清水義範の小説「人間の風景」を読む

東京
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

リタイア世代が書いた
リレー小説「人間の風景」

清水義範の短編集「国語入試問題必勝法」より「人間の風景」(1988年)を読む。

国語入試問題必勝法 新装版

講談社文庫「国語入試問題必勝法 」

主人公・佐伯義成は一応小説家である。何度も雑誌の新人賞に応募はしているものの、その方面では芽が出ない。だからポルノ小説を書いて糊口をしのいでいる。そんな彼の元に、「妻の祖母」が意外な相談を持ち込んでくる。

老人会の若手メンバーが小説を書いたので、添削をしてくれないか、というのだ。老人会のうち60代、つまり現役を離れたばかりの「若手メンバー」が頭の活性化を図るため、4人一組で「リレー小説」を書いた、というのだ。そのメンバーは以下の通り。

 

森末正義 66歳 元大手製紙会社部長
青木誠一 67歳 元青果店経営者
佐藤悦夫氏 64歳。元警視庁警部補
新美陽之助 おそらく60代 元地方新聞記者 

 1988年、実質的に昭和最後の年。SNSはおろかネットすら存在しない時代。一般人が持論を世間に知らしめる方法と言えば、新聞の投書欄か小説新人賞、それも編集者や社内の事情、大人の事情を潜り抜けた末でようやく世間に出られる、文字通り「狭き門」だった時代。

 パソコンWordは夢にもなく、ワープロすら普及途上の時代。「和文タイピスト」が職業として成立していた時代。文を書くとなれば、まずは「手書き」だった時代。
自分の書いた文章が「活字になる」
まず、それこそが憧れだった時代。

 小説家・佐伯に手渡されたのは、80枚にも及ぶ分厚い原稿用紙の束だった。

 「リレー小説・人間の風景

 これは、と佐伯はうなった
「吾輩は猫である」
「ドン松五郎の生活」

などなど人間以外の者が主人公の小説以外ならば、どんなストーリーでも当てはまる分母が広い題名。

 冒頭を飾るのは、リレー小説発案者の元新聞記者・新美氏による序文。
…しかし乍ら、すべからく人に人生があるように…」などの文言が散見されるかなり「気負った、臭い文章」である。昭和63年に60代半ばならば大正末期生まれ。新聞記者ならば当時のインテリとして旧制中学から旧制高校に進学し、学徒出陣も経験した世代だろう。

物語末尾で
戦前、ドストエフスキイの「罪と罰」を読んでいただけで、憲兵に危険思想家と疑われて拘留された体験を持つ

 とある当たり、メンバーが多感な青春を送った当時の世相、並びに新美氏の心根が読み取れるのである。

 ここに公表して、高覧を願う所以である

 とやはり堅苦しい挨拶で序文を〆て、いよいよ「人間の風景」本編が始まる。

結婚を反対された彼氏
捨てセリフの
「この家の秘密」とは?

 まずは元大手製紙会社の元部長・森末氏の文章。
主人公・森本一郎(63歳)は悩んでいた。自分はもう63なのか。これは老人なのか。でも老人でもまだ若いのではないか。

定年後の再就職がまだ一般的ではなかった昭和末期。定年後は家でゴロゴロして「粗大ゴミ」と罵られ、妻にべったりで「濡れ落ち葉」と揶揄される、そんな昭和末期のリタイアお父さん世代。ウジウジ悩みつつ、「近頃の若い者は」的な愚痴が混じる。

森末氏が書く、森本氏の持論。
作者の分身が、文中で天下国家を嘆く」のは素人小説の定番だが、その轍にはじめっからはまっているわけだ。
そんな森本は、今日はわけても機嫌が悪かった。
森本には娘が二人いた。
長女・高子は25歳。美人だが奥手で、浮いた話の一つもない。お見合いをしてもまとまらない。
次女の道子は22歳。親の森本が言うには「はすっぱ」。実の姉妹に優劣つけていいものか。

その道子が、家に彼氏を連れてくるというのだ。今どきの若い者は、その上、姉がまだ未婚なのに…けしからん!
だから森本は機嫌が悪い。

 そして彼氏がやってくる。名は松倉明「いかにも頭が悪そうな」25歳のサラリーマン。

そして定番の
道子さんをぼくにください」
「娘はやれるか!」
のやり取りの末に松倉が叫ぶ

 「ふっふっふっ。そんなことを言っていいのかね。おれはこの家の秘密を知っているんだぜ

あんたの秘密だよ。そして、もしもこの秘密をバラしたら、あんたの娘の高子さんの人生はめちゃめちゃになってしまうんだ

 結婚を反対された娘の彼氏が、いきなり「怪人二十面相のように笑う」展開に唖然となる読み手の佐伯。ともあれ、ここで森末の担当部分原稿用紙20㌻は終わる。

姉娘には彼氏がいた
八百屋の店主の「分身」

 続いて青果店の青木氏の受け持ち部分。学問がないから文章が書けないと嘆きつつ、姉の高子には実は彼氏がいた。青井誠吉という25歳の青年。八百屋で働いていて気分がさばさばして…と、やはり自分自身の分身を登場させる。それでも原稿用紙は埋まらない。まだ5枚だ。松倉が言う「森本家の秘密」とは何なのか。それを思いつかずウジウジ悩むのだが浮かばない。当然原稿用紙は埋まらない。そこで青木氏は禁断の手に出る。原稿用紙が埋まらず悩むヘボ小説家が使うのと同様の手だ。(詳しくは同書をお読みください)。

 それでも結局のところ原稿用紙は埋まらず

 「もう新美さんが何と言っても書けん。  
さようなら。」

 と終わってしまう。
話によれば青木氏は新聞記者の新美に昔世話になった経緯があり、いやいやながら断れなかったとか。
無理難題を投げかけられながらも必死に原稿用紙にしがみついていたであろう青木氏を連想しつつ、佐伯は嘆く。

 好青年が殺人者に?
無味乾燥な供述調書

 3番目は元警視庁警部補だった佐藤悦男氏の受け持ち

 「東京都杉並区高円寺に住む森本一郎の死体を発見したのは、近くで八百屋をしている青井誠吉(二十五歳)でした。警察への通報者も同人です。」

 いきなり主人公が殺されてしまう。しかも文体は供述調書の形をとり、青木氏をあれだけ悩ませた「森本家の秘密」もあっさり済まされてしまう。挙句の果てには好青年の青井誠吉は森本氏殺しの犯人として「落とされて」しまった。その顛末があまりにも滅茶苦茶なのを執筆者の佐藤氏もわきまえたのか、

 結婚を許してもらいに行ってその父親を殺すというのは変だと思うかもしれませんが、犯罪者の心理というのはもともと少し異常でして珍しいことではありません。  昭和三十六年だったと思いますが、私の手がけた事件で、突き出しに出た枝豆の量が一緒に行った同僚より少なかったという理由でカッとなってその飲み屋のおかみを殺した男がいました

 などと持論を挙げるのだ。それでいて「読者サービス?」なのか、「道子と松倉の江の島デート」などという展開も無理やり供述調書に盛り込んでいる。元警部補の佐藤氏は、事実に基づいた文章しか書けないのだ。人間の細やかな情には興味が至らないのだ。

 森本家の秘密、という物語のヤマを無味乾燥な供述調書まがいで台無しにされてしまう、あきれる佐伯はいよいよトリを飾る元新聞記者、新美氏の受け持ち分に読み進む。リレー小説メンバー4人の中では唯一、文章を生業にしていた人だ。

 下手に文才があるから、穴にはまる
ブログにSNS出現以前の「名文家」の生態

世に冤罪事件というものがある

 こう始まった彼の受け持ち分に、佐伯は思わず「待ってました!」と声を上げる。文章は続いて新美氏が現役時代、警察組織での取材で感じた前時代的体質、「人を見たら泥棒と思え」的な体制を「佐藤氏個人のことを言うのではないが」と弁解しつつ批判したのち本編へと入るのだが、これがいけない。

 そもそも新聞記者とは、取材で集めた「事実な事柄」を基にして世論、そして社風に合わせ文章を書く。そのうえで「使用していい言葉。使用してはいけない言葉」がまとめられた冊子「記者ハンドブック」通称記者ハンと照らし合わせ校正を重ねた末に記事として紙面に載せるものである。いくら文才があったとて、自分で好き勝手に書けるものではないのだ。だからこそ内面で忸怩たる思いを抱えていた新聞記者も多かろう。

「文才」と「持論」「一家言」…これらを脳内でフツフツ煮えたぎらせている、そんな元新聞記者。
それがブログもSNSもない時代、、ふと「自由に書ける場」を与えられたら…

 ともあれ、「リレー小説・人間の風景」は完結するのだが…

 

ブログもSNSもワープロもなかった時代。
現役リタイア後のお父さんたちの思いが交錯する昭和末期の風景。

 それが「人間の風景

 だが私は、ラストに添えられた小説家・佐伯の行動が何とも泣けて面白くて仕方がないのである。

 詳しくは本書を

 

 メイン画像:Wikimedia Commons ©Drivephotographer

 ※文中の太字斜体部分は、小説「人間の風景」からの引用です

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。現在、雑誌数誌で執筆中。

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