LETTERS

金沢
ライター
いんぎらぁと 手仕事のまちから
しお

東日本大震災から10年。

わたしは毎年3月11日に、ある人にメッセージを送っている。

あの日、東日本大震災の震源地から約700キロも離れた金沢で、午睡をしようと妊娠中の体を横たえていたわたしは確かに揺れを感じた。

気味の悪い揺れは、10年経ってもまだ薄く残っている。きっと、東北の人たちが感じたのとは比べ物にもならない、たった震度3の揺れを。

その後、生中継で映し出された、滔々と流れる大きな川が実は川ではなく、その下にあったはずの暮らしや人を町ごと呑み込んでいく様子だったのと気がついたのは翌朝の新聞を読んだときだ。

あれが川じゃなく津波だと、きっとその時ニュースでも言っていたのかもしれないが、まさかあの中に町々があるなんて理解できなかった。

連日新聞やテレビから流れる悲しい現実に、ただでさえマタニティナーバスだったわたしは同じく妊娠中の人はどうしているのだろう、東北の人たちはどんなに不安で辛いだろうと考えた。

だけど、思えば思うほど、多くの人が感じたのと同じようにわたしは自分の無力さに絶望した。

「思ってる」「祈ってる」。そんなきれいごとに、何の力があるだろう。

それから3年ほど経ち、上の息子の保育所の父母会でわたしは10人ほど集まったママさんたちの中にいた。

話が脱線したその先で、たまたま出身地はどこかということになり、長男と同い年の子のママさんが、あの地震以降、福島県から金沢へ引っ越してきたのだと知った。

福島出身だと口にしたママに、外国籍のママが間髪入れずにこういった。

「福島って原発のイメージしかないわ」

その言葉が耳に飛び込んだその瞬間、わたしの心拍数は急激にあがり、顔が真っ赤になっていくのが自分でわかった。

腹が立ったんじゃない。その一言に大きなショックを受けたのと、何より目の前で静かに黙るその人がどう感じたのかが怖かったのだ。

悲しい気持ちになってほしくなかった。福島って原発しかないわけがないのだ。

だって、わたしは生まれ育った金沢が好きだし、きっとほとんどの人が自分の故郷に思い出や好きな場所があるはずだから。絶対にその一言に傷つけられてほしくなかった。

しかし、わたしのざわつきまくった心を濾過してどうにか口から飛び出したのは、「ふっ、福島ってわたしの大好きな人の出身地なんです!だから、福島って聞くとテンションあがっちゃうなぁー」というちょっとイタイ奴発言だった。

その場にいたママさんたちの頭上に「ハテナマーク」がはっきりと浮かびあがるのを見ないふりして、わたしは赤い顔で「サンボマスターってバンドが好きで、そのボーカルの人が福島出身なんですっ」とつづけた。

伝わる人には伝わるかもしれないが、サンボマスターの山口さんは音楽で誰かを救える数少ないおひとだが、口を尖らせ高い位置でレスポールを弾きながら歌うその姿は決してアイドルではない。

だけど、わたしがテンパリすぎてひねり出した言葉は発声方法を間違えて、ジャニーズとか若手イケメン俳優とかに向けるようなハートマークがつかんばかりの黄色い声に乗せてしまい、そもそもそれを父母会の会議で急に言い出すのもかなりお門違いで…。

だけど、恐る恐るその人を見ると、たぶん完全に苦笑いをしながら、「あぁ、なんか福島の歌もあるよね」と言ってくれた。

やっぱりわたしは無力だ。だけど、わたしのしょうもない、馬鹿みたいな発言で、0.1ミリでも本当に笑ってくれたとしたらうれしかったし、せっかく金沢に来てくれたこの人をもっと笑わせたいと思った。

それからしばらく、わたしは3月11日になるとその人に、素人まるだしのお菓子を焼いた。ある年なんて、あとで自分で食べたらマフィンの中が生焼けで、もう逆に嫌がらせだ。

それが正解なのかは、わからなかった。そっとしておいてほしいのかもしれないとも思った。だけど、その日がちょっとでも家族みんなで笑える日になればいいなと願った。

息子たちが違う小学校にあがっても、わたしは3月11日になるとその人にメッセージと曲を1つ贈っている。

もちろん、「I love you& I need you ふくしま」を贈った年もあった。

毎年、送るメッセージを考えるたび、わたしは迷う。やっぱり迷惑なんじゃないか。

こんなことをするのは、震災直後に何もできなかったことへの自己満足だと気付いていた。独善的だとも思った。

ある年、その人はわたしに「最近、福島に帰りたいと強く思う」と返事をくれた。でもその数年後、「金沢に来てよかった」と言ってくれた。

ある年、「忘れずにいてくれてありがとう。忘れずにいてくれる人がいることが幸せです」と言ってくれた。その一言が本当に、本当にうれしかった。

去年、その人は「喉元過ぎれば…とか自分はそうならないと思っていたけど、そうなりつつあるから悲しくなる」と言った。

忘れないことは何もできなかったわたしが、唯一できることだ。

同じ国で生きていて、微弱でも同じ揺れを感じて、他人ごとではないと思うこと。

震災のことを考えるとき、わたしはそれを大事にしたいと思っている。

それは東北に限ったことじゃないし、神戸だって熊本だって、日本じゃない国で起きた地震も戦争も、このコロナ禍で厳しい状況に置かれた人たちも、「他人ごと」で片づけない想像力を常に持っていたい。

だけどひとつ、実際に苦しい思いをした人とただ見ているだけだった人の「他人ごと」の境を分けるとしたら、辛かった人はもっと「忘れてもいい」のだと思う。

時間が経てば、どんなことだって忘れられる一瞬があったり、濃度が薄まったりするのは、人間が生きていくために与えられた魔法だ。

本当に辛い思いをした人は、この10年で乗り越えられることは少しずつ乗り越えて、でもずっと完全に忘れられることなんてないだろうけど、震災のことを思い出さない一瞬が増えていっても、もちろんいいのだ。

その分、わたしたち、何もできなかった人がきっと忘れないから。

無力な自分をこれからも忘れない。その分、もし手の届く範囲に困った人がいたときは、助けたい。

そして、今年あの人に贈る曲はBISHの「Letters」にしようと決めた。

-僕ら必ず忘れないさ 辛さすら飾りにしてやる

本当人間ってやつは面白いけど弱い

でもね届けるよ 胸の中 ダサい姿も全部晒そう

あなたいるこの世界守りたいと叫ぶ

見えない明日は待たない 今もあなたの無事を祈る

絶対距離は遠くないんだ 今も近くにあるんだ-

これが、わたしの10年目の手紙だ。

プロフィール
ライター
しお
ブランニュー古都。 ふるくてあたらしいが混在する金沢に生まれ育ち、最近ますますこの街が好きです。 タウン情報サイトの記者やインターネット情報のまとめ記事などを執筆しながら見つけたもの、感じたことをレポートします。 てんとうむししゃ代表。

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