最初で最後の「大阪松竹座」体験

choco旅
ライター
DECO KATO
加藤 デコ

1923年に日本最初の鉄筋コンクリート造りの活動写真館として開場、大阪庶民の文化の拠りどころであった大阪松竹座が今年5月で閉館する。私は一度も足を運んだことがなかったのだが、坂東玉三郎さんの公演「坂東玉三郎 大阪松竹座名残の華」が行われると知り、この機会に行ってみようとチケットを買った。

 

103年の歴史を誇る貴重な建築物

大阪松竹座は難波駅から歩いてすぐ。法善寺こいさん通りと道頓堀商店街に挟まれて、堂々と建っている。ネオ・ルネッサンス様式の建築で、正面のアーチ形が魅力的。全体に重厚感がある。“道頓堀の凱旋門”とも呼ばれたそうだ。大阪空襲にも耐え、1945年8月、敗戦直後に映画の興行を再開したというから、文字通り大阪の文化を支えてきた貴重な建築である。

道頓堀にも近く、土曜日ということもあり、大勢の人・人・人。その中に松竹座を見つけた。次々とお客様が吸いこまれていく。

 

1994年に建て替え工事が行われ、以降も歌舞伎、現代劇、映画上映、レビュー、ミュージカル、コンサート、落語会等、様々なコンテンツを発信してきた。館内に入ると、赤い絨毯を敷いたロビー、提灯の並んだホール、少し小さめのクラシックな座席など、初めての私も「劇場に来た~」と気持ちが高揚するしつらえである。

 

3階席で玉三郎さんを堪能できるのか??

歌舞伎を見始めたばかりの私は、悩んだ末に3階席のチケットを買った。この日も含め当初予定されていた2日間のチケットは15分で完売したとのこと。急遽、追加公演が決まり、2月12、13、14日の3日間の公演となった。さすが本物の国宝・坂東玉三郎さんである。

ホールに入ると、3階席からはこんな感じで舞台が見える。

今回のプログラムは、御名残口上と地唄「由縁の月」「残月」。口上では、玉三郎さんの衣裳も4点披露された。いずれも興味深く拝見した。3階席はさすがに細かな所作や表情は見づらい。が、舞台がよく見渡せるため、全体の流れがよくわかる。全くの素人の私にはそこがありがたかった。

いや、そもそも、玉三郎さんの舞や衣裳は遠くからでも本当に美しい。役者さんの力、映像とは異なる生の舞台の力を改めて感じた。「由縁の月」では遊女の苦しい胸の内を踊る姿が、「残月」では薄暗いもやの中から始まり、次第に明るくなり月が出てくる演出が、それぞれ印象に残った。おもしろく、夢中で見入った。あっという間だった。

当日のプログラムには舞の解説もあり、素人でもよくわかる。コレクションしたいが、今回は小さなバッグで出かけたため、折り目がついてしまった。次回からはクリアファイルを持参しよう。

公演が終わり、道頓堀の「グリコ」や法善寺横丁を散歩する。玉三郎さんの公演帰りと思われる方が連れ立ってお店に入る姿もあり、ちょっとうらやましい…。お食事しながら、今見たばかりの舞台のことを話題にするのではなかろうか。行きつけの「劇場」があってもいいかも…と思いながら、帰途についた。

 

いつか復活してほしい

この日、玉三郎さんが口上で紹介したのが、イタリア・ヴェネチアにあるフェニーチェ劇場だった。フェニーチェとはフェニックス=不死鳥のこと。1836年、1996年と二度にわたって火災により焼失したが、劇場の名前にふさわしくその都度再建され、現在に至っている。また、国内では、1910年に建てられた八千代座(熊本県)の例を挙げられた。「閉館したが取り壊す費用すらない」まま放置されていたものを、玉三郎さんはじめ多くの歌舞伎役者さんや地元の皆さんと協力し合い、1996年に大改修。現役の芝居小屋として復活を遂げている。

 

大阪松竹座のさよならポスターには「主役は、いつの時代もお客様でした」とある。

 大阪松竹座は5月末で閉館する。103年の歴史を誇り、これだけの設備を備えた施設が…と思うと、本当に惜しい。どのような形になるかはわからないが、新たな大阪松竹座が開場したときには、ぜひ足を運びたいと思っている。

 

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