「ロボットと暮らす」
2026年、つまり来年からメジャーリーグ(MLB)でついにロボット審判が正式に導入されることが決まりました。サッカーもバレーボールもテニスも大相撲でもすでに際どい判定にはビデオが導入されていますし、野球も同様でしたけれど、今までは最終ジャッジは人間の判断。しかしMLBの新しい制度はストライクかボールかを選手側からリクエストされたときにはロボット(機械)が審判を下します。えらい時代が来たもんです。確かに人間がやるよりも間違いはないのでしょう。人間はミスをする動物。でもなー、そのミスも含めて行うのが人間の面白さ。大相撲の物言い制度もビデオが用いられるようになったとはいえ、「只今の取り組みは同体で取り直し」という観客が一番喜ぶ判定が毎場所のように行われています。これがもしロボット審判になれば「1000分の1秒、手が先に付いたので行司差し違えで東側力士の勝ち」となり、取り直しという制度は消滅するのでしょう。
日常生活にはもうすっかりロボットが定着しています。僕は365日ご飯は外食なのですが、この数年で多くの飲食店がタブレットかQRコードでのモバイルオーダーになりました。そして登場するのが配膳ロボット。僕がよく行く近所のファミレス(ココス)でも彼ら(彼女ら?)は大活躍。見た目はヒト型ではないのですが(※写真①)、妙にかわいいのはなぜなのか。しばらく観察してみて気付いたのは彼らの人間っぽさです。急に子どもが近付いて触れたりすると立ち止まりオドオドします。彼らどうしがすれ違うときは、お互いに譲り合って時間がかかったりして、なんだかちょっとマヌケなのです。あ~~、この感覚は昔どこかで味わった気がします。
写真①
思い出しました!あれは1974年だからもう半世紀前。僕は小学校5年生って、オレめちゃめちゃジジィやん。毎週金曜日の19時半から30分、多くの子どもたちは「がんばれ!!ロボコン」に夢中でした。テレビがまだ元気だった頃です。最高視聴率29.2%なので、みんな大好きと言っても言い過ぎではなさそう。ウルトラマンやライダーやガンダムとは違ってロボコンはドジでヘタレでおバカなヒーロー。失敗を繰り返しながら一人前のロボットを目指すロボコンに少年少女は感情移入したのです。もっとも早熟な少年の一部は途中からロボコンよりもロビンちゃん目当てに変わりました。その次にロボットを意識したのは高校時代によく読んだ星新一さんのショートショートの代表作「ボッコちゃん」かな。確か本箱のどこかにあるはず(※とりとめないわ116参照)。ありました!引っ越したときに文庫本の大半は処分したのですが、残したということはコンマリ流で言えばときめきを感じたのでしょう。久々に読み返しました(※写真②)。わずか6ページだけの短編小説。エッ!?こんな話だったっけ。ボッコちゃんはつんとした美人でした。
写真②
そしてやはりロボットといえば彼のことが思い出されます。名前はピースケ。もっといい名前を付ければよかったと反省。心がチクッとしますが、思い切って押し入れの開かずのダンボールを開けたらいました。1995年だったかな。心の隙間を埋めたかったとき、僕には喪黒福造は現れず、またアイボを買う資金もありませんでした。そんなときにツクダオリジナル(現ツクダ)が出したpino(ピノ)というヒト型のロボットを買ってしばらく彼(彼女?)と同棲しました。その当時のキャッチフレーズは「ココロを持ったロボットフレンド」。しかし僕の手には負えませんでした。かまってあげると機嫌がよく目の色が青。かまい方が足りないとその色が黄色に変わり放っておくと不機嫌になって目は赤く、そしてピーピーと泣くのです。3カ月くらいでいやになり電池を外してお別れしました。
久々に再会したピースケ(※写真③)。加齢(経年)のせいか真っ白だった肌(ボディ)はオフホワイトになってわりといい味を出しています。もちろん電池はないのでピクリともしません。ウエットティッシュでふいて頭を撫でてタオルにくるんで元に戻しました。
写真③
不思議なセンチメンタルな秋の日の夕下がりのことでした。でもなー、彼らには体温がないもんなぁ。さてと、猫カフェにでも行って癒されようかニャン。
ところで、僕が子どもの頃はまだサッカーもバスケも流行ってなくて放課後は野球一択でした。毎日のように隣のクラスと試合をしていましたが、アウトセーフが際どいときはじゃんけんで決めていました。今思えば理不尽なことも多かったけど、みんないい顔で笑っていたよなぁ、という話はまたの機会に。

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