職種その他2015.01.14

ゴシックの誕生!at The British Library

London Art Trail Vol.31
London Art Trail 笠原みゆき
左がパオロッツィの彫刻 右が図書館入り口

左がパオロッツィの彫刻 右が図書館入り口

William Blake の絵画 “Newton”(1795年)を基にした彫刻 “Newton”(Eduardo Paolozzi、1995年)が入り口でお出迎え。ここは、英国図書館。その所蔵品は書物のみならず、収録音声、収録画、地図や切手、線描画にいたるまで170万点にも及びます。その図書館の企画ギャラリーで現在、『Terror and Wonder, The Gothic Imagination (恐怖と驚嘆、ゴシックの想像力) 』という展示が行なわれています。

右がストロベリー・ヒルの館で使われていた鏡のレプリカ

右がストロベリー・ヒルの館で使われていた鏡のレプリカ

鏡よ鏡!と思わず唱えてしまいそうになるオドロオドロしい鏡。 中央上には恐ろしい魔女ならぬ柔和な紳士の肖像画。紳士はこの鏡の持ち主のHorace Walpole。西ロンドン近郊ストロベリー・ヒルに中世ゴシック風に改築した大邸宅を構え中世の奇品珍品を収集したウォルポールは、英ゴシック文学の祖と呼ばれ、小説 The Castle of Otranto(オトラント城奇譚、1765年)の作者。 小説は当初、北イングランドの旧家の書庫で見付けられた、事実を基に書かれたイタリア語の古文書を英語に翻訳した本として出版されました。

実は物語、逸話は全てウォルポールのでっち上げ。 非難を浴びたウォルポールは夢に現れた話を基に二ヶ月で執筆したとお詫びと共に暴露します。ところが地図を見て適当に選んだ南イタリアの地名を用いた城の名が実在する中世の城であり、小説と同じように領有権を巡る紛争があったことが発覚。喜んだウォルポールはその後の版では実在するオトラントの城の版画を挿絵に使うようになります。

物語はというと…。 オトラントの城主、マンフレッドの息子が結婚式直前に空から突然降ってきた巨大な兜の下敷きになって死亡。マンフレッドは城に伝わる「真の所有主が現れる」という予言を恐れ、跡継ぎが途絶えることに怯え、妻と離婚してまで息子の花嫁と結婚しようとする。そんな中、度重なる怪異。さらに巨大な脚鎧、手甲、剣などが出現して…。 と、奇譚の名にふさわしい内容。

The Castle of Otranto 1977年 ©Jan Svankmajer 会場では英語字幕版が上演中。日本語字幕の動画のリンクはこちらから。

The Castle of Otranto 1977年 ©Jan Svankmajer
会場では英語字幕版が上演中。日本語字幕の動画のリンクはこちらから。

この小説を見事に映像化したのがチェコの作家 Jan Svankmajerの短編アニメーション(18分) “The Castle of Otranto (1977年)”。 古文書の美しい挿絵が切り絵として動く物語に並行して、舞台になった城が実はイタリアではなく東ボヘミアに実在する城だった!という仮説をもっともらしい証拠を並べ、現地で学者とリポーターがテレビ解説するという趣向をとっています。ウォルポールの捏造の上にマスメディアを使った現代版の捏造とひねりの利いた作品です。

“マンク”の中でも人気の高かったThe Bleeding Nun(血みどろ修道女) のエピソードの挿絵、豪華フルカラー!(1823年版)

“マンク”の中でも人気の高かったThe Bleeding Nun(血みどろ修道女)
のエピソードの挿絵、豪華フルカラー!(1823年版)

胸から血を流しながら短剣を掲げる修道女の幽霊。 イラストはMatthew Lewisの小説 “The Monk(マンク、初版1796年)”の挿絵 (1823年版)。 あらすじはというと、信仰篤き若き僧院長アンブロシオは、見習い僧を装って修道院に入りこんだ美しい女マチルダの誘惑にかかり、戒律を破る。その後は、魔性の女の意のままに、黒魔術に手を染め、聖なる教会を黒ミサで汚し、強姦、窃盗、殺人とあらゆる悪徳に身を沈めていくアンブロシオ…。

すさまじい背徳と残虐性で、あちこちから非難を浴びながらも小説は大受け。19歳でマンクを執筆、社交界の花形となったルイスは、王室からも好意的な評を受け、僅か20歳で国会議員に選出されます。(ちなみに前記のウォルポールも国会議員で、初代英国首相の三男。オトラント城奇譚を書いたのは任期中。)

時代はフランス革命の真っただ中。マンク出版の三年前の1793年にはルイ16世がギロチンによって処刑され、明日は我が身かと戦々恐々とした英王室と英政府は真っ先に諸王国と同盟を組み、フランス革命政権打倒を試みていた時。フランス革命を契機にゴシック文学は一気に過激さを増したといいます。

“フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス”の1818年初版本

“フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス”の1818年初版本

Bride of Frankenstein(フランケンシュタインの花嫁、1935年) ©ユニバーサル映画 監督は英国人ジェイムズ・ホエール 会場でもこのハイライトのみ上演

同じく19歳で小説、“Frankenstein: or, The Modern Prometheus (フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス)”を書き上げたMary Shelley。 小説は1818年に匿名で出版。 多くの映像化、パロディー化がなされている著名な作品ですが、原作は単なるホラーではありません。産業革命の急激な工業化により、過酷な労働者の実態が社会問題化し始めた英国で、社会運動家、思想家の両親を持って生まれたシェリー。 科学の進歩は本当に人間に愛や幸福をもたらすのか。現代では可能になったクローン生物の創造やDNAの組み替え技術、そして明らかになったその弊害。シェリーはおよそ200年後の私達にその命題を突きつけています。

ウォルポールがオトラント城奇譚を執筆してから今年で250年。ここでは初期のゴシック作品のみの紹介でしたが、会場には150点の手書きの古文書から絵画、映像、オブジェに至るまで展示され、英ゴシック文学の幕開けから現代のゴス・ファッションまで幅広くカバーされていました。全体を通して一見実際の社会には関係なさそうな夢想的なゴシック文学やアートの世界が、意外にもその時々の社会現象や事件に関係していることに気づかされたのが印象的でした。

Profile of 笠原みゆき(アーチスト)

笠原みゆき

©Jenny Matthews

2007年からフリーランスのアーチストとしてショーディッチ・トラスト、ハックニー・カウンシル、ワンズワース・カウンシルなどロンドンの自治体からの委託を受け地元住民参加型のアートを制作しつつ、個人のプロジェクトをヨーロッパ各地で展開中。
Royal College of Art 卒。東ロンドン・ハックニー区在住。

ウェブサイト:www.miyukikasahara.com

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