クリエイティブディレクター・箭内道彦さん「反発心」が形づくったキャリアと、これからの時代に求められる広告の力
福島県郡山市出身のクリエイティブディレクター・箭内道彦さん。東京藝術大学(以下、東京藝大)でデザインを学び、博報堂を経て2003年に独立。以降、「風とロック」を拠点に、広告キャンペーンはもちろん、ラジオや番組MC、フリーペーパー、音楽活動まで領域を横断しながら、そのすべてを「広告」として捉えてきたといいます。
そんな箭内さんに、反発心から東京藝大を志した学生時代から、博報堂での報われない時期のキャリアの変遷、今の時代に求められるクリエイターの姿勢についても聞きました。
音楽からデザインへ──東京藝大を目指した理由

箭内さんは高校卒業後、東京藝大に入学されました。きっかけを教えてください。
中学・高校と、ミュージシャンになりたかったんですが、続けるうちに、自分の中で限界が見えてきました。そこで、自分の志望を音楽ではなく美術や芸術に切り替えたんです。
美術や芸術系を選ばれたことに理由はあったのでしょうか?
高校時代って、文系と理系どちらに進むか?という選択があると思うんですが、「全員がどちらかを選ぶ」ということに非常にモヤモヤしていて。何にでも逆らい続けた人生なので、みんなと反対のことがしたかったんです。そんな中、文系でも理系でもない「芸術」という領域を知りました。
ある日、福田繁雄さんというグラフィックデザイナーの「VICTORY 1945」という作品に出合いました。
反戦をテーマにしたポスターで、放たれた砲弾が自らの大砲に飛び込もうとするシンプルな構図から、強いメッセージが明快に発せられていることに感銘を受けました。当時、東京藝大デザイン科の教授をされていた福田先生、「この人に学びたい」と強く思ったことがきっかけでした。
実際に東京藝大で過ごしてみて、どのような学びがありましたか?
「芸術ってなんだろう」という壁にぶつかりました。というのも、芸術はとかく難解であったり、価値の高いものであったり、美術館に並んででも観るものである…というイメージへの反発が生まれてしまって(笑)。芸術に対するアンチテーゼみたいなことを考えるようになりました。
ですが、自分的にはその考えが功を奏したと思っています。反発心を持っていたおかげで、芸術的な価値が高い1000万円の壺を作るより、100円均一の茶碗を素敵にする方が、たくさんの人を幸せにできるのではないか?という考えになり、就職という道を選ぶことになりました。
博報堂入社後に直面した「暗黒時代」

その後、博報堂に入社されますが、どのような経緯で入社されたのでしょう?
博報堂の最終面接では重役の方が出てくるのですが、「君は何をやりたいんだ?」と言われたとき、「人を幸せにしたいんです」ということを熱く語ったら、「君はうちに来たら挫折するよ」と言われました。あとで聞いたら面接結果は不合格だったそうなのですが、他の社員の方々が「俺たちがアイツを叩き直しますので、入社させてやってください」と頼んでくれたのだそうです。
それだけ周りの方が箭内さんをプッシュする理由は、振り返ると何だったと思いますか?
いろいろ経緯があるのですが、実は最初の作品面接のときに2時間も遅刻していたんです。初めて東京の道を運転して高速道路を降りて周りを見渡したら、どこか知らない海だったんですよね(笑)。それで、もうダメだ…と思っていたら、助手席に乗っていた後輩が「とにかく行ってみましょう!」って言ってくれて。博報堂にも連絡したところ「ギリギリまで待ちます」と仰ってくれました。結局時間には間に合わなかったのですが(笑)「どうせなら面接してあげるよ」と言ってくれました。
それで、その面接にはギターを持って行ったのですが、高校生の時に作った「焼肉の歌」というオリジナルソングを歌ったらすごく盛り上がって。もちろんそれだけが受かった理由ではないですが、少なくとも印象に残ったんだと思います。
博報堂に入社した初期のキャリアについて、別のインタビューでは「暗黒時代」と表現していました。新人のときにどんな出来事があったのでしょう?
新人歓迎パーティーで「フリガナのなくなる日」というキャッチコピーを自分につけて、今は「箭内」という名字は万人に読まれないけど、いつか誰もが箭内道彦という人間を知るくらいになりたい!なんて言って吠えたのですが、会社に入って一番最初はビギナーズラック的うまくいった後はすぐ暗黒時代に入りました。
世に出る仕事が全くなくなりました。同期や後輩がどんどん面白い仕事をして、賞も取って、名前も売れていくなか、自分はそういう広告を作るどころか、世の中に露出する仕事自体が6年間ほぼゼロという状況でした。
どのようにその時期を乗り越えたのでしょう?
ある日上司に「お前のライバルは誰?」と聞かれたんです。自分は同期の顔を思い出しつつ、答えられなかったんですが、「同期の○○だろう?」と、見破られてしまって。誤魔化していたら、「それじゃダメだ。佐々木宏(※1)や、大貫卓也(※2)がお前のライバルなんだ」って言ってくれたんです。比べるなんてとんでもないし、レベルもまったく違いますが、そのぐらいの志を持っていないとダメなんだとそのとき思うようになりました。自分にとって大きな気づきだったので、すごく感謝しています。
(※1)佐々木 宏:クリエイティブディレクター。1977年電通入社。サントリーBOSS、SoftBank「白戸家」、リオ五輪閉会式「安倍マリオ」など
(※2)大貫 卓也:アートディレクター。1993年大貫デザイン設立。としまえん、日清食品カップヌードル、ラフォーレ原宿、新潮文庫Yonda?など
上司の方の言葉が転機となったんですね。
当時は上司にも反発していたのですが、僕は反発とか言いながら気の弱いところもあって、弱腰平和主義なんです。その時苦しかったのは、上司がやりたいクリエイティブに合わせようとしてしまっていたんですよね。でもそれを繰り返していくうちに自己嫌悪に陥っていきました。それで、会社の上司みたいな近い人に合わせるのではなく、世の中のたくさんの人にどう向き合っていくか?という視点に切り替えるようにしました。
それから当時、資生堂のポスターを撮っていた横須賀功光さん(※3)という素晴らしい写真家の方との会食に、上司に連れられて同席したんです。ご飯の味も覚えてないぐらい緊張したんですが、横須賀さんに「君は今までになかったタイプのクリエイターになるよ」と言われました。当時は入社1~2年目ぐらいで何も代表作がない時なんですけど、すごく勇気づけられたし、その日から自分のお守りにしている言葉です。
(※3)横須賀功光:写真家。日本大学芸術学部写真学科卒業、前田美波里、山口小夜子、宮沢りえなどの資生堂ポスターを撮影
博報堂を退社し独立へ。箭内さんの軸は「すべて広告」

そこから博報堂を退社し独立されました。何かきっかけはあったのでしょうか?
博報堂って、だいたい10年ぐらい経つとフリーランスになってステップアップする…という一つの形があったのですが、その流れへの反発心が生まれたんです。だから「僕はこの会社を辞めません!」という宣言が社内報にも載り、後輩や先輩からもみんな褒めてくれたんですね。
ただ、そしたら急に、本当かな?って(笑)。辞めないという言葉を発したために、その反対のことを考え始めたというか。急に辞めたくなっちゃったんです(笑)。
辞めませんと言ったばかりですよね?(笑)
周囲は「お前ふざけんな!」みたいな感じでしたね(笑)。会社の偉い人には、「お前は会社に逆らっていたから続けられた。今後は逆らう者がないからお前は終わりだ」と言われました。今となっては、「逆らう相手をどう見つけていくかが大事だ」という温かなアドバイスだと捉えています。
周りからの反対もある中で、辞める怖さみたいなものは?
このまま会社に居続ける方が怖いと思っちゃったんです。会社の人からも「どうすれば辞めないでくれるのか?」と聞かれて色々条件を出したら、他の社員に申し開きできなくなるから辞めていいと言われたんですが(笑)、そのとき「5年待てば会社が変わる」と言われたんです。でも、5年間自分が生きている保証もないし、その5年を待つ勇気はありませんでした。もちろん不安しかありませんでしたけどね。
その後、「風とロック」設立や、バンド・猪苗代湖ズの結成など、非常に多岐にわたるキャリアを歩まれています。ご自身の中で軸にしているものはあるのでしょうか?
大きく分けると2つあって、ひとつめの軸は広告です。周りには「マルチに活動していますね」みたいに言われますが、僕は広告だけを不器用にやっているというふうに思っていて。例えばNHKの「トップランナー」の司会の仕事も、ゲストの魅力を広告する仕事だと思っていたし、猪苗代湖ズのバンド活動も、故郷である福島を広告するために最適なメディアがバンドだった。自分がやっているのは、結果的に全部広告なんです。
しかも、自分は好きなものの広告しか上手に作れないし、好きな気持ちで広告を作るのが嬉しいし、楽しい。ラジオもフリーペーパーもテレビも、それ自体が好きというのももちろんあるけど、好きな人と会って、好きな人の魅力をみんなに伝えていく。それをやっているだけなんです。
ふたつめの軸は?
今は抑えていますが、独立初期は特に、誘われたら断らないと決めていた時期がありました。テレビで司会をしてみませんか?とか、ラジオのパーソナリティやってみませんか?と頼んでくれる方は、「箭内にこれをやらせたら面白いかもしれない」と発注してくださっているわけじゃないですか。その声に「違います!」って言うのではなく、呼んでくれた人の思いに乗って仕事を受けてみるようにしていました。
昔書いた「サラリーマン合気道」という書籍の副題に「流されるから遠くに行ける」というコピーを付けたのですが、自分で「これしかやらない」「こうありたい」って決め過ぎちゃうと、思い描いたゴールにしかたどり着けない。でも、人が連れて行ってくれるところに向かうのを拒まないことで、新しい自分だったり、新しい世界が見えてくると思っています。だからこそ、いろんな人が何かを頼みたくなっちゃう人になりたいなって思い仕事をしていました。
時代とともに変わる広告の力

時代とともに、広告の意味合いもかなり変わってきているような気がします。箭内さんはどう感じていますか?
昔はテレビや新聞の広告が「これ美味しいよ!」と言ったらそれが美味しいものである、という時代があった。でもそんなことを繰り返しているうちに、買ったけど美味しくなかった!という経験を10年、20年と人々が積み重ねた結果、「広告が言っていることは嘘かもしれない」と思うようになりました。良い意味ではリテラシーが高くなったと捉えられるかもしれないですね。
そして、マスメディアだけでなく、インフルエンサーだったり、オピニオンリーダーなど、SNSの流行も相まって、誰しもが広告できる時代になりました。だからこそ昔以上に、「人は何が欲しくて、何が好きで、何を愛しているのか?」ということをちゃんと考えるようになったような気がしています。だから、広告が健全な進化を遂げているという意味でも、とてもいい時代だと感じています。
それこそ最近はAIの登場により、市場の流れも一段と変わりそうだと思いました。
確かにAIは革新的な技術ですけど、もともとほとんどの広告はAIみたいに作られて来たんです。誰かが過去に作った広告を参考にしながらより良い広告を作り、その中で一部の人がとんでもなく革新的なクリエイティブを生み出す。だから、AIが出てきて広告は終わりだ!みたいな状態ではないと思うんですよね。
ただ、「今の広告は元気がない」というのは昔から言われ続けていて、一番元気がないのが今の時代だと思います。だからここからは、広告で笑いたい、楽しみたい、遊びたいという風潮が強くなってくるんじゃないかな。いつかその時のために、モノづくりに携わる人は足腰を鍛えて、諦めないでいるのがとても大事なんじゃないかなと思います。
「空っぽ」でいるから、人の輝きが見えてくる

これからの時代、広告制作に携わる人々に求められる力はどんなことだと感じていますか?
スキルも大事ですが、特に広告を作る人って、自分を横に置いておくのが上手な人たちなんですよ。強烈な思想やポリシーを出すのではなく、人を繋いでバランスをとることに長けているのですが、それだけでは今後難しくなってくると思っていて。
そのうえで、人が本当に幸せになるためには何をすべきなのか?みたいなことをちゃんと考えることが大事だなと思うんですよね。これを売りたい!という気持ちを持ちつつ、売れた先に何があるのか?手に取った人の暮らしが本当に豊かになるのか?楽しくなるのか?──。広告というものの存在価値が大きく変わるから、人の幸せを真剣に考えて、伝えられる力が必要になると思います。
箭内さんのキャリアは「反発」「ロック」みたいな思想がある一方で、根っこには人が好き、応援したい、幸せにしたいという気持ちがあるのが、愛される理由なのかなと感じました。
僕は全然ロックじゃないですよ。憧れて背伸びしているだけなので(笑)。ただ、人が輝く場所を作りたいんですよね。広告を通して応援したり、人や商品の魅力をたくさんの人に伝えたいと思っているけど、僕のやっているのは広告でありつつ、人が幸せになるような場を作っているんだと思います。
だから、いま東京藝大で教授もしていますが、教えてはいないんです。授業という場で、学生たちが自分の知らない輝きを見せるスイッチはどこにあるのかを一生懸命探しているだけ。だから、広告でもタレントさん、出演者の方々が、他のCMでは見たことない輝きや表情を見せてくれるような場を今後も作りたいです。
最後に、クリエイターへのメッセージをいただけますか。
クリエイターって、どうしても無理をしがちな性分だと思うので、何よりも健康は大事にしてほしいです。
あとは、執念を持ちつつ、素直であること。自分も昔から執念深いところがあり、諦めが悪い性格で、それってとても大事だと思うんですよ。一方で、執念が強すぎて考えが凝り固まってしまったり、唯我独尊みたいになってしまうこともある。そうじゃなく、目の前にあるものから何かを見つけたり、学んだり、引き出しにするためには、かたい感じで周りと接しちゃうのはよくない。だから、空っぽでいることが大事だと思っています。
空っぽ?
空洞でいたいというか。パルコの仕事をもう25年以上しているのですが、「PARCO」はイタリア語で「公園」という意味で、公園には、人が自然に集まって、自由に遊んだり楽しんだり…。そこから生まれることって、とても尊いものだと思っているんです。だから自分も、いつまで経っても完成しない空洞であり続けたいです。もう60過ぎてもこんな感じですから(笑)。失ったものもたくさんあるけど、いつまでも空っぽでいるからこそ、できていることもあると感じています。
取材日:2026年1月15日 ライター:FM中西 スチール:あらいだいすけ 動画撮影:浦田 優衣 動画編集:鈴木 夏美






