初秋の湘南・江の島

横浜
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

ここ数年間、秋の初めのこの時期は江の島詣でをしている。

中世からの信仰の地、江戸期の観光の地。昭和後期のサザンオールスターズの歌謡曲、さらには平成期のスラムダンク人気により首都圏からアジア圏一体に人気となった湘南、そして江の島。

 9月下旬はすでに秋も酣のはずだが、昨今の地球温暖化、しかも今年、令和7年は記録稀に見る(すでに常套句)の猛暑の日取りゆえ最高気温30度以上とおさらばしたのはわずかに1週間前。それでも1か月前に比べれば明らかに「空気が変わった」のは実感できる。

 片瀬江ノ島絵の駅から境川を渡り、江の島大橋へ。

湘南の浜に、大橋に、江の島弁天の参道に茶髪ロン毛の若者があふれたのは平成ひとケタ時代。それから20年を経た現在、橋を渡り参道を歩む群衆は大半が黒髪。一時期は「チャパリーマン」…茶髪のサラリーマンすら存在した平成ひとケタ時代はバブルの残り香であったか。令和の今、道行く人の髪は黒い。皆、地毛だ。だがしゃべる言葉には半分近く中国語が混じっている。

 平成ひとケタ時代には店先で太った猫が寝そべっていた土産物屋のあたりはタコ煎餅を売る店になって大行列。江の島と言えば坂道と階段、その登りの発端の脇で「エビ煎餅」でビール。

ふわふわ卵焼きを2枚のエビ煎餅で挟む。これに江の島ビールで千数百円

 

いよいよダラダラ坂の階段にさしかかる。やはり平成ひとケタ時代には気の強い白猫がいた途中の民家は、縁日をイメージした居酒屋に生まれ変わるなど目まぐるしい。

階段を昇りつめ江の島弁天を拝む。植物園から江の島タワーの付近にかつてはたむろしていた猫は去勢手術のためか姿を見せず、平成16年ころの台風で吹き折られた銀杏の木はひこばえが相当の太さに成長している。20数年間の時代の流れ。

そして街路に並ぶ店は外見こそ昔ながらの日本家屋ながら、刺身に天ぷら、シラスのどんぶり飯を供する日本食堂に加えて薪を焚くピザ窯を備えガレットを供するおしゃれ風カフェも加わり喧しい。

それでも島の西岸へ向かう階段の急坂はそのまま。地球の重力に従って階段を下りる。落ちなければ簡単なわけだが、帰り道を考えれば辛くなる。

 102年前の関東大震災の折、大規模な地殻変動で江の島全体が数メートル隆起した。先年の能登半島地震で起こったのと同様の現象である。その折、海中にあった岩盤がひろく会場に現れ現在では観光客の憩いの場。

島の西側。

沖に向けて釣り糸を垂れる釣り人はやはり絵になる。

真西の方角。箱根の神山に駒ケ岳、そして二子山がかすかに見通せる。

晴天でさえあれば、右の雲がわだかまるあたりに富士を見通せたのだが返す返すも残念。

 

いくら地球温暖化でも秋の陽はつるべ落としでたちまち夕闇。

先刻の階段を痛みをこらえて昇り参道をもどり山二つを下り登り、江の島弁天の本殿に戻るあたりですでにトップリと日は落ちる。

 境内から見下ろす参道。

 江の島大橋を戻る人出はやはり行き同様に半分は日本語ではない。

本土に戻り、東浜から島を眺める。

雲こそ多いものの清涼な空気、サーチライトがフワッフワッと夜空を照らす。

海は凪模様、波は低く穏やかながら、シャウッシャウッと規則的に快く岸を洗う。

 

おりしも9月27日夜

浜では地元の子供たちのイルミネーションイベント。

「こしごえ」の文字が浮かび上がり浜には花火が揚がる

 

さらりとした秋風に響く花火も乙

 湘南の楽しみは初秋にある。

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。現在、歴史系の月刊誌で記事を執筆中。

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