消えたお正月

金沢
ライター
いんぎらぁと 手仕事のまちから
しお

2年前の元旦、石川県に住む私たちのお正月は文字通り消えた。

火を使っている時に余震が来たら怖いから、お正月用に用意していたご馳走は調理できず、避難するかもしれないからお酒も飲めなかった。

楽しみにしていた「さんタク」も地震中継に切り替わったし、その後はどの局を見ても、あの美しかった輪島朝市の街並みが真っ赤に燃える映像しか流れない。

でも、そんなの全くもってマシな方で、震源地に近い能登の人たちは家にも帰れず、その日から長い長い避難所生活が始まることになった。

お正月が無くなるなんてことが自分の人生に起こるなんて、誰が想像していただろう。

地震が起きて1年半経った昨年5月に、あれから初めて輪島市へ足を運んだ。

輪島市に繋がる「のと里山海道」は奥能登に行くほど、まだ道路が陥落したままで細くなる。

潰れたままの家屋、隆起したままの道、傾いたままの信号機。更地になった輪島朝市跡。

 

県外の人には信じられないかもしれないが、復興はまだまだ先だ。

直近で能登に行ったのは、2か月前の11月。

七尾市和倉温泉街のメインストリートの奥にそびえたつ、有名な高級旅館「加賀屋」が静かに取り壊しを待っている。

渡月橋はひび割れ、大正時代の数寄屋造りが自慢の渡月庵は建物ごと傾いたままだ。

金沢から和倉温泉に嫁に行った中学時代からの親友は、ガタガタの歩道を一緒に歩きながら「前は歩きやすかったんやけど、もうこんなとこまで直す余裕ないんやろうね」と小さく笑った。

そんな彼女は、1年半ぶりにようやく自宅で生活できるようになっている。

私はもともとお正月が大好きだ。というか、クリスマスあたりから、理由もなく年末年始に向けて気持ちがソワソワして、なんだか楽しい気持ちになってしまう。

年賀状の印刷とか、掃除をしなければいけない強迫観念とか、お節もどきを作らねばという責任感とか、そのすべてが結局嫌いじゃない。

だけど、能登半島地震から少しお正月が怖い。あんなにたくさん被災した人、亡くなった人がいるのに、お正月だからって手放しで喜べない。

そんな2025年の年末、お正月の記事の取材で金沢湯涌江戸村へ行った。

今では一般家庭で飾られることもほとんど無くなったお正月飾りを、4つの旧家に展示している。

これもまた、消えたお正月といえる景色。

だけど私たちはこうやって、失われたものを戻すことができる。残すことができる。伝えることができる。

お正月は、誰もが心から笑えるひと時であってほしい。

そんな小さな幸せも叶わない人がいるのも事実だけど、いつかみんなが笑える日が来てほしいと、今年の1月1日も私は無責任にただ願った。

プロフィール
ライター
しお
ブランニュー古都。 ふるくてあたらしいが混在する金沢に生まれ育ち、最近ますますこの街が好きです。 タウン情報サイトの記者やインターネット回線、動画配信サービスのまとめ記事などを執筆しながら見つけたもの、感じたことをレポートします。 てんとうむししゃ代表。

TAGS of TOPICS

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP