「光る君へ」藤原伊周の子の悲恋と百人一首

東京
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

「光る君」の登場人物は
百人一首の歌人でもあった

百人一首といえば、鎌倉時代初期の公卿で歌人である藤原定家が選出した百首の和歌

第38代天智天皇から第84代順徳天皇までの約660年間に詠まれた和歌から「定家自身の視点」で選び抜いた100種の短歌である。

飛鳥時代から平安末期。都が大津や難波、飛鳥、藤原京に平城京、長岡京、そして平安京と移った時代。天皇親政から藤原氏による摂関政治、院政から武家政権の勃興…

百人一首が世に現れたのは貴族文化の終焉の折

それを見届けるように編纂された。

さて百人一首に選出された歌の作者は、いずれ劣らぬ当代の文化人である。
百人一首の歌には、貴族文化が隆盛を誇った平安時代中期の歌も多分に含まれている。

つまり今年、令和6年度大河ドラマ『光る君へ』の登場人物が詠んだ歌も含まれている、ということだ。

今回は百人一首から、『光る君へ』の登場人物が詠んだ歌を紹介してみたい。

道長のライバル、伊周
伊周の子が詠んだ悲恋の歌

63番

左京大夫道雅

今はただ 思ひ絶えなん とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな

左京大夫道雅、本名は藤原道雅
名前を言われても大半の人は「?」だろう。

今のところ、テレビにはまだ登場していないのだから。
だが彼の父の名を聞けば「ああ!」となるだろう。

 彼の父の名は藤原伊周

光る君』の主人公・まひろの恋人で柄本佑が演じる藤原道長。その道長の兄・道隆の子、つまり甥っ子が伊周

藤原道雅は伊周の子である。

三浦翔平演じる伊周は道長のライバル。

しかしあまりにも「残念」なライバル。

先の摂政である父・道隆の七光りで冠位に上り、妹の定子は時の一条天皇の中宮として愛される。やがて定子が皇子を産めば一族の繁栄は疑いなし…

だが若さゆえに帝に信用されず叔父である道長に先を越され、鬱屈を抱えたまま「恋敵」を脅し矢を射かけたところが、それは人違い。しかも人違いされたのは先の帝であった花山院だ。

畏れ多くも先の帝に弓曳くとは大逆罪、だが罪一等を減じられ、現在の福岡県に左遷されられる。時に西暦996年、この事件を元号にちなみ「長徳の変」と呼ぶ。

貴公子が嫉妬に狂い道を誤り暗黒面に堕ち、あげくは無様に追放されていく。イケメン墜落劇を巧みに演じ分ける三浦翔平。

さて今回の主人公である伊周の子・道雅は事件当時4歳。
父の過ちによって一族が没落に至る中で、多感な青春時代を過ごす。

時は流れて一条天皇の皇子で藤原道長の孫である後一条天皇の御代。

青年となった道雅は運命の女性と出会う。

先代の三条上皇の皇女・当子内親王。伊勢神宮の祭神・天照大神に遣える皇女・斎宮としての役目を終え帰京したばかりの彼女は当時16歳。道雅と当子内親王は人目を忍んで愛し合う仲になった。だが、関係が三条上皇に知れた。

娘に彼氏ができれば父は怒る、のは永遠のテーマ。

しかも相手が悪すぎた。帝のお姫様、神に仕える聖なる皇女。
そして相手の男は時の権力者・藤原道長の隆盛の影で不遇をかこつ没落貴族

不遇の青春時代で屈折した道雅は、三条上皇の皇子・敦明親王の従者に暴行を働いた過去があった。
三条上皇と道雅は因縁の関係だったのである。

道雅は当子内親王との仲を強引に裂かれ
当子は出家させられた。

無念の思いを胸に道雅が詠んだのが、冒頭の歌である。

今はただ 思ひ絶えなん とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな

今となっては、貴女のことはきっぱりと諦めようと存じます。ですが、それを人伝えではなく、貴女に直接伝えることができればいいのですが

 

5年後、当子内親王は病を得て亡くなった。享年22。
以降、道雅は以前に増して荒んだ人生を送り、従三位の位から特に出世もできないまま63歳で死去した。

だが歌作には巧みであり、上記の歌以外でも帝の命で編纂された和歌集「勅撰和歌集」には計7首が載る。晩年には歌人を招いて秀歌を競わせる「歌合」を自邸で催してもいる。

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。2004年よりフリーライター。食文化やアウトドア、そして故郷である北海道の歴史文化をモチーフに執筆中。 著書に『図解アイヌ』(新紀元社)、執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ)など。現在、雑誌『時空旅人』『男の隠れ家』で記事執筆中。

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