「あの日に帰りたいだろうか」

第89話
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

1982年1月16日の土曜日と翌17日の日曜日。高校3年生だった僕は福岡市中央区の九州大学六本松キャンパス(今は再開発で商業施設やマンション等が建ちキャンパスは伊都に移転)で共通一次試験(現在の共通テストにあたるもの)を受けました。共通一次試験は国公立大学の二次試験を受ける人は必ず受験しなければいけませんでした。しかし僕は国公立大学への進学など及びもつかないどころか1ミリも考えたこともなく、その年は私立大学も1校も受けず就職もせず、何の進路も決まらないまま3月1日に高校を卒業しました。

当時僕の通った高校は1学年450人。そのうち現役で大学に受かったのは30人もいませんでした。短大や専門学校に進学したのが50人位いたでしょうか。就職組も5~60人だったと思うので残りの300人以上は浪人や今で言うニート(もう古いかな?)、あの頃はプー太郎という呼び名の分類に属した者が大半で僕もその中の一人になりました。

さて、僕はなぜ共通一次試験を受けたのでしょうか。僕だけではありません。いわゆる悪僧も含めクラスの多くの友達みんなで受けたのです。僕ももちろん受けたほとんどの連中は受験勉強に縁のない毎日を送っていたので試験問題は手強いとかいうレベルではなくチンプンカンプンもいい所だったはずです。当然僕も問題の意味すらわからず、マークシートならではの奇跡を信じて、ひたすら鉛筆を転がしマークする番号を決めていると試験監督から音がうるさいと注意をされそこからはあみだくじに変更して全問マークだけはする始末。それでもあの年はみんなで意味なく一緒に受けることに意味があったのです。恥ずかしい言葉を使うと青春のページ作り。5教科7科目の苦痛な試験時間が終了後、みんなで九大の教室に残り記念撮影をして、これもまた試験監督の先生に「君たちは何をやってるんだ、早く帰りなさい!」と怒られそのことは学校にも告げられたようで翌週担任から「先生は情けないぞ、お前たち!」とホームルームで嘆かれました。何がそんなに楽しかったのか、試験の帰り道は妙にハイテンションで何人かでラーメン屋さんへ入ってよく喋りよく笑いました。

去年の流行語にもなった「青春って、密なので」という青春を経験した人なら皆わかる「あの気持ち」「あの感じ」を青春から遠く離れた今の僕が果たして言葉ではなくリアルに肌感覚でわかるのだろうかとふと思い立ち、もう一度あの場に身を置いてみたくなりました。気になるとやらずにはいられない僕の悪いクセ(杉下右京風)です。

2023年1月14日の土曜日。あれから41年後の僕は東京都目黒区の東京大学教養学部試験場で大学入学共通テストを受けました(※写真①)。

※写真①

いや~、緊張しました。緊張の理由のひとつは完全に場違いで周りから浮いていたこと。そして何よりも10代のみんなの真剣な姿に圧倒されたこと。さらにコロナ禍や昨年の入試でスマホを使った不正が問題になったこと等もあってか、試験監督の人数がとても多くピリピリした雰囲気。試験開始前には各自持っているスマホを机上に出させて電源オフの確認がありました。共通一次の頃はスマホも携帯もまだ何もなかったのでこんな事はなかったですし、諸注意の数の多さに驚きました。中でも「アラームなどの音が鳴った場合、本人の了解を得ずに鞄を外に持ち出します」と強い口調での説明は恐さも感じましたが、令和では当たり前の事なのでしょう。強いてあの日との共通点をあげるなら、試験問題がまるでわからなかったことくらいでしょうか。黒板を眺めたり天井を見上げたり目を閉じたりして、41年前のあの日のこと思い返しました。

人間の記憶はフシギですね。妙なことばかり思い出します。今と違って教室がとても寒かったこと。ヒートテックなんてない時代ですから学ランの下にセーターを着こんでいたけどそれでも寒かった。そして同じ試験会場だった他校の生徒がまぶしかったこと。その中でも特にかわいいコがいて、同級生のアホのN君が一目惚れして試験どころではなくなったこと。そしてもう一つ。試験の翌週の休みの日(当時はまだ土曜は半ドンだったので日曜日ですね)に同級生数人となぜか後輩の何人かも一緒に太宰府天満宮に行ったことを思い出しました。どんなに祈願しても合格はあり得ないメンバーでしたが、お参りを済ませおみくじを引くと僕一人だけ凶が出て大いにからかわれました。

あ~、これはもうリベンジに行くしかないです。翌日飛行機に飛び乗り弾丸で福岡へ行きました。太宰府はもの凄い数の人出。パッと見はコロナ以前よりも多い気がしました(※写真②)。

※写真②

受験シーズンの道真パワー恐るべしです。おみくじを引きました。こんな不埒な態度の受験生なので期待はしていませんでしたが、小吉でした(※写真③)。

※写真③

これならいっそ凶の方がいいよな、今回のオチとしては弱いなぁ、なんて図図しいことを思いながらの帰りの飛行機は速攻寝落ちでした。

ところであの頃、共通一次試験のマークシートは全部③番にマークすれば佐賀大学は合格(うか)るという都市伝説、いや田舎伝説があった話はまたの機会に。

プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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