「忍びの家」で出会った“戦友”賀来賢人と新会社を設立 デイヴ・ボイル監督が語る日米映画制作の未来
高校時代に黒澤明監督の作品や、映画『リング』(1998)などの“Jホラー”に魅入られて、映像制作の道へと進んだアメリカ出身のデイヴ・ボイル監督。最新監督作となる日本の山奥の洋館を舞台にした映画『Never After Dark/ネバーアフターダーク』は、同じく監督を務めたNetflixオリジナルシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」(2024)で出会った俳優であり、本作のプロデューサーも務める賀来賢人さんと設立した映像製作会社「SIGNAL181」の第1弾作品となりました。
過去にも日本を舞台にした作品に数多くかかわり、撮影現場を通して「素晴らしい技術を持つ日本のスタッフの方々」と出会ったと振り返るボイル監督に映画人としてのキャリアや「戦友」と称する賀来さんへの思い、最新監督作『Never After Dark/ネバーアフターダーク』のさらに先にある目標などを聞きました。
黒澤明監督の作品や“Jホラー”が映画人としての原点に

ボイル監督はアメリカ出身ですが、幼少期から日本にゆかりがあったのでしょうか?
父親がアメリカ人ながら、日本生まれなんです。神奈川県の横須賀にある米軍基地で生まれて、1歳になった頃にアメリカへ帰ったと聞きました。その影響でおじいちゃんやおばあちゃんに戦後の日本の話をよく聞いていたし、親しみはありました。高校卒業後、19歳でモルモン教の日本語担当の宣教師として、オーストラリアに渡り、そのために初めて、日本語や日本の文化を深く勉強したんです。現地では教会の通訳を担当して、現地で出会った日本の方に英会話も教えていました。
日本の映画に興味を持ったのも、その当時だったんでしょうか。
いえ。実は、日本の映画に興味を持ったのは高校時代でした。学校で黒澤明監督の『蜘蛛巣城』(1957)を見る授業があり、感激したんです。当時はいわゆる“Jホラーブーム”で、友だちと中田秀夫監督の『リング』(1998)なども見ましたし、その経験は映画業界を志すきっかけになったと思います。
ただ、当時は日本を深く理解できていたかといえば、表面的でしかなかったです。モルモン教の宣教師としてオーストラリアへ渡ったあと、日本語を勉強する中で言葉遣いによって相手への気遣いも変わってくるのが、美しいなと思ったんです。
現地の日本人と仲よくなり、和食のような文化も知るうちにアメリカと違う文化への面白さを感じはじめて、アメリカへの帰国後は日本語専攻の大学へ通い、日本で「いずれ映画を作りたい」と夢見るようになりました。
ポストプロダクションの仕事で自分の適性を理解

現在ではプロデューサー、監督、脚本などで様々な映画に携わっていますが、当初は、インディーズ映画を手がけていたそうですね。
最初に入ったのは映画製作会社の制作部でした。進行スタッフとして働く中で、親しくなったプロデューサーから「製作費を捻出できるから、何か企画はありますか」と相談されて、初めて、脚本を書いたんです。低予算ではありましたが、僕のデビュー作となりました。
そこから、しばらくは僕を買ってくれたプロデューサーと共に自主映画を撮り続けて、様々な映画祭をまわっていたんです。ただ正直、自主映画だけでは生活できなくて、新たにテレビ局系のポストプロダクション(映像作品で撮影後の編集など、仕上げを担う作業)の会社で、編集部に入ったんです。
編集は作品のストーリーを最終的に決定づける重要な仕事だと分かったし、僕にとっては、進行のように現場を回すよりも向いていると気がついたんです。テレビのドラマやドキュメンタリー番組を作り続ける日々は、映像クリエイターとしての原点になりました。
キャリアのターニングポイントとして、2015年には監督を務めたサイコスリラー映画『マン・フロム・リノ』(2014)で、インディペンデントスピリット賞のジョン・カサヴェテス賞にノミネート、ロサンゼルス映画祭でグランプリを受賞しています。
サンフランシスコを舞台にした、モノクロのミステリー作品ですね。北村一輝さんや藤谷文子さんなど、日本人俳優の方々にも出演していただきました。低予算のインディーズ映画ではありましたが、映画業界で初めて注目していただいた大切な作品なんです。
受賞後はハリウッドのあるロサンゼルスに移り住み、脚本を中心に映画へ関わるようになりました。脚本家による組合「全米脚本家組合」にも入ると、生活がようやく安定するようになったんです。ただ、作品に関わる話では、ロサンゼルスに移って数年は映像化されない脚本を書き続ける辛さもありました。
それでもあきらめず書き続けていたら、仲間がたくさんできたんです。その流れでたまたま、Netflixにいる知人から2024年に配信されたNetflixオリジナルシリーズ「忍びの家 House of Ninjas」(以下、忍びの家)で複数人いる脚本家の一人として「脚本を書いてくれないか」と頼まれて、監督も務めることになりました。
Netflix作品の制作で「戦友」賀来賢人と出会って

先の『忍びの家』では、主演・原案・共同プロデューサーを務めた賀来賢人さんとの出会いもありました。
初対面はリモートで、かれこれ4〜5年前になります。通常、脚本家は脚本へとりかかる前に、全体の構成や世界観をまとめた資料を作るんです。その資料をNetflixに提出したら「賀来さんがご挨拶したいそうです」と、お話をいただきました。
初めての打ち合わせから、僕の作った資料が「すごくよかった」と賀来さんが喜んでくださったんです。そこから撮影までに1年半ほど時間は空きましたが、すり合わせていくうちにお互いの好みが合うと分かって。慣れない日本の撮影現場で大変なこともありましたが、賀来さんがプロデューサーとして見守ってくれる安心感がありました。そうしてだんだんと信頼関係ができたと思います。
2024年4月には、信頼を寄せるお二人が立ち上げた映像製作会社「SIGNAL181」の設立を発表。当時のSNSで賀来さんは、ボイル監督を「戦友」と表現していました。
僕も同じ気持ちですね。映画の現場では、途中で予算が足りなくなったり、「良いものを作りたい」という想いは同じでも制作陣の意見が食い違ってしまったりと、予期せぬトラブルがつきまとうんです。それでも初めて会った「忍びの家」を「戦友」として乗り越えられたのは、「何が面白いのか」と突き詰める、クオリティへのこだわりが賀来さんと似ていたからだと思っています。ですから「忍びの家」の配信スタート後に、二人で「一緒にまた何か作りたいですね」と語り合い、会社を設立したのは自然な流れです。
アメリカと日本の「技術」や「視点」を合わせた画期的な作品に期待

賀来さんとの会社「SIGNAL181」による記念すべき第1弾作品は、山奥の洋館を舞台にした6月5日公開のホラー映画『Never After Dark/ネバーアフターダーク』(以下、Never After Dark)です。終始、映像と音で不穏な空気をただよわせる作品でした。ボイル監督は脚本も務め、賀来さんはプロデューサーとキャストも兼任されていますが、どのような経緯で制作に至ったのでしょうか?
会社の第1弾映画として、当初はスケールの大きな作品、シリーズものなどを構想していたんです。ただ、内容を詰めていくにつれて「大規模に様々な人を巻き込む作品ではなく、まずは、僕らだけで作れるシンプルな作品にしよう」となって、山奥の洋館を舞台にしたワンシチュエーションの映画に決まりました。
ただ、シンプルといっても、賀来さんと僕のこだわりもありますし、安っぽく見えないようにとは思いましたね。作品の構想自体は数年前から作っていて、霊媒師の降霊術がベースにあり、最後にあっと驚く展開が待ち受けている…という物語は僕の中にあったんです。賀来さんに提案したら「いいね」と言ってくださって、会社の第1弾映画に決定してからは急いで脚本を書き、撮影準備を急ピッチで進めていきました。
『Never After Dark』のように、ボイル監督は過去にも『猫と、とうさん』(2023)で製作や編集を務め、『東京カウボーイ』(2024)では脚本を務めるなど、日本が舞台の作品に関わり続けています。海外からの視点で見る、日本のエンターテインメント作品ならではの魅力とは何でしょうか?
日本の撮影現場を初めて経験したのは「忍びの家」だったんです。そこで素晴らしい技術を持つ日本のスタッフの方々と出会って、『Never After Dark』でも美術や照明、撮影における技術力の高さに毎日、感激していました。ハリウッドに比べると、日本映画は大規模な商業作品であっても予算は安いと思います。ただ、技術面での差は感じられませんし、日本でしか生まれない視点を持っていらっしゃる方もたくさんいるんです。
賀来さんとの会社「SIGNAL181」では、日本発ではありながらアメリカのスタッフに参加してもらったり、その逆で、アメリカ発の作品でありながら日本のスタッフが参加する作品を、手がけていく目標もあります。コミュニケーションを上手にとれれば、両国の長所を合わせた画期的な作品が完成すると期待していますし、私も力あるスタッフの方々とのチームでこれからも作品を手がけていきたいです。

取材日:2026年4月28日 ライター:カネコシュウヘイ 動画撮影:指田 泰地 動画編集:鈴木 夏美






