AI vs クリエイターの私 〜その技術、敵か、味方か〜 第3話その2
AIに自分の文章を学習させて作らせたものを「私の文章」として公開して良いのでしょうか?という疑問が浮かんだところで終わった前回。それを実現するにあたり、恐らく最大の懸念事項であり、クリアにしなければいけない壁となるのは「著作権」だと思います。
文章を書く仕事をしている人はたくさんいますが、私はその中でもメディア(報道)系、特に新聞業界にお世話になったのでその視点から調べてみました。
今、多くの新聞社がAIにブチ切れています。というのも、米国のある企業が生成AIを使って各社の記事を無断で取得し、それを利用者に向けて回答を作成していたことが発覚して、大手新聞各社が著作権侵害を巡り抗議ないしは訴訟を起こす事態にまで発展しました。
ここで、(一社)日本新聞協会のサイト(https://www.pressnet.or.jp/)に「ネットワーク上の著作権について」と題してまとめられているページがありましたので、こちらを見てみたいと思います。(話が脱線しますが、このトピックが議論され定義されたのが1997年11月と、インターネット黎明期の頃だったようです。やはり新技術が出てくる時は色々あるんですね〜)
この中の「ニュース記事には、著作権が働いています」の欄に、次の文章が記されています。
“著作権法第10条では、「言語の著作物」「写真の著作物」を定めています。新聞・通信社が新聞や電子メディアで発信する記事などの情報、報道写真はこれに該当します。なお、第2項で「事実の伝達にすぎない雑報及び時事の報道は、……著作物に該当しない」と規定しているため、「新聞記事には著作権はない」と早飲み込みしている人も多いようですが、ここでは、「事実の伝達にすぎない」という形容詞が付いていることにご注意ください。
(中略)
簡単な交通事故の記事は、公式に発表された事実関係だけを記述しただけですから、だれが書いても、あるいはどの新聞社が記事にしても、記事の書き方にはほとんど差がありません。しかし、死亡記事であっても、故人がどんな人で、どのような業績があったのかに触れたり故人を追悼する気持ちを出そうとしたものや、交通事故でも、事故の背景や周辺の様子などを記述していれば、単なる事実の伝達を超え、記者ごとの特徴を反映した記事になります。著作権法では、著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したもの」と定義(第2条の1号)しており、記者によって表現に差が出るような記事は、著作物の条件に当てはまると言えます。”
新聞各社はそれぞれ編集方針に則り、同じニュースでも各社異なる切り口で取り上げるものです。
その各社の「色」、競合と並べて差異が生まれる部分に著作権が生じる……と読み解くことができるのではないでしょうか。
ということは、AIで過去に自分が作った文章を学習させ、言い回しや構成を含めて真似をさせても差異は出る……とは考えにくい。むしろ、AIのプログラムAとプログラムBに同じ条件で学習させた上で何か文章を書かせた場合、そこに差異が出たら……AとBが著作権を巡ってケンカを始めるかもしれない?というSF染みた妄想をしてしまいました。まるで星新一のショートショートの世界のようですが、冗談ではなく本当にそんな世界が到来するかもしれない。怖いような、面白いような。
さて、ここまで考えた上でどうしようか……。
年末年始は暇だし、試しに生成AIに自分の文章を学習させて文章を作ってみようかな?
無事に実験できたかどうかは、来月の投稿でお知らせします。全然関係ない話が書き記してあったら、何かあったんだなと察していただければ幸いです(がんばります)。







