目標や夢は、持ち続けることこそが大切――。デジタル作画でアニメーション業界を変える「異業種出身社長」の挑戦

東京
株式会社シグナル・エムディ 代表取締役社長 森下 勝司氏
国内のアニメーション業界を牽引するIGポートグループ。その一員として「グローバルに業界全体の再編を促すハブ的存在であり続けたい」という理念を掲げる株式会社シグナル・エムディは、いち早くデジタル化へ向けて舵を切ったことでも知られています。「次世代のクリエイターが安心して働ける場所を作りたい」と語る代表取締役社長の森下勝司さん。「異業種出身」の意外なキャリアと、企業理念に込めた業界への思いをうかがいました。

「プロデューサーなら絵を描けなくてもなれそうだぞ」と思った

森下さんがアニメーション業界を志した理由は何だったのでしょうか?

子どもの頃から、とにかくアニメーションが大好きでした。僕はいわゆる「ファーストガンダム世代」です。テレビ放映をリアルタイムで見て、プラモデルにも夢中になっていました。絵を描くのも得意なほうだったので、中学生の頃には漠然と「将来はアニメーションに関わる仕事に就けたらいいな」と考えていましたね。ただ、僕の地元である和歌山の田舎にも、自分より絵がうまい人間はたくさんいました。何も見ずにガンダムを完璧に描くとかね。「東京に出れば、もっとうまい奴が山ほどいるんだろうな」と感じました。

絵を描くことに関しては限界を感じていたのでしょうか?

そうかもしれません。一方でアニメを見ていると、「プロデューサー」という肩書きの人がクレジットされています。当時はまだインターネットが普及していなくて、Google検索なんてできない時代で、雑誌やラジオで得た情報から制作現場をまとめる「プロデューサーなら絵を描けなくてもなれそうだぞ」と思うようになったんです(笑)。その頃からプロデューサーという存在を目指していましたね。

中学生というと、例えばバンドをやっていれば「いつかはメジャーデビューを」と考えるような年頃だと思います。森下さんの場合は、ある意味では「現実路線」で業界に入ることを夢見ていたのですね。

それだけ本気で業界を目指していたのかもしれません。とは言え高校は普通の学校へ進み、親からは「大学はちゃんと出ておけ」と言われたので、素直に受験もしました。その頃はアニメーションの専門学校があるということも知らなかったんです。僕はどちらかというと理系の科目が得意だったこともあり、「図面を描いたりデザインしたりする学科なら将来的にアニメーションを作る仕事に役立つかもしれない」と考えて、大学では建築学科に進みました。授業のほかはバイトに明け暮れ、暇さえあればレンタルビデオ店へ足を運び、アニメの最新作を見続けるという日々でした。

新聞の片隅で見つけた「チャンス」

森下さんのキャリアのスタートは異業種からだったとうかがいました。

アニメーション制作会社という業種があるのは知っていましたが、どうやって入ればいいのか分からなかったんです。それで、アニメーションに関われそうなテレビ局や出版社、広告代理店などを志望しました。何十社と応募し、どんどん書類選考で落とされながらも、最後の最後で東宝から内定をもらいました。「やった! これでアニメーションの仕事に就ける!」と思ったんですよ。でもここからが意外な展開で。

意外な展開?

東宝には持ちビルや土地などの不動産資産を管理・運用する部門があって、映画や演劇と並んで、全体の収益の約3分の1を稼ぎ出していました。僕はそこに配属されたんです。入社後に聞いたところでは、建築系の学科から東宝へ入る人間なんてほとんどいないらしいんですね。「お前は建築を勉強してきたんだから、将来もずっとこの部門で」と言われました。僕はある種の稀有な人材として扱われ、人事異動のローテーションからも除外されました。

せっかく東宝に入社できたのに……。

まさに(笑)。でも東宝は良い会社でした。安定した大企業で、先輩にも働く環境にも恵まれている。このままここで働き続けるのかもしれないな……と思うようになっていたんです。そんなある日、ふと新聞を見ていたら、SPE・ビジュアルワークス(現、株式会社アニプレックス)というソニー・ミュージックグループの会社が求人を出していました。「ディレクター、プロデューサー求む」と。それ以外には詳しいことは何も書かれていませんでしたが、僕はその会社がアニメを作っている会社だと知っていました。それでダメ元で応募してみたら、なんと内定をいただいて。

奇跡的な出会いですね。しかし、当時の森下さんは東宝で働いているとはいえ、完全に異業種の人ですよね。なぜSPE・ビジュアルワークスに採用されたのでしょう?

「いつかは自分で作りたい」と思っていたアニメーション作品があったので、企画書を準備して、面接に持参したんです。ちゃんとした書き方を知っていたわけでもなく、あくまでも自己流で作った企画書ですが、それを受け取ってくれた取締役が「面白い奴だな」と感じてプッシュしてくれたと後から聞きました。

そうした行動力につながるアニメーションへの情熱が根っこにあったのですね。

僕はよく専門学校の講義などでも話すのですが、「チャンスがない」と嘆く若い人は、チャンスを見逃しているだけなんじゃないかと思うんです。本来チャンスというのは誰にでも平等にあるもの。僕が偶然目にした新聞の求人欄もそのひとつでした。日頃から強く「アニメの仕事がしたい」と思っていたからこそ目についたのだと思います。チャンスさえ見逃さなければ、あとは自分の意志とアクション次第で道は拓けていくものなんじゃないでしょうか。

現場へ飛び込んでいきなり任された、プロデューサー業の第一歩

中学生の頃から10年越しで抱き続けていた「アニメ業界で働く」という夢が、とうとう叶ったわけですね。

それはもう、うれしかったですよ。でも入社後は怒涛の展開でした。社長に会って「よろしくお願いします」とあいさつをしたら、いきなり分厚い資料をドンと渡されたんです。それが、僕が初めて関わることになる『BLOOD THE LAST VAMPIRE』という作品の絵コンテや設定資料。そのときに「プロダクション・アイジーという会社を知ってるか?」と聞かれ、「合弁でIGプラスという会社を作ったから、来週からそこに出向してくれ」と言われました。新しく採用した人間を出向させることになっていたようで、僕に白羽の矢が立ちました。

ほんの少し前までは不動産の仕事をしていたのに、いきなりプロダクション・アイジーの制作現場へ入っていったということですか?

そうなんです。出向先で机と椅子、そして「アシスタント・プロデューサー」という肩書きを与えられ、とりあえずPCをネットにつないでは見たものの、そこから何をすればいいのか分かりませんでした。「とにかく、まずはかかってきた電話に出よう」みたいな感じです(笑)。そんなふうにして2週間ほど暇そうに過ごしていると、当時は目新しい役回りだった「デジタル進行」という仕事が回ってきました。

「デジタル進行」とは聞き慣れない仕事ですね。

今はもう存在しない職種なんですけどね。『BLOOD THE LAST VAMPIRE』は、仕上げ以降の工程にAfter Effectsを使うなど、アイジーで初めてデジタルを導入した作品でした。紙に描く部署と、スキャニングしてからの仕上げ以降を担当する部署が、当時は分かれていたんですよ。その間を調整するのがデジタル進行です。僕はAfter Effectsなんて使ったこともないし、そもそもPCだってほとんど使えませんでしたが、「人を管理することがメインだから、やればできるよ」と言われて、本当に見よう見まねでその仕事が始まりました。もともとプロデューサーになりたいと思っていたので、まさにその第一歩という感じです。そこでいろいろな人と知り合い、アニメーションを作る現場を初めて目の当たりにしました。大変でしたが、最終的に『BLOOD THE LAST VAMPIRE』が完成して、上映されたときの感慨はひとしおでした。

出向状態はその後も続いたのですか?

はい。4年間出向が続き、結果的にIGプラスという会社をたたむことになりました。それで私の出向も解除になって、いよいよ本体であるSPE・ビジュアルワークスに戻ることになったのですが、当時の社長が「森下もずっと現場にいて、仲間と同じ釜の飯を食っているんだから、もしあっちに行きたかったら転職してもいいんだぞ」と言ってくれて。

男気を感じる言葉ですね。

はい。今でもとても感謝しています。プロダクション・アイジー代表の石川光久からも「うちで新しいプロジェクトをやってくれないか」と言ってもらっていて。それで、改めてアイジーへ移ることにしました。その後は『イノセンス』(東宝・2004)や『攻殻機動隊S.A.C.シリーズ』などの作品に関わり、出資社との関係値構築などを中心に担当しました。僕の場合は東宝時代に賃貸借契約などを多数経験し、重要書類を取り交わすような業務に慣れていたこともあって、石川のもとで法務セクションのような仕事も手伝っていました。どんな経験が将来につながるか、分からないものですね。

小規模な一代限りの会社が多い中でも、クリエイターが安心して働けるように

そして森下さんは2014年、新たに誕生したシグナル・エムディの代表に就任しました。

この会社を設立する少し前から、「IGポートグループでもデジタル化の流れを加速させていく必要がある」という議論をしていたんです。デジタル作画の技術や活用法を研究していく動きが出てきていました。僕はそこに加わっていたグループ各社に関わり、取りまとめをやっていたこともあって、デジタル化を進める新会社の代表を務めることになりました。

「グローバルに業界全体の再編を促すハブ的存在であり続けたい。」という企業理念が印象的です。

これは、会社設立時に僕が強く思っていたことでもあります。アニメーション業界は、いろいろな母体から独立して生まれた小さな会社が非常に多いんですよね。そうして生まれた会社同士が、互いに潰し合うこともなく、仕事を発注し合うなどして仲良く発展していく風土がある。逆に言えば、「いろいろな会社と組んでパートナーシップを発揮していかなければ、良いアニメーションは作れない」という状況になっています。これはちょっとおこがましい考えかもしれませんが、業界の未来を考えていく上では、こうしたパートナーシップを加速させていくことが欠かせないと思うんですよ。

業界の未来、ですか。

はい。小規模でやられていて、後継者が続いていかないような会社が多い中では、クリエイターが安心して働き続けることが難しいという面もあります。このままだと、次世代の人たちが業界を支えていくことも難しくなっていくと思うんです。僕自身、若手時代から石川をはじめ、業界の先輩にいろいろと教わりながらここまで来ました。そんな僕だからこそ、そろそろ次世代のことを考えていかなきゃいけないな、と。シグナル・エムディが中心となって、多くの会社が連携するハブになっていけたらと思っています。

アニメーション業界では、長時間労働などの負のイメージが定着してしまっている向きもあります。業界の現状についてはどのように考えていますか?

IGポートは業界の中でも比較的大きな規模のグループなので、こうした問題についても先陣を切って解決していかなければいけないと思います。専門家の分業制によって成り立つアニメーション作りの現場を一夜で変えるのは難しいですが、大きな可能性を持っているのがデジタル作画だと考えています。PCが普及して世の中の働き方が大きく変わったように、デジタルによってアニメーション業界も変えられるはずだと。

目標をひとつ実現させたら、すぐに次の目標を持つ

実際のところ、現状ではどの程度までデジタル化の動きが進んでいるのでしょう?

早い時期から対外的に「うちはデジタル作画を推進します」と宣言していることもあって、デジタル作画に興味を持つ若いクリエイターがどんどん加わってくれている印象がありますね。今、うちに来ていただいている若い方はほとんどがデジタル作画を担う前提で入ってくれている。将来的にはテレビ放映作品なども、すべてをデジタルで制作していけるようになると見ています。ツールの開発が進み、環境もより改善されていくはずなので、働き方もかなり変わっていくのではないでしょうか。それがあとどれくらいの時間軸で完成するのかを断言できる段階ではありませんが、できるだけ早く実現したいですね。

シグナル・エムディとしては、今後どんな人材がほしいと考えていますか?

クリエイターで言うと、やはり「デジタル作画に抵抗感がない人」のほうが向いているでしょう。実際に今の若い人たちは、ソフトウェアを使ってタブレットなどで描いている人も多いですよね。そんな人たちに「その方法でちゃんと働ける場所」を提供していきたい。あとは、「目標や夢」を持ち、アップデートしていける人でしょうか。

目標や夢をアップデートしていける人、ですか。

はい。僕の場合は、目標をひとつ実現させたら、すぐに次の目標を持つようにしています。目標や夢というのはただ持っていればいいというものではなく、「持ち続けること」こそが大切だと思うんです。そうしないと、叶った時点で次に向かうエネルギーが失われてしまうから。よく「燃え尽き症候群」みたいになってしまう人もいますよね。夢だったアニメーション制作の現場に入ったことで、すべてが達成されたような感じになってしまっている人。それではもったいない。どんどん次のステージをイメージして、目標を持ってほしいと思います。

森下さんご自身は、次の目標をどのように定めているのですか?

シグナル・エムディの活動領域を広げつつ、1社だけでは難しいデジタル化の流れをさらに加速させていきたいですね。デジタル作画でアニメーション業界を変えるという目標に向け、志をともにするクリエイター陣と力を合わせて前進していきたいと思います。それが「グローバルに業界全体の再編を促すハブ的存在であり続けたい。」という理念の実現にもつながると信じています。ちなみに最近では『フリクリ』の最新作に関わり、その内の1話を送り出そうとしているところです。これはIGポートグループの中で、初めて全編デジタル作画で完成させた作品。新しいシグナル・エムディの可能性を感じていただけるはずです。

取材日:2018年4月18日 ライター:多田慎介

株式会社シグナル・エムディ

  • 代表者名:森下 勝司
  • 設立年月:2014年10月
  • 事業内容:アニメーションの企画・制作
  • 所在地:東京都武蔵野市中町1-16-10 ニッセイ武蔵野ビル2F(M-sideスタジオ)
  • URL:http://www.signal-md.co.jp/
  • 問い合わせ先:0422-38-5290
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