東京国際映画祭閉幕・『雌鶏』コンペティション部門
10月27日(月)に開幕した東京国際映画祭が11月5日(水)、幕を閉じました。
日比谷・有楽町・丸の内・銀座地区を中心に開催されたこの映画祭は、マーケットTIFFCOMと同時にコンペティション部門、ガラ・セクション、アジアの未来、ジャパニーズ・アニメーション、TIFF/NFAJクラシックなどの部門の上映の他、野外上映会や若手・学生向けのワークショップ、ケリング「ウーマン・イン・モーション」、トークサロン、その他ブラジル映画週間・日中映画週間などとの提携も含め、大いににぎわいました。
上映動員数は実に69,162人。昨年に比べて12.3%増加しています。実際に銀座・日比谷の街を行けば、関係者・観客と見受けられる方も多く、来日からとんぼ返りの監督・スタッフがいる反面、観光を同時に楽しまれる方も多くいる状況も垣間見られます。
さて、今年のグランプリには、アンマリ―・ジャシル監督の『パレスチナ36』が選出されましたが、今回は賞レースには入らないものの、プレスも一般観客も取材やQ&Aで盛り上がりを見せた上映作『雌鶏』についてお届けします。
『雌鶏』 パールフィ・ジョルジ

©Pallas Film 2025 film still by DOP Giorgos Karvelas
舞台は現代のギリシア。前代未聞の、全編をニワトリ(雌鶏)の視点で進行するというユニークなこの作品『雌鶏』はパールフィ・ジョルジ監督の作品です。
パールフィ・ジョルジ監督と言えば、『ハックル』(2002)や『タクシデルミア ある剥製師の遺言』(2006)などで知られるハンガリーの鬼才。トリッキーなカメラワークで注目を集めています。
プロデューサーはタナシス・カラタノス氏。今回の東京国際映画祭では、来られなかった監督の代わりにさまざまな質問に答えて下さいました。
まずは本作のあらすじですが、映画祭の作品解説から引用いたしますと、
「養鶏場から搬送中に逃走した鶏が、かつてレストランだった建物の中庭に一時的な避難の場所を見出す。だが、その鶏が生み出す卵をめぐって人間たちが争いを起こし、鶏は卵を守るために立ち向かう…。鶏の旅をユーモラスに描きつつ、人間たちの欲望、また社会格差の問題などを批評的に浮かび上がらせる作品」ということで、
実際に最初から最後までニワトリが出るか、ニワトリ視点での映像が続きます。
舞台はギリシア。
鶏の視点で進むため、鶏そのものにセリフはありません。
関わる人間や、通りすがる人間の声と気持ちを代弁するようなBGMがストーリーを進めていきますが、ニワトリは生きることを進めるばかり。
映画は果たして、人間など気にしない鶏そのものの、「生」を魅せていく方向へ……。
感想はさておき、囲み取材・Q&Aを通して、この怪作がどう作られたものか。何を示すのかを紐解いていきましょう。
Q&Aそして囲み取材に臨んだプロデューサー・タナシス・カラタノス氏はドイツに制作会社を持ち、主演ヨルゴス・カラヤニスが史上最年少でロカルノ映画祭主演男優賞を受賞した『パパにさよならできるまで』(2007)プロデューサーや、ドキュメンタリー『Four Daughters フォー・ドーターズ』(2023)『マリウポリ 7日間の記録』(2022)の制作など欧州ベースに幅広く活躍している方です。

(C)2025 TIFF
—どういう経緯で監督と仕事をしたのですか?
「パルフィ・ジョージ監督はハンガリーが政治的に右傾化し、それに対して声を上げたこともあり、問題人物とされてしまっていたこともあり、ハンガリーでは出資者が集まらない状況にありました。
しかし、持ち込まれた企画の内容が、ワクワクする、オリジナリティに富んだアイディアたっぷりのものだったので、ぜひとも組みたいと思い、動き始めました。」
―プロデューサーとして特に企画にほれ込んだ部分があれば教えて下さい。
「これまで聞いたこともない内容……動物が主人公であることに興味を惹かれました。人間はあくまで背景に過ぎず、鶏とは並行世界を生きています。監督と内容を掘り下げ、ディスカッションを続けるほどに、『これは既存の動物映画とは明らかに一線を画している』と確信を持ちました」
―撮影がギリシアになった理由と意図とは?
「前述した事情でハンガリーでの撮影が難しかったこともあります。更に、実は脚本段階ではメキシコを想定されていました。前半部分は変えず、上映で皆さんが見たままの物語が展開されていますが、本来後半では、メキシコのカルテルが絡む予定でした。ところが、欧州の出資者を募って始めたこともあり、メキシコ舞台で、メキシコ人の監督でもないという企画は難しかったので、監督にギリシアを提案しました。
ギリシアは難民やトラフィッキングの問題など被っている社会問題もあり、ここに光を当てるチャンスになると思っての提案です」
―キャスティング(雌鶏)にはどういう苦労がありましたか?
「企画段階……出資者を募る段階では、莫大な費用がかかるVFXやアニメーションでもない本物の雌鶏を使って撮影するというアイディアが無謀だと思われて悩ましかったです。
更に監督も鶏を扱っていなかったこともあり、私自身も経験がないため、若干の不安もありました。撮影期間は42日間だったのです。しかし、実は、ハンガリーに有名なハリウッド映画や『ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲』(2014 コルネル・ムンドルッツォ監督)『哀れなるものたち』(2023 ヨルゴス・ランティモス監督)などで動物のトレーナーを手掛けている優秀なアニマルトレーナーの方がおり、おかげさまで安心できました。
一般的に、ギリシアでは「鶏は賢くないもの」とされていて、人に対しても「鶏のように頭がよくない」(※日本語で言うところの鳥頭※)のような悪口があります。
けれど実際には鶏は賢く、撮影時間を超過したりすることもありませんでした」
―どのように実際の鶏を演出したのですか?
「今回は8羽の雌鶏を用意しました。雌鶏に対してCGは使っていません。
いずれもトレーニングされた鶏ですが、メインの8羽に対して、スタント用に2羽のエキストラを使わせてもらってもいます。どういうことかと言いますと、飛び跳ねるのがうまいやつがいて、そのシーンではその鶏に任せるといったような感じです。
またトレーナーは3人いましたが、トレーナー同士でどのシーンでどの鳥を使うか話し合いながら進めていきました。(鶏には名前がそれぞれついていたそうです)」
―撮影で注意した点はありますか?
「鶏の撮影で一番気をつけたのは、『落ち着いた雰囲気を作ること』でした。撮影スタッフに緊張感が出ると、動物側にも伝わってしまって、なかなかパフォーマンスを発揮してくれなくなります。そこだけは気をつけました」
―主演女優(雌鶏)の方の演技が素晴らしくて、レストランの逃げ回ってるシーンまでは波乱万丈だなと楽しんでいたのですが、最後のシーン……エンディングの方で人間側の事件を書いたのは何故でしょうか? 問題提起なのですか?
「ドラマを作りたかったので、そこまで描いていますが、監督の意図としては、人間世界と動物たちの世界をパラレルストーリーとして描いています。(※監督に代わって応えるので、多少ずれるかもしれないと断りながら※)人間は死に絶えていくけれど、我々が動物の生死に関心がないのと同じように、動物も人間の生死に関心がないということを映し出しているつもりです。
雌鶏(彼女)がひたすら頭の中で考えているのは『どのようにして生き残るか』に尽きます」

(C)2025 TIFF
※以下ネタバレも含みます※
「例えば、人身売買で警察がきたところ、トラックのところで捕まってしまいますが、その時も雌鶏はひたすら「番(つがい)をさがすことしか考えていない」のです。
番を探して、そして、卵を産み落として……これをずっとやっていくわけですが、そういう無関心さ=人間とは違う、並行している世界を描いています。
あくまでも主人公は雌鶏で彼女が、サバイバーであるという話なのです」
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『雌鶏』より © Pallas Film 2025 film, still by DOP Giorgos Karvelas
全編異例の鶏視点ということで、どうなるか評判含め半信半疑でしたが、上映もQ&Aも大盛り上がりでした。
映画祭の特徴上、この後、配給がつくかどうかで、どこで見られるか分かりませんが、配給関係者も興味津々の模様でした。いずれどこかでと期待が高まります。
プロデューサーはこう締めました。
「地球の上で我々は動物と人間で共存しています。人間は人間中心で考えがちですけれどもそうでなくて、雌鶏から見た世界はどうだろうということを考えるきっかけになればと思います。
もう一つ、登場したお爺さんと雌鶏の共通点は『セカンドチャンスがほしかった』ということ。結果、鶏はセカンドチャンスを得たのです」
またこの場への感謝と、監督からも愛をこめてとメッセージがあり、最後に「主演女優(雌鶏)を連れてこられなくてごめんなさい」と笑って、トークは締めくくられました。
『雌鶏(原題:Hen[Kota])』のような怪作に惹かれるのは、単に鶏から見た人間の滑稽さだけではなく、もう一つ、インタビューで答えられており、実際に鶏と共に見つめることになる難民や、貧困化、社会問題も含め……鶏同様に私たちは『視点が違うと興味が残酷なまでに変わる』という事実を思い知らされるリアリティによるものだと思います。
ただのロードムービーではなく、箱庭的な場所=社会、管理する側される側の環境・諸行無常な変化を、ユニークなだけでなく、ユーモアも載せて作られた作品。
ある種、考えなくても笑って見られてしまい、クスリとさせられながらも、何かを考えたくなる作品……映画という、ギリシアの空と海をめいっぱい生かした空間でのコンテンツにふさわしい物語でした。上映が叶ったら、今度は監督に直接インタビューしてみたいところです。







