少し前から将棋にハマっている話。
昨年くらいから、将棋を観るのにハマっている。
昔、実家に住んでいた頃は、日曜日になると父が将棋番組を観ていた。
たまに、指そうといってきて相手をさせられたが、こちらも特に興味がなく、適当に指していたらものの5分で終わってしまう。
特に悔しいとも思わず、やれやれ終わったかという程度の感想しか持てなかったのに。
生きていると、特に興味がなかったことでも突然「趣味」としてハマりだすことがあるから面白い。
きっかけは、やはり好きな棋士ができたことだった。
とある棋士の先生がタイトルを奪るまでのドキュメンタリーを観て、「ああ面白いな」と思った。
将棋の内容もそうだが、負けても負けても諦めないという、その棋士の生き様みたいのに感動してしまったのだ。
というわけで、昨年くらいから対局日を気にし、結果に一喜一憂し、気づけば中継を追いかけている。
何だったら、好きな棋士の先生は増える一方で、対局も結果も都度追いかけないと気が済まず、最近何だか忙しい。
これまでの人生でも何度か誰かのファンになったことはあるが、勝ち負けのある世界にいる人を応援するのは初めてだ。
将棋は基本的に引き分けがなく、勝つか負けるか、そのどちらか。
しかも長い時間をかけて積み上げたものが、終盤の一手でひっくり返ることもある。
観ているこちらは何もできないのに、その一手の重さだけはやけに伝わってきて、妙に消耗する。
正直に言うと、評価値がなければ局面の良し悪しはほとんどわからない。
それでも観続けてしまうのは、対局後の感想戦が好きだからだと思う。
さっきまで勝負をしていた相手同士が、盤を挟んで淡々と手順をなぞる。
言葉は少ないのに、会話が成立しているあの感じを見ると、勝ち負けとは別のところで将棋が続いているような気がする。
もう少し局面が理解できるようになりたいなということで、暇があれば将棋アプリをやり、ついでに教室にも通い始めた。
そこで出会った指導棋士の先生が、とにかく優しい。
こちらが間違った指し方をしても、「それは三手先の正解ですね」と褒めてくれる。
たぶん正解ではない。でも否定されないと、人は少しだけ頑張れるらしい。
将棋を子どもの頃にやってたという夫と対局すると、二枚落ち(飛車角を落としてのハンデ戦)でも普通に負ける。
四枚落ち(飛車角香車を落としてのハンデ戦)でも、まだ余裕がありそうだ。
「悪いけど、周りを見ていないし、先も読んでいない」と言われると、「ですよねぇ」と思う。
地道に続けていけば、少しは困らせることができるだろうか。
来月は、山形県天童市で行われる人間将棋を観に行く予定だ。
人が駒に扮し、棋士がそれを動かして対局する、あのイベントである。
しかも、すべての駒を一度は動かすというルールがあるらしい。
普段の対局とは違う、少し賑やかな将棋になりそうだ。
勝てば嬉しく、負ければしんどい。その単純な構造に、ここまで振り回されるとは思っていなかった。
それでも、また次の一局を見たくなる。どうやらしばらくは、このややこしい楽しさから抜け出せそうにない。







