アバターは「もうひとつの身体」——バーチャル美少女ねむ氏が語る、国際標準化と自己デザインの未来

Vol.250
VTuber / 作家 / メタバース文化エバンジェリスト
バーチャル美少女
ねむ

アバターを用いて活動するクリエイターであり、研究者や技術者とも議論を重ねながら、メタバース文化の最前線に立ってきた、バーチャル美少女ねむ氏。2024年には、国立研究開発法人産業技術総合研究所(産総研)が設置した「アバター国際標準化の国内検討委員会」の委員として、標準化に向けた議論の場にも参加しています。それは、アバターが単なるキャラクターや表現手段ではなく、社会的に扱われる「存在」になりつつあることを示しています。

ねむ氏は、アバターを「感覚を持ち、行動を規定し、アイデンティティを引き出す、もうひとつの身体」だと捉えています。では、その身体が、どのようなルールのもとで、これからのバーチャル社会を生きていくことになるのか。標準化、身体性、分人、そして創作の自由。アバターを“身体として生きている”当事者であるねむ氏に、いま起きている変化と、その先に広がる可能性について話を聞きました。

行き来できないアバターが浮かび上がらせた、標準化の必要性

アバターの国際標準化については、以前から議論されていたテーマなのでしょうか?

アバターと標準化の話は、海外というよりも日本の中で強く出てきた動きです。VRゴーグルを被って没入する仮想世界のことをソーシャルVRやメタバースと呼びます。現在、世界中でさまざまなソーシャルVRのサービスがつくられていますが、実はそれぞれでアバターのフォーマットがまったく違うんです。ユーザーとしてはかなり不便な状況です。

たとえば、私が今いる空間はチェコで開発されている「Resonite」ですし、ほかにもVRChat、日本発のcluster、VirtualCastなど、さまざまなプラットフォームがあります。でも、それぞれでアバターの仕様が違うので、実は同じアバターをそのまま使い回すことができません。

ここでよく例に出すのが、画像フォーマットの話です。Facebookのプロフィール写真はJPEG形式ですが、その画像はTwitterでも、チャットでも、そのまま使えますよね。フォーマットが共通化されているから、どこでも使えて便利なわけです。

一方で、アバターはまだそうなっていません。時間をかけてアバターをつくっても、プラットフォームごとに仕様が異なるため、そのまま持っていけない。人が多く集まる場所、ものづくりに向いている場所、配信に適した場所など、用途に応じて行き来したくても、そのたびに設定をやり直す必要がある。これだと複数のプラットフォームの間を自由に行き来することができず、それぞれが閉じた世界になってしまいます。

将来的に、私のようできずバーチャル空間に完全没入して暮らす人が増えていくとしたら、プラットフォームごとにアバターのフォーマットがバラバラな状態は大きな足かせになります。ソーシャルVRが「空間性を持った次世代のインターネット」のような存在になっていくことを見据えたとき、特にメタバースの文化が注目されている日本から標準化の必要性が自然と立ち上がってきた、という流れですね。

「変更できる身体」がよりクリエイティブな自分を引き出す

ねむさんは、アバターをアイデンティティそのものとして捉えていると語られています。その言葉には、どのような意味を込めているのでしょうか。

私たちメタバースの住人にとって、アバターは肉体そのものです。肉体には、アイデンティフィケーション、つまり「見た目によって、それを自分だと認識する役割」があります。これはメタバースに限った話ではありません。現実世界で皆さんが使っている肉体も、私は一種のアバターだと考えていますし、本質的に同じものだと思っています。

ただ、そこにはひとつ大きな違いがあります。現実世界の肉体は、初期設定(生まれ持った身体)の姿から大きく変えることができません。一方で、メタバースのアバターは、自由に好きな姿を選ぶことができます。

この「変更できる」という点が、とても大きい。自分のアイデンティティを、自分のイメージに沿って自在にデザインできるからです。私自身もそうですが、現実世界の性別や属性とはまったく関係のない姿で、メタバースで生活し、その姿のままで活動したり、メディア発信をしたりすることができます。これは非常にクリエイティブなことです。

現実世界での表現や創作は、どうしても性別や年齢といった属性の影響を受けてしまう。たとえば極端な話、男性が美少女アイドルになりたいと思っても、現実ではかなりハードルが高いですよね。でもメタバースでは、それが容易に可能です。姿も声も変えられるし、現実の属性に縛られず、メタバースで活動できます。そうやって自由にアイデンティティをつくっていくことで、よりクリエイティブな自分を、自分の中から引き出すことができるんです。

だから、「メタバース」というと3D空間や技術に目が向きがちですが、私自身は、どちらかというと「自分の心の中にある世界」と捉えています。メタバースに身を置く中で、「自分にはこんな一面があったんだ」「こんな才能が眠っていたんだ」と気づく場面が、少しずつ増えていきました。そういう意味で、メタバースは、自分の才能を見つける旅のようなものなのではないかと思っています。

「分人」という感覚がもたらすクリエイティビティの解放

メタバースでは、好きなアイデンティティを創れるという話がありました。一方で、アバターは「もうひとつの身体」のような存在でもあるとおっしゃっています。その身体感覚は、どのように生まれてくるのでしょうか。

いま私は、頭にVRゴーグルをつけて、右手と左手にはコントローラーをバンドで固定しています。それに加えて、お腹にひとつ、右足と左足にそれぞれひとつずつ、トラッカーと呼ばれる位置センサーを装着しています。そうすると、全身の動きが、アバターと完全に同期するんです。

自分が動けば、アバターも同じように動く。この状態で暮らしていると、アバターの身体が、現実の自分の身体そのものに感じられてきます。さらに、アバターの身体に誰かが触れたときに、まるで自分自身が触れられたかのように受け取ってしまうこともあります。

これを専門用語で、VR感覚やファントムセンス、疑似感覚と呼んだりします。アバターが自分そのものに感じられ、さらに感触まで得られる。「この姿で、この世界を生きている」という生まれ変わったような感覚が得られます。

アバターの見た目によって、振る舞いが変わることもありますか?

ありますね。私はアバターを複数持っているんですけど、たとえば少女漫画のような絵柄のアバターだと、自然と優しくて、まろやかな振る舞いになる。一方で、アニメのキャラクターのような姿だと、動きがコミカルになったりもするんです。

不思議なことに、アバターを着替えるだけで、行動や雰囲気が少し変わることがあります。そのときどきで、自分の中にある別の側面が、自然と前に出てくる。そうした感覚を通して、アイデンティティが「姿を持つもの」として立ち上がってくるところに、メタバースの面白さを感じています。

この感覚については、作家の平野啓一郎さんが提唱している「分人」という考え方とも重なります。以前、平野さんと対談したときに強く共感したのは、人はひとつの人格だけで生きているわけではなく、関係性や状況ごとに、いくつもの側面を持っている、という視点でした。

メタバースでは、その「分人」を、単なる内面の切り替えとしてではなく、実際に姿を持った存在として表に出すことができます。その状態で活動し、表現し、関係を築くことができる。そこに、大きな可能性を感じています。

自分の中に複数の側面があり、それぞれを表現できるようになると、発信や表現のあり方も変わっていきそうです。

私の書籍『メタバース進化論』では、これを「進化」という言葉で語っています。アイデンティティが「与えられるもの」から「デザインするもの」に変化する。現実世界では普通のサラリーマンだった人が、メタバースでは洋服デザイナーとして活動していたり、私のように配信者やタレントのような立場で活動していたりする人もいます。私自身も、メタバースに入ってから、クリエイティビティが大きく解放された実感があります。

これからの時代、自動化が進み、人間が担う仕事は減っていく。その中で、人間がやることは何かと考えると、やはりクリエイティブな活動だと思うんです。ただ、そのときに、現実の属性が障害になってしまう人もいる。そういう人にとって、メタバースは、とても大きな可能性を持った場所になると思っています。

当事者として立ち会う、いまという分岐点

そうした中で、アバターを使って創作をする人が意識しておくべきことはありますか?

アバターって、ただの姿形ではなくて、強いイメージや価値を背負った存在なんですよね。そうした前提があるからこそ、ルールの存在も重要になります。多くの人の力を借りて新しいクリエイティブを生み出せる一方で、「自分の表現はこうあってほしい」という思いがぶつかり合う場面も少なくありません。メタバースを体験したことがない人には、アバターの肉体が住人にとってどれほど大事なものなのかが、なかなか伝わらないこともあります。ですので、他のクリエイターの気持ちを尊重することがとても大事です。

私が特に気にしているのは、プラットフォーマーがアバターをどう扱うか、という点です。標準化の話もそうですが、自由を損なうようなルールが生まれてしまうと、メタバースが本来持っている可能性が失われかねない。

だからこそ、アバター文化が育ってきた日本から、「自由度の高い標準フォーマットをつくろう」という動きが生まれていることには、大きな意味があると思っています。こうした議論は、今後のメタバースがどの方向に進んでいくのかにも深く関わってきます。もし、アバターを使わない立場の人だけで、現実世界のイメージの延長線上でルールが決められてしまえば、その自由や可能性が失われてしまう。

そうした状況だからこそ、私のような一ユーザーが議論の場に入っていくことにも意味があります。アバターを「身体」として生きている当事者が、その身体の扱われ方について語り、ルールづくりに関わるのは、とても重要なことです。

アバターを「もうひとつの身体」として使い、姿や役割、表現のあり方を自分で選び取れるという自由や可能性を、これから表現や創作に関わる人たちがどう受け取り、どう使っていくのか。その問いが、メタバースの未来を、ひいては人類の進化の行く末を決めていくのです。

取材日:2026年1月26日 ライター:小泉 真治

プロフィール
VTuber / 作家 / メタバース文化エバンジェリスト
ねむ
「バーチャルでなりたい自分になる」をテーマに人類の進化を促すべく配信・執筆・調査活動を行っている。世界最古の個人系VTuberとして2017年にデビュー。メタバースの革命性を論じた著書『メタバース進化論』(2022年、技術評論社)で「ITエンジニア本大賞2023」を受賞。国連IGF登壇を始め、講演や大学講義の経験多数。2022年にはアバター文化への貢献が認められ、キズナアイ以来史上二人目となる「アバターアワード2022 特別功労賞(一般社団法人VRMコンソーシアム)」受賞。2023年にはMoguLive VTuber Award 2023「今年最も輝いたVTuber」に選出。2025年にはForbes JAPAN「NEXT100:世界を救う希望」に選出された。
スイスの人類学者リュドミラ・ブレディキナと共にメタバース住人の大規模生活実態レポート「ソーシャルVRライフスタイル調査」シリーズを定期的に発表。HTC公式の初代「VIVEアンバサダー」として最新のVR技術の振興活動も行う。各種省庁のメタバース活用にも情報提供やアドバイスを行っている。2024年には産総研「アバター国際標準化の国内検討委員会」委員に就任した。
主な著書に、メタバース解説書『メタバース進化論(日本語版:技術評論社、韓国語版:ITDAM BOOKS)』、小説『仮想美少女シンギュラリティ(VTuber文庫)』、VTuber総合学術書『VTuber学(岩波書店、共著)』がある。

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