「欲しいのにないもの」を作る、日本映画界に一石を投じる新プロジェクト「SUPER SAPIENSS」仕掛け人のねらい

vol.205
株式会社アットムービー 代表取締役 CEO / プロデューサー
Takeshi Moriya
森谷 雄

映画『しあわせのパン』、『ミッドナイトスワン』、ドラマ「天体観測」、「ザ・クイズショウ」、「33分探偵」、「深夜食堂」、「東京ラブストーリー」ほか、映画やドラマで数多くのヒット作を生み出し続けるプロデューサー、森谷雄さん。テレビ制作会社でキャリアをスタートし、その後、フジテレビや共同テレビジョンを経て独立。現在は自身の立ち上げた株式会社アットムービーで、映画を中心に数々の作品を手がけています。

2022年1月には、日本を代表する監督である堤幸彦氏、本広克行氏、佐藤祐市氏と共に日本初のエンタメDAO「SUPER SAPIENSS(スーパーサピエンス)」を立ち上げました。トークン発行型クラウドファンディングを活用し、支援するサポーターも巻き込みながら「原作づくりから映像化に至る全プロセス」を明らかにして作品を完成させるクリエイターズエコノミーの新たな試みとは。そのねらいを、これまでのキャリアと共に伺いました。

幼少期に弟と見た映画がキャリアの原点

森谷さんが映像の世界へ進むことを志すきっかけとなった原体験は何でしたか?

小学校時代に両親が共働きで、留守番をしながら弟と一緒にテレビで見ていた映画が現在の仕事に繋がる原点です。子どもの頃は、『日曜洋画劇場』などで洋画をテレビでよくやっていたんです。映画の面白さに気が付いてからは、小遣いの1,000円札を握りしめて映画館にも通うようになりました。中学校に進学してからも変わらず、山口百恵さんとご主人の三浦友和さんが出会ったシリーズ作品や、松田優作さんの『野獣死すべし』などを見ていました。

子どもの頃からの憧れの世界で、働かれているのですね。中学以降の進路は?

結果的に、ですね。洋画好きであったことから中学時代は英語教師を目指していましたが、実は、もう一つの夢が映画評論家でした。当時、映画評論家の故・水野晴郎さんに「どうすれば水野さんのような仕事に就けますか?」という手紙を出したことがあって、驚いたことに「たくさん映画を見て、大学にもきちんと進んで勉学に励んでください」という返事をいただきました。その言葉を糧に「夢のために頑張ろう」と思い、勉強して高校進学後は映画研究部に入りました。

幸運にも高校2年生で初めて脚本を書いて8ミリフィルムで撮影した長編作品がコンテストで入賞して、スティーブン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』と同じ映画館で上映されたことがあって、うれしかったです。高校卒業後は、スピルバーグ監督やジョージ・ルーカス監督への憧れから、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の映画学科へ行きたいという気持ちもあって、英語を勉強していたのですが、ふと「全世界から受験しに来る人たちに勝てるのか?」と考えて進路を変更しました。たまたま書店で見た日本大学芸術学部の赤本で「日本にも映画学科がある」ことを知り、放送学科と映画学科の両方に受かり、映画学科へ進むことに決めて、その後の人生も決まりました。

過酷なテレビ制作会社からフジテレビへ転職

大学卒業後は、テレビ制作会社へ就職されたそうですが。

そうですね。就職先が決まるまでに多少の紆余曲折ありました。大学では映画学科の監督コースに在籍していましたが、就職活動では、フィルムを扱える大手広告代理店のCM制作会社の内定をいただいていました。ただ、物語性のある作品を撮りたい気持ちが強かったですし、学生時代はCM制作では物撮りなどの単純な映像素材を撮り続けるイメージもあったので、CM制作会社の内定は辞退しました。

再び就職活動を始めて、立ち上げ間もないテレビ制作会社の就職試験の情報が大学の掲示板に掲載されていました。面接では、社長の阿部祐三さんが面接官を担当していて、「じゃあ、明後日から来て」と言われて「面白い人だな」と思ったのが、入社を決めた動機でした。明日でなく、明日一日考えた後、明後日からと言うところが。

就職されたのはバブル末期。当時のテレビ業界の制作現場は過酷だったという話も聞きます。

ADからのスタートで、想像どおりか、それ以上だったと思います。台本で頭を叩かれたり、お尻を蹴られたり、就職から半年後には「映画が作りたくてこの世界へ入ったのに、何でオレ、この仕事やってるんだろう」と考えました。半年後くらいまでは、仕事が終わり自宅へ帰ってから脚本も書き続けていたのですが、体が悲鳴を上げ始めて「寝る時間の方が大切だ」と思い、それすらできなくなってしまったので「もう辞めようか」と考えた時期もありました。ただ、大学の奨学金を返済する必要がありましたし、上京させてくれた母親の苦労を考えたら「辞めるのは馬鹿馬鹿しい」と踏みとどまって。結果として、そのテレビ制作会社では3年半働きました。

その後は、フジテレビへ転職されたのですね。

26歳の頃でしたね。きっかけは、同世代でフジテレビに勤務していた中江功監督でした。ある日突然、「会社を辞めたいと思っていない?」という電話をくれて、驚きました。テレビ制作会社の職場環境に悶々としていた時期でしたし、何となく、僕が浮かない顔をしていたのを察していたのでしょうね。電話越しに「フジテレビに来ないか」と誘われて、のちに紹介されたのが、今も「師匠」と仰ぐ当時のフジテレビのプロデューサー、大多亮さんでした。

偶然の巡り合わせで現在のプロデューサー業へ

フジテレビへの転職後、プロデューサーの道を進み始めたのですか。

フジテレビへの転職後、初めて関わったドラマが「ひとつ屋根の下」でした。ただ、思い描いていた作品づくりにやっと携われると思ったものの、転機が訪れました。僕は助監督として作品へ携われると思い込んでいたのですが、初めて打ち合わせに参加したその場で急に「プロデュース補佐をやってくれ」と言われたんです(笑)。いわゆる、アシスタントプロデューサーの役割です。なぜ自分を選んだのか、のちに大多さんに聞いたら「俳優さんや映画にも詳しいし、音楽も好きだから絶対にプロデューサー向きだと思った」と理由を教えてくれました。振り返ると現在、映画を主軸にプロデューサー業をやっているのも不思議な人生ですよね。

前身のアットムービージャパンを経て、現在のアットムービーを立ち上げられた経緯は?

29歳でフジテレビの関連会社である株式会社共同テレビジョンへ移籍したのですが、僕自身は「3年で辞めます」と大多さんに話していました。結果として、フジテレビから移籍後9年間も在籍しましたが、ふと社内で窓際に座っていた管理職の上司を見たときに「あそこへ座る人生は歩みたくない。一生、制作の現場にいたい」と思ったのです。

当時すでに、社内でオリジナルの企画を通して、予算を管理しながら連続ドラマの制作をするプロデューサーをしていましたし、自分の中では「映画を作りたい」という思いがありましたので、独立の準備を始めました。前身のアットムービージャパンとして、初めて映画製作に関わったのは陣内孝則さん監督の映画『ロッカーズ ROCKERS』でした。

従来の製作方式への問題意識から生まれた新プロジェクト

現在。堤幸彦監督、本広克行監督、佐藤祐市監督と共に、トークン発行型クラウドファンディングを活用して一般のサポーターから支援を募る「原作づくりから映像化に至る全プロセスの一気通貫」を目指すプロジェクト「SUPER SAPIENSS」を進めています。立ち上げのきっかけは?

僕が関わっている「ええじゃないか とよはし映画祭」で4人のトークセッションがあり、現場で「会社に内緒の“ショクナイ(職内)”企画で映画を作りましょう」という話題が出て。最初は、各監督が手掛けるインディーズ作品の短編集を作ろうと思い、映画会社に企画を売り込みましたが、どこも首をかしげるばかりで予算が付かず「監督たちが作りたいものを作れない原因」を痛感したのがきっかけでした。

製作委員会方式など、映画界の問題を当事者の一人としてどうみていますか?

結局、クリエイターファーストになりえない環境なのです。例えば、映画『カメラを止めるな!』はインディーズながら社会現象を巻き起こすほどのヒット作品になりましたが、根底には「面白いものを自分たちで作るんだ」という関係者の方々の情熱があったと思います。現在、主流の製作委員会方式は、関係する配給会社やテレビ局、出版社などから出資を募る製作形式です。関係者が増えるほどたがいの主張をぶつけ合い、現場のスタッフたちが従わざるをえなくなります。また、映画界では、作品の監督印税や脚本家印税は、「1.75%」という慣例があり、クリエイターは誰が決めたか分からない低いレートの金額で働き、オリジナル脚本の権利すらも製作委員会に奪われている現状があるのです。

製作委員会方式が主流になって25年ほどになりますが、日本の映画コンテンツがガラパゴス化している要因でもあると考えています。例えば、韓国は5,200万人弱の国内全人口を相手にしているだけでは「エンターテインメントが頭打ちになる」と考えて世界へ目を向け、Netflixで配信されたドラマ「イカゲーム」などの世界的なヒット作品を相次いで輩出していますよね。僕らの「SUPER SAPIENSS」も従来の形式にとらわれず、日本から世界に向けて作品を発信していきたいと考えています。

100年後のクリエイターへ繋げるために

 現在は、堤監督発案のネアンデルタール人の復讐劇を描く映画の製作が進んでいます。「一気通貫」の作品づくりでは、絵コンテから完成まですべての工程を見せると宣言されているのも斬新な試みです。

一般的なお客さんは、映画館で完成した作品を見るだけですが、「SUPER SAPIENSS」では完成までのプロセスもエンターテインメントと捉えて、舞台裏まですべて見せていきます。支援するサポーターのみなさんにもお力を借りて、脚本に対しても「関係者用会議室」というプロジェクト独自のコミュニティで意見をあおぎ、完成させていきたいと思っています。

現在、プロジェクトの進捗状況はいかがでしょうか?

2022年1月19日に情報公開して以降、Web3 のテクノロジーを活用しながら様々な試みを図ってきました。試行錯誤の最中ではありますが、現在、堤監督のオリジナルキャラクター案をもとにした映像作品「SUPER SAPIENSS THE BIGINNING」を引っさげて、サポーターのみなさんにご協力いただきながら「THE BEGINNING JAPANツアー」と題した上映会とトークイベントで全国行脚しています。また、2022年11月にはウェブトゥーン(Webtoon・電子コミック)のキャラを元にしたNFT商品展開も開始し、日本のみならず、中国や韓国、アメリカなど海外のサポーターからも支援を募ることに成功しました。

ファンも巻き込みながら作品を作り上げる試みに、触発されるクリエイターも将来的に現れるのではと思います。森谷さんご自身は「SUPER SAPIENSS」の将来像をどうお考えでしょうか?

プロジェクト自体は「100年後のクリエイターのための第一歩」だと捉えています。現在は、ネアンデルタール人の復讐劇を描く映画を製作するために動いていますが、あくまでもそれは“第1弾”であり、その後も次から次へと、プロジェクトの仕組みが繋がれていくのが理想です。今のやり方がすべて正しいとも考えていませんし、さらに効率よく作品づくりに役立ててくれるクリエイターさんが現れるのも、期待しています。現在進行中の映画の続編を、100年後に若くて才能ある映画監督が描いてくれる未来を夢見ています。

アイデアや目標を形で出すのがクリエイティブの出発点

ヒット作品を相次いで手がけるクリエイターとして、日々、心がけていることはありますか?

作品の企画を考えることが主な役割ですが、常に「自分が欲しいのにこの世にないもの」を意識しています。基本は現場で、撮影中のやり取りや他人との会話からインスピレーションを受ける機会が多いです。

それから、何かを思いついたときは、アウトプットを大切にしています。例えば、大泉洋さんと原田知世さんが主演の映画『しあわせのパン』は北海道のパンカフェを視察して回ったときにひらめいて、帰ってきてすぐ、オフィスにあるPCで「しあわせのパン」とタイトルを打ち込み、そこからすべてが始まりました。

昔から「森谷の考えは3年早い」と言われてきたのですが、考えはシンプルで、誰もやったことないものを作ろうとしているだけなんですよ。今ないのであれば、自分たちで作るしかない。そういう意識は、クリエイターにとっては必要な意識だと思います。世の中の空気を感じ取りながら、一歩先へ進もうとする姿勢はみなさんも大事にしてほしいと思います。

最後に、活躍を夢みるクリエイターのみなさんにメッセージをお願いします。

アウトプットが大切と言いましたが、方法は何でもいいと思うのです。紙に書くでもいいですし、スマホで音声録音するのでもいい。とにかく見える形に代えて記録するのが大事で、それこそが「自分のクリエイションを世の中に出す」ための出発点になりますから。

映像の専門学校や大学で講師をしており、学生の方から「クリエイターとして生き残るために何が必要ですか?」と質問されたときには、僕自身は「センスとパワー」が必要と答えました。自分のセンスを信じて、パワーを蓄える必要があるならば下積みを重ねるためにどこかで修行するのも選択肢の一つだと考えています。

それから、目標は、具体的に立てることをすすめます。僕は「3年計画で目標を立てる」と決めていて、実際に紙に書いて部屋に貼っています。この方法をすすめた若い俳優さんで「仮面ライダーになりたい」という目標を叶えた俳優さんもいます。目標が叶ったら次の目標を立てて、また新たに書いて、いつでも確認できるようにすると芯がブレなくなりますし、ぜひ実践してみていただければと思います。

取材日:2022年10月25日 ライター:カネコ シュウヘイ スチール:橋本 直也 ムービー 撮影:指田 泰地 編集:遠藤 究


 

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~終了しました~

プロフィール
株式会社アットムービー 代表取締役 CEO / プロデューサー
森谷 雄
愛知県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業。フジテレビでヒットメーカー・大多亮氏に師事し、数多くの連続ドラマ・映画をプロデュース。その後、映像制作を手がける株式会社アットムービー代表取締役・プロデューサーとして独立。代表作は、連続ドラマ「天体観測」「東京湾景」「33分探偵」(いずれもフジテレビ系)、「ザ・クイズショウ」(日本テレビ系)、「深夜食堂」「コドモ警察」「女くどき飯」(いずれも毎日放送)、「限界集落株式会社」(NHK)、映画『シムソンズ』『Little DJ〜小さな恋の物語』『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』『しあわせのパン』など多数。2020年9月公開の映画『ミッドナイトスワン』は、草彅剛さんがトランスジェンダーの主人公を演じ、「第44回 日本アカデミー賞」の最優秀作品賞や最優秀主演男優賞など、数々の賞を獲得した。
2022年1月には、堤幸彦氏、本広克行氏、佐藤祐市氏と共に発起人として、日本初のエンタメDAO「SUPER SAPIENSS(スーパーサピエンス)」を立ち上げた。

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