映画ソムリエ/東 紗友美の“もう試写った!” 第49回『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』
『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』
▶深い余韻に浸れる人間ドラマを求めている人におすすめ
見慣れた街が、まったく違って見える度100
心がざわつくような静けさの中で、人と人が本当に向き合うとは何かを深く問いかけてくる映画。この作品は、ある日突然訪れる悲劇を通して、言葉では伝えきれない感情の断絶と、それでもなお繋がろうとする家族の姿を丁寧に描いています。セリフよりも視線や沈黙、手の動きにこそ宿る“対話”の本質を感じさせる本作は、観る者にとっても、自身の内面を見つめ直す静かな時間を与えてくれます。
あらすじ
ニューヨークで暮らす日本人の夫・賢治(西島秀俊)と、中華系アメリカ人の妻・ジェーン(グイ・ルンメイ)。
日々の仕事、子育て、そして親の介護に追われる二人の生活には、すでに小さな綻びが生まれていた。そんなある日、幼い息子が誘拐され、さらに殺人事件へと発展。悲劇の渦中で、夫婦が口に出せずにいた本音や秘密が次々と露わになっていく。
“幸せな家族”を目指していたはずの二人は、その理想の姿に戻れるのか。
事件をきっかけに崩れたように見えた家族の関係は、実はもっと前から静かに壊れ始めていた。

本作の主演を務めるのは、アカデミー賞受賞作『ドライブ・マイ・カー』で国際的に高く評価され、現在も活躍の場を広げている西島秀俊。彼の妻役には、『薄氷の殺人』などで知られる台湾の国民的女優、グイ・ルンメイ。監督は、『ディストラクション・ベイビーズ』『宮本から君へ』などで注目を集めた真利子哲也。
言語や文化の違いを乗り越えて暮らす国際夫婦。共通言語は英語ながら、言葉だけでは届かない感情のすれ違いが浮かび上がる。むしろ「言葉に頼りすぎていた」ことで見落としてきた相手の温度、沈黙の中にあった本当の気持ち。それらが次第に明らかになっていく過程を、非言語的な演出(視線、仕草、呼吸など)で丁寧に描写しています。
特に印象的なのは、妻ジェーンの職業である人形劇師というモチーフ。彼女の“分身”ともいえる人形の存在が、夫・賢治の心に小さな波を起こし、やがて二人の関係に新たな光を差し込んでいく演出が秀逸です。
真利子監督が描くニューヨークの街は、これまでの華やかな都市像とは異なり、どこか退廃的で、どこか日本の街にも見える独自の質感。知っているはずの都市が、見たことのない場所に思える。これまで数多くの映画で出会ってきたNYとは異なり、見慣れたNYの輝きはない。それとは違う、光と影を捉え、まるで日本のどこかの街のようにも思えるし、 知らない都市のようにも感じられる。映画は魔法なんだと、映像表現で思い返すことができました。

この映画を観て、私はひとつのメッセージを、まるで自分の中に届いた手紙のように受け取りました。それがとても深く、自分の心に触れてきたので、書かせてください。
この映画は自分の心と向き合うきっかけをくれる映画でした。
「トラウマを乗り越える」とか、「過去を克服する」といった言葉、私たちは日常のなかでよく耳にしますよね。でもこの作品は、そうではないのだと静かに語りかけてきます。
乗り越えるのではなく、立ち返ること。
過去に起きた喪失や、胸の奥に沈めてきた恐怖の“源”と向き合うこと。
それが、本当の再生の始まりなんだと、この映画はそっと教えてくれました。
痛みを伴うけれど、それでも自分の心の奥にある感情に、真正面から手を伸ばすこと。
それは決して派手な「克服」ではないけれど、静かで、深く、確かな一歩なんだと思います。
この映画は、そうした内なる対話に、ずっと寄り添ってくれるような時間でした。
音もなく壊れていく家族を見つめながら、私はふと思ったんです。
言葉では届かない誰かの気持ちに、本当に触れるって、どういうことだったんだろうって。
そしてようやく、その重みと温度を、思い出したような気がします。

とりわけ印象的だったのは、“言葉にしない対話”の存在感です。
夫婦の間には共通言語として英語があるものの、それでも心がすれ違うのは、単なる翻訳では届かない感情の層があるから。言葉で説明しすぎるよりも、沈黙や視線、身体の動きといった非言語的なやりとりが、より深く本質に触れることがあるということを、この映画は教えてくれます。
傷ついた心同士が少しずつ“向き合おうとする”場面には、ただの和解や希望以上の感情が流れていて、それは再生というよりも、“受け入れること”から始まる新しい関係の形のようでした。壊れたからこそ築ける信頼もある。
再生は、かつての関係に戻ることではなく、互いが変わったうえで再び出会い直すことなのかもしれません。

また、ジェーンの人形劇というモチーフがとても印象的です。
彼女の手の動きや人形の視線には、言葉では表現できない深い感情が宿っていて、それが夫・賢治の心を少しずつ揺さぶっていく様子は、この作品にしかできない表現でした。
人形を通して語られる感情と、沈黙を抱えた夫の反応が重なり合う瞬間に、人が誰かに寄り添おうとするときの不器用さと誠実さがにじみ出ていて、まさに人を描いた映画だと確信しました。
そして何より、映画を観終えたときに残るのは、スクリーンの中の夫婦だけでなく、自分自身の人間関係や過去の記憶にまで意識がひろがっていく静かな余韻です。
悲劇を通して家族の本当の姿をあぶり出すことで「私は誰かとちゃんと向き合っていただろうか」「沈黙の奥にある気持ちを見ようとしていただろうか」そんな問いが、観る者の心にそっと置かれます。静かだけれど、強く、確かに響く。
この映画は“目で観る”というより、“心で観る”作品でした。

『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』
9.12 fri TOHOシネマズ シャンテほか 全国ロードショー

出演: 西島秀俊 グイ・ルンメイ
監督・脚本:真利子哲也
配給:東映
公式サイト: https://d-stranger.jp/
公式Xアカウント: @d_stranger_mv
公式Instagram:@d_stranger_mv

X(旧Twitter):@sayumisaaaan /Instagram:@higashisayumi







