「転失気(てんしき)はありました」

第97話
クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

この夏、ふとした病で数日入院して手術をしました。いくつになってもまだまだ初体験はアルプスほど(「山ほど」を言い換えた失敗例)あって、生まれて初めての全身麻酔。手術開始が13時ちょうどで目が覚めたのが17時半。手術自体は3時間と少しかかったそうです。病名は鼠径ヘルニア。いわゆる脱腸ですね。数年前から右の下腹部が膨らんできてかなりの大きさになり診てもらったところ手術の運びになりました。手術前は右側だけのはずでしたが、主治医の先生によれば「お腹を開けたら左もあったので両方手術しました。そのため時間も予定よりかかり左右に傷があります」と説明を受けました。

今から40年前。ヘルニアはヘルニアでも椎間板ヘルニアで当時20歳の僕は90日間丸々3カ月入院したことがあります。手術はせずにベッドでひたすら腰を温めて伸ばす牽引療法という気の長いやり方での治療。まだ年号は昭和で、のんきな時代。僕もニートというかフリーターというかあの頃はプータローと呼ばれていましたが、とにかく時間だけは沢山あったのでのんびり入院させてもらいました。今だとそんなに長く入院させてくれないと思います。今回はわずか3泊4日。病床がとても混んでいるとのことで退院の日はまだ足元が覚束なくタクシーの運転手さんに支えられながら家路に着きました。

病室は4人部屋でした。病院はいまだに完全なコロナ体制です。病室でも食事の時間以外はマスク着用で、守られているかどうか頻繁に見廻りに来られます。また個人情報やコンプライアンスの観点からだと思うのですが、病室に名前は掲示されません。入院患者は手首にバーコードの付いた輪っかを付けさせられ、お医者さんや看護師さんが来られるたびに名前と生年月日を言わされます。部屋はカーテンで全方位仕切られていて(※写真①)お見舞いや面会も禁止です。なので、4人部屋ですが隣がどんな人なのかまるでわかりません。

※写真①

でもですね!ここがちょっとマヌケなところでしてカーテンなので音だけはやたらと聞こえてくるのです。しかも全員しょっちゅう名前と生年月日を言わされるので、あっという間に同部屋の3人の名前と生年月日は覚えてしまいました。これはなかなかの情報漏洩な気もしました笑。僕は新参者なので廊下側の入口に一番近い場所のベッド。同じく廊下側に外国人(チラッと一瞬見えた感じだと中東っぽい)のMさん52歳。彼は一日のほとんどをスマホで誰かと会話していましたが小声なのと何語かわからなかったので最後まで正体不明でした。窓側の奥、日本的に言うといわゆる上座には入院1カ月になるS原さん58歳。話好きの彼のおかげで部屋の空気はほぐれます。「あれ?初めて見る顔だね、研修生かな?」とか「おっ!髪切ったね。いいじゃな~い」とか常に笑っていいとも状態のS原さんの会話から病院や看護師さんたちの興味深い情報が入手されます。「昨日窓を開けて寝たからちょっと喉が痛くてさ」「ダメですよ。他の患者さんもいるから窓を開けっ放しはダメです。それに虫も入ってくるでしょ」「虫は来ないだろう、ここ高いから」「そんなことないですよ、私の部屋は8階だけどゴキブリが出たんですよ」「それは部屋がキレイなんだよ。Iさんは見た目もきれいだけど部屋もキレイなんだね」「ゴキブリってキレイ好きなんですか?」「そうだよ。知らないの!」
う~ん、僕も知らなかったのでネットで調べたところ「ゴキブリはキレイ好き」という記事がありました。

その翌日のS原さんとベテラン看護師Aさんの会話にはさらに耳を立ててしまいました。「ね~、聞いたよ。この部屋出るんだって?」「何がです?」「とぼけないでよ。出ると言えば幽霊でしょ。この前まで空いていた入口のとこのベッド。夜中に誰もいないのにナースコールが鳴るって騒いでたよね?」「もうヘンな噂立てないでくださいよ!」「でも出るんだよね!」「出ません!!」
え~~、そのベッドって今僕が使っているこのベッドですよね。おいおいおい、10年ぶりにじぇじぇじぇと言いそうになりました。

そしてもう一人の窓側、僕のすぐ隣はHアズさん33歳。なんでも日本に90人しかいない珍しい苗字だそうで、イケメンで看護師さんから人気がありました。僕はおそらく偏屈なジジイだと思われていたのかあまり看護師さんがコミュニケーションを取ってくれません。
そんな中、手術後に部屋が8階の看護師Iさんが検温に来られて「ガスは出ましたか?」と聞かれ「エッ?」と言うと「あ、術後はおならが出た方がいいんですよ」と言われ「まだ出てません」と答えました。この会話で急に打ち解けた気分になってしまったのは男の勝手な性なのでしょう。さらに加えて僕の悪いクセが出てしまいました。翌日またIさんから「ガスは出ましたか?」と尋ねられたのをうれしく感じて「転失気(てんしき)はありました!」と答えると「どういう意味ですか?」と尋ねられ、ここぞとばかりに「落語に知ったかぶりをテーマにした転失気(てんしき)という噺がありまして、転失気(てんしき)っておならのことなんですよ。因みに僕は落語が大好きでして!」と熱弁をふるったところ「あ、そうですか、おならはあったんですね」と軽くそしてマスク越しにもはっきりとわかる冷ややかな目で見られ、話はそこで終了。そうです、忘れていました!広く世間一般は僕が大好きな落語には何の興味もないことを。あ~~、いつか誰かと転失気(おなら)の話で盛り上がりたいものです。

ところで、ヘルニアってイタリア料理の名前みたいだと40年前に思った話はまたの機会に。

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~終了しました~
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https://job.fellow-s.co.jp/creative-next/detail/20231026

プロフィール
クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
門田 陽
クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州、(株)電通を経て2023年4月より独立。 TCC新人賞、TCC審査委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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