油そばを楽しむ集まり、僅か2名、絶賛活動中
仕事を終えた帰り道。
同僚がポロッとこぼした「あぁ〜油そば食いてぇ〜」に対してわたしが「油そば食べたことない」と返したら、いつの間にか【油そば同好会】が発足していた。
「油そば食べたことない」と聞いた当の同僚は、こちらがびっくりするほど取り乱していた。
この世に生まれてから油そばを食べたことがない人間は、そんなに希少性が高いのだろうか。
同僚は「めちゃくちゃうまいのに!」としきりに言うのだが、わたしは決して食わず嫌いしていたわけではない。
「よぅ〜し!きょうは油そばを食べにいこう!」という気持ちになったことがなくて、タイミングに恵まれなかっただけだった。
だが、同僚には「油そば食べたことない」がかなり衝撃的だったらしく、後日改めて油そばを一緒に食べにいくことが決まった。
記念すべきわたしの油そば1食目は、同僚がずっと気になっていたお店でありついた。
そのお店は席につく前に券売機で食券を買ってから注文するスタイルで、お水もセルフサービス。
麺の大盛りは無料なようで、でもまあ並盛りでいっかな、とひよるわたしを元気いっぱいの同僚は「いやそこは大盛りっしょ!!」と煽る。
ちなみに同僚は、わたしよりも7つ年下である。
ついに登場した大盛りの油そばは、とんでもなくうまかった。おいしい、とかじゃなくて、うまい。
ただ困ったことに、食べても食べても減らない。
うまい、うまいと食べていたけれどなかなか達成感が得られないので、わたしに大盛りを勧めた張本人に「途中から麺がぜんぜん減らないんだけど」とどうしようもない文句を言うと「ほんとだ〜」とヘラヘラして流されてしまった。
途中文句は出るわ、おなかはパンパンになるわ、そんな初めての油そば体験だったけれど、べらぼうにうまかった。
食べ終わったあとに「次はどこの油そば食べにいく?」と同僚の言質を取ろうとするくらい、油そばの虜になっていた。
そんなこんなで、わたしと同僚の2名のみで構成される油そば同好会は、発足して3ヶ月目を迎える。
油そば同好会といっちょまえに名前をつけてはいるけれど、ただただ、ふたりで油そばを食べるだけである。
つまるところ、感動レベルの旨さだったのか/そうでもなかったかのゆるい2択で、ほんとうに、ただただ、ふたりで油そばを食べるだけなのである。
しかし我々は単に油そばの味のみを楽しんでいるのではなく、実はお店のエンターテイメント性と、そこで起きるハプニングにも期待している。
エンターテイメント性とハプニングは「わくわくポイント」として評価する決まりがある。
たとえば、味変のために用意された調味料やスパイスが多ければ多いほど、エンターテイメント性の高さとして「わくわくポイント」につながる。
「ごちそうさまでした」とお店を後にしようとしたら自動ドアが故障していて帰ることができず、しかもちょうど休憩で外に出ていた店員さんとドア越しでジェスチャーゲームみたいになったコミュニケーション劇も、店内にいる店員さんが自動ドアを直そうとしばらくあたふたしたことも、そういうハプニングすべてひっくるめて、わたしたちにとっては「わくわくポイント」だ。
「わくわくポイント」という制度ができてからは、油そばを食べるのはもちろんなのだが、特にどんなハプニングが起きるのかを楽しみにしている我々もいる。
油そば同好会なのか、ハプニング待ち同好会なのか、なんなのか。
油そばを楽しむ集まり、くらいでちょうどいい気がしてきた。
集まりというか、ふたりしかいないけど。
いま、ほとんどの飲食店は数値化されて評価されたり、見知らぬ誰かのレビューが投稿されたりしているから、効率よく、間違いのない店選びができる。
だけど、ひとがいいとおもったものが、自分もいいとおもうとは限らない。
逆にひとが悪いと言ったことが、自分にとってはかなりよかったりする。
数字と見知らぬひとの言葉を信じきるのもいいけれど、ときには自分の第六感までフルに使って、食とそれを取り巻く空間を堪能したほうが、もっとおもしろく生きられるんじゃないだろうか。
たとえハズレたとしても、わくわくポイントにして楽しめばいい。
たぶん人生もこれくらいの余裕があったほうがいいんだろうな。
たかが油そばを楽しむ集まりから人生の話に発展するとは、これをいま書いているわたしも想像できなかった。
ただわたしが今回書きたかったのは、油そばって食べ物がうまくて、それを一緒に楽しめるひとがいてしあわせだ、っていう話。
そういう話でした。







