日本語が絶えない限り、アイデアも無限|文字デザインを支えるタイプデザイナー・西塚涼子
SNSや街の看板、駅の案内板や広告など、誰もが日々さまざまなフォントを目にしています。使われているフォントによって読みやすさが違ったり、受ける印象が異なったりするのを実感していることでしょう。こうしたフォントは、「タイプデザイナー」と呼ばれる文字専門のデザイナーによって生み出されていることをご存知でしょうか。
多様なデザイン分野の中でも、マイナーな職業と言えるタイプデザイナーですが、 この道でおよそ30年もの間、オリジナルフォントを世に送り出してきたのが、アドビの西塚涼子さんです。いかにして西塚さんはタイプデザインに出会ったのか、またどのようにフォントと向き合って新しいアイデアを創造しているのか。興味深いその感性に迫ります。
新たな文字のデザインを生み出す、タイプデザイナー。”選ばれるフォント”をつくりたい

タイプデザインに出会ったきっかけを教えてください。昔からデザインの仕事に就きたいと思っていたのですか?
私はクラスに1人はいる、図工や美術の成績がずっと「5」の子どもでした。でも、高校卒業時に進路を考えるにあたって「美術が好きなら美大だろう」と安直に結び付けただけで、「将来デザイナーになろう」とは思っていませんでした。当時は多くの人が、「デザイナー=ファッションデザイナー」だと思っていたほど、デザイナーはあまり知られていない職業でしたから。私自身も、デザイナーの仕事にバリエーションがあるなんてよく知らなかったんです。
武蔵野美術大学へ入学したものの、美大は私のように美術が得意な人の集まり。クラスでは一番だったのに、美大に入ったとたん没個性になって、「自分にできることは何だろう」と模索し始めました。
そんな中で夢中になったのが、レタリングの授業でした。たとえば「明朝体で出身県を漢字で書いてみる」といったことをしながら、フォントの構造を学んでいく授業なのですが、“横線にウロコが付いている”とか、“縦線が太くて横線が細い”とか、「毎日目にしているはずの文字なのに、こんな形だったなんて知らなかった!」と驚きました。
それでどんどん楽しくなっていったんです。なぜかこの授業は、苦痛に感じる人とハマっていく人とに大きく分かれていて。そのうち、「この分野は、得意かもしれない」と気がつき、タイプデザイナーという仕事があることを知って、その道を目指し始めました。
フォントをつくるのが仕事とのことですが、フォントとはどのようにして生まれるのでしょうか?
まずは、「何のためのフォントをつくるのか?」という目的やコンセプトを決めるところから始まります。小説など書籍に使われるフォントなのか、広告などのグラフィックデザインに使われるフォントなのか。同じグラフィックデザインでも、どのような分野に使うものかによってまったくデザインは変わりますよね。目的が定まったら、まずは‟かな”といくつかの漢字をテスト的にデザインしていきます。何度も手書きしてみる場合もあれば、デジタル上でつくってみる場合もあります。
この時点では、まだ絵としての「あ」でしかありませんが、エンジニアがそれに「あ」であるという情報を与え、さらにアプリケーション上で「あ」を表すものとして表示させる技術を加えます。これによってはじめて、絵だった「あ」が、文字の「あ」として機能するのです。
広告やWebなどの見出しやタイトルに使われるような「ディスプレイフォント」であれば、弊社の場合は9,000字程度、小説などに使われるフォントであれば、非日常的な漢字に記号類などが更に増え2万字以上をすべて1文字ずつデザインするので、1つのフォントが完成するまでには2年~5年もの年月がかかるのが普通です。
フォントのコンセプトを決める基準は、何ですか?
つくったフォントは自分の作品ではなく、あくまで商業デザイン。デザインを生業とする人たちに選ばれるフォントをつくらなければ、意味がないと思っています。世の中には数多くのフォントがありますが、その中で「このフォントを使いたい」と思ってもらう必要があるのです。完成までに2年~5年もかかりますから、先回りしてニーズを捉えなくてはいけません。だからこそ、常に「こんなフォントがあったらいいな」というアイデアを自分の中に溜め続けています。
長く続けてきて感じるのは、自分がワクワクしながら手掛けたフォントでなければ、使う人もワクワクできないということ。だからこそ、その感覚を何より大切にして、楽しんで取り組めるフォントをつくるようにしています。
「フォントとは、水であり、チョコレートドリンクでもある」日常に溶け込む文字デザインの役割

私たちは日常的に多くのフォントに囲まれて暮らしていますが、西塚さんが考える「フォント」とは、どのような存在でしょうか?
生活そのものだと思います。私にタイプデザインを一から教えてくれた師匠の小塚昌彦さんは、「フォントは水であるべき」と話していました。生活の中にあって当たり前で、意識しなくていいほど日常に溶け込んでいるべきだと。裏を返せば、ライフラインである水と同じくらい大事なものだということですよね。
私自身は、そんなふうに日常にさりげなくある水のような存在であることを大切にしながらも、時にはお茶だったりチョコレートドリンクだったり、嗜好品のようなものもあるとおもしろいなと思っていて。ユニークなデザインをつくるにはユニークなフォントが必要ですから、そちらの分野にもチャレンジし続けたいと思っています。
構想から15年、バリアブルフォント「百千鳥」が生まれるまで

2025年にリリースした「百千鳥」はまさに、ユニークなフォントですよね。
「百千鳥」は、最先端の技術を用いて縦長横長の形に変化させることができるフォントです。太さや幅などのスタイルを自在に変えてデザインできることから、「バリアブルフォント」と呼ばれています。このフォントは、以前から構想こそあったものの、アプリケーションで表示する技術が追い付かず、実現せずにいました。構想から15年もの月日を経て、ようやく日の目を見たアイデアなんですよ。
同じように、アイデアはあってもそれをフォント化する技術がまだなくて世に出ていないフォントは数多くあります。コンピューターがなかった時代、文字はすべて手書きでしたから、アイデア次第でいかようにでも文字をデザインできました。でもそれらをフォントとして使おうと思ったら、不可能なケースが少なくないのです。そうした意味でも、挑戦すべきフォントがまだまだたくさんあると思っています。
フォントのアイデアは、無限に生み出していけるものなのですね。
私は趣味と仕事を兼ねて長く書道を続けているのですが、筆文字ひとつとってもフォントになっていない多くのデザインが存在します。相撲や歌舞伎に使われているあのスタイルはフォントとして作られてはいますが、バリエーションは多くありません。他にも江戸時代の瓦版や浄瑠璃の脚本に使われていたくねくねした浄瑠璃文字……。過去の表現に新しい発想を加えることもできるでしょうし、アイデアは無限に湧いてきます。私が書道を続けているのは、筆文字のオーダーが来た時に自信を持ってつくりたいから。筆の動きがわかっていないと良い筆文字を作るのが難しいんですよ。
一方で、原宿のお店の看板に使われるようなポップな書体もつくりたい。そして、どんなタイプデザイナーも口をそろえて「つくりたい」と話す、「美しい明朝体」にもいつか挑戦したいです。超えるものはできないだろうと思うほど、昔の明朝体は本当に美しいんです。
とにかく、つくりたいフォントがあり過ぎて。会社で将来に向けた計画を練る時などに、「これはいったい何年後に実現するつもり?」と聞かれて、「20年後くらいになりそうですね」と答えるくらい(笑)。日本語が続く限り、タイプデザインのアイデアは尽きないでしょう。
女性視点でつくった「かわいい明朝体」とタイプデザイナーとしてキャリアを続けるということ

デザインの道を志す読者に向けて、エールをいただけますか?
今でこそこんなに熱く仕事について語っていますが、私は過去にタイプデザイナーのキャリアを断念しそうになったことがありました。娘を出産した後、仕事との両立があまりにもきつくて、思わず逃げてしまいそうになったんです。でも、なんとか辞めることなく乗り切りました。逃げてもまた戻れるかもしれませんが、続けるからこそ見える未来が絶対にある。私はそう思います。特に女性は、出産などのライフステージの変化で大変な時期が訪れやすい。そんな時でも、プライベートも仕事もあきらめることなく、うまくバランスをとって、長くクリエイター人生を楽しんでほしいですね。
西塚さんは、女性のタイプデザイナーの分野では第一人者のような存在ですよね。
私の後ろに、多くの女性タイプデザイナーが育っているのはうれしいことです。なぜなら、タイプデザインの分野でも、ジェンダーバランスはとても大切だと思っているから。私は2017年に「貂明朝」というフォントをつくったのですが、その時のモチベーションは、「かわいい明朝体がつくりたい」という思いでした。鳥獣戯画や画家の長沢蘆雪が描いた犬のように、歴史上にはかわいいものがたくさんありますが、文字にはそれがないと気付いたんです。明朝体には、「かっこいい」とか「美しい」というイメージがありますが、そのほとんどは男性がデザインしたもの。かわいらしい明朝体があってもいいのではないか。そう思って取り組みました。
おかげさまで「貂明朝」は、穏やかな雰囲気のカフェのメニューや、優しいテイストのグラフィックデザインなどにたくさん使われています。最近人気の缶ビール「晴れ風」(キリンビール株式会社)のパッケージや広告に使われているのも、「貂明朝」です。女性のタイプデザイナーが増えることで、今まで無かった表現が増えるかもしれない。それを楽しみにしています。

※掲載の社名、商品名、サービス名ほか各種名称は、各社の商標または登録商標です。
取材日:2026年3月31日 ライター:佐藤 葉月 スチール:あらい だいすけ 動画撮影:浦田 優衣 動画編集:鈴木 夏美






