題歌に流行歌にクラシックに童謡、はては民謡までも、本の記述通りにケータイボタンを押せば見事に再現される。

電車の中でケータイがかかってきてもすぐに取らず、自慢の自作音楽を一小節鳴らして周囲の乗客に披露するのが当時の茶髪ロン毛くんの流行り、電車内で流れる着信音が昭和後期の名作刑事ドラマ「太陽にほえろ」ならば、電話の主の年齢を察して納得する。

ケータイ着信音が単音から「3和音」になったのは平成12年(2000)ころだったか。ほどなく「16和音」に進化、それでも作曲機能はそのままだが、和音の各パートを弦楽器に管楽器、あるいは電子音楽の音色でセレクトできることでより世界は広がる。わたくし事としては、

「ファレラレミファ ミファミラレ」

の「ファミリーマートの入店チャイム」を作曲して着信音にしていたものだった。

一方でケータイそのものの形状も進化、「二つ折りタイプ」が登場し、ほどなく「カメラ」が搭載されて「ガラケー」の完成。

その他ケータイストラップにデコレーションと、周辺機器をとりまぜて日本という島国でガラパゴス的進化を遂げた「ケータイ」。

令和のスマホは、周辺機器の文化を受け継いでいるだろうか。

スマホストラップ」を愛用している人は周囲には見ない。

ポケットベルで「あいしてる」と送るには?

そしてケータイ普及直前、平成初期に流行した「ポケットベル」。

公衆電話に家電話から「数字」を入力してメッセージを伝える。数字のみ、漢字ひらがなカタカナはもちろんローマ字も伝えられない。だから「数字の暗号」で意味を伝える。

「114106」は「あいしてる」1を「いち」にも「I」にも読ませ、「10」は英語の「ten」6が「る」なのは北京語の「六」(liù)にかけたものか。

平成5年(1993)の緒形拳と裕木奈江による不倫ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」。題名通り、ポケベルが必須のアイテム。

「恋人の家に電話したらオヤジが、奥さんが出て…」そんな危険すれすれをかいくぐる昭和世代には「数字の暗号」のみであれ「個人同士で連絡取れる文明の利器」はまさに渇望される存在だったのだ。

オタク受難の平成初期。当時の彼らのファッションとは?

昭和末期平成初期のある事件で「オタク」が悪い意味でクローズアップされた。

平成初期の「オタク」はある意味で蔑称でもあった。

以来30年を経てオタクがポジティブな意味へと昇華したのは日本のサブカルチャー、ポップカルチャーの発展に国際的流布のたまものだ。

その典型的なオタクファッションといえば

「ストーンウォッシュのタック入りジーンズ」
「チェック入りシャツはズボンに入れる」
「頭にはバンダナ」

だが私見ではあるが、平成3年の北海道の高校生は、バンダナはともかく多かれ少なかれこんな服装だった。いわゆる「オタク」であるか否かにかかわらず。ネルシャツにタック入りジーンズ。もちろん「シャツイン」。渋カジアメカジキレカジなぞまさに異世界の話。

カセットテープにCDは「巨大ラジカセ」で観賞

「テープ」から「CD」への過渡期に登場した巨大な「CDラジカセ」


平成のごく初期はまさにCDの独壇場。音楽配信など夢にも思わない時代。

流行の音楽はラジオやテレビの歌番組から流れるのを、息をつめてテープに録音。オヤジが咳払いでもすれば台無し。そんな素人編集が気に食わなければ、CDを買ってようやっと聞ける時代。ネットもない時代、情報は高価だった。

テープは録音したら、側面の両端の「爪」を折る。こうすれば誤って別の録音を重ねてしまうミスはない。だが爪を折った「カセットテープ」も「セロファンテープ」を貼って「爪のあった位置」塞げば重ねて録音できる。テープのたるみは、鉛筆を差し込んで巻いて直す。鉛筆の六角形の断面が上手い具合に引っかかってくれる。

そんな「生活の知恵」も、もはや失われた技術である。

「はちみつレモンにCCレモン」「カルピスウォーターに生茶」平成流行のソフトドリンク

平成元年秋が流行のピーク、サントリーの「はちみつレモン」。

「はちみつ」と「レモン」という原材料のみのネーミングゆえに商品登録を許されず、同業他社に徹底的に真似されまくった平成ひとケタ時代の人気商品。

平成元年秋、この「はちみつレモン」の購入後に残った50円の分け前で級友と揉めたトラブルゆえに妙に覚えている。

同時期のソフトドリンクでは「CCレモン、イェイ!」か、「カルピスウォーター」か、「ジャワティ」、あるいは「生茶」を皮切りとする緑茶系飲料か

 

展示は終盤へ。

クレーンゲームのぬいぐるみが満載された「ふぁんしー」なお部屋。

こげぱん」「ドコモダケ」があるあたり、平成の17、18年(2005、2006)以降だろうか。平成11年の流行り「たれぱんだ」も欲しかった。ここに「ブルワーカー」でもあれば男の子の部屋。昭和末期の学習誌のあだ花「睡眠学習機」「ドクターキャッポー」が無くて正解。

 

ここで問題

平成元年1月、時の小渕官房長官が「平成」の額をマスコミ陣にかかげた。
その時、日本は昭和だったでしょうか。それとも平成でしょうか。

 

外へ出てお土産を購入。

駄菓子屋の定番、口どけもスゥッとさわやかなクッピーラムネ。
だが…、せっかくだから平成流行の食材

ティラミス」「イタ飯」「もつ鍋」「ナタデココ」「パンナコッタ」関連の商品があったらうれしかった。

高校2年の冬に発売された、「ロッテのティラミスチョコレート」は美味かった。

 

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。食文化やアウトドア、そして故郷である北海道の歴史文化をモチーフに執筆中。 著書に『図解アイヌ』(新紀元社)、執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ)など。現在、雑誌『時空旅人』『男の隠れ家』で記事執筆中。

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