グラフィック2018.05.16

働き方を見つめ直すべく札幌へIターン。高い技術があれば場所に縛られず日本中どこででも働ける。

札幌
グラフィックデザイナー 円谷晃司氏
Profile
広告業界でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして各種広告の企画提案、デザイン設計、ディレクションはもとより、マーケティングとプロモーション戦略を絡めた企画や新しい仕組み、トレンド作りなどにも参画。2016年12月より札幌へIターン。
東京でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして活躍されてきた円谷晃司(つむらや こうじ)さん。その飄々とした雰囲気の裏に隠されたデザインへの熱い想いと高い技術で、名だたる大企業のプロモーション戦略に関わり華やかな広告業界のど真ん中を走り抜けてこられました。
そんな輝かしいキャリアの中、ふと立ち止まり、北海道へのIターンという選択をするきっかけとなった「家族」への想いや働き方、これからのデザイナーの目指すべき姿について伺いました。今後の北海道のクリエイティブシーンを牽引してくれるであろう注目のクリエイターです!

新しいものを!新しいことを!と走り続けた東京時代

これまでのキャリアを教えてください。

福島の高校、東京のデザイン専門学校を卒業した後、音楽関係のプロモーション会社にアシスタントデザイナーとして入社しました。当時は音楽が好きだったので「音楽に関わる仕事だし良いかな」くらいの漠然とした感じで決めた会社でしたが、音楽 CD のジャケットデザインやプロモーションビデオの制作などを担当するうち、今更ですがデザインという仕事についてきちんと考えるようになったんです。「グラフィックデザインってなんて幅の広い仕事なんだ。グラフィックデザインができれば、できることがたくさんある」と。そのためにももっとデザインについて学びたいと思ったのですが、その会社は音源の編集などをメイン事業とする会社だったため、それ以上の技術を学ぶことが難しく、1年で早々に転職活動を始めました。

学校で勉強していても、現場に入って初めて実感することってありますよね。

当時の広告業界では「車」「不動産」「化粧品」の3つの業界が派手で予算も大きく、この業界でグラフィックデザイナー、アートディレクター、プロデューサーをするのが広告業界の一番上流だと言われていました。これらの分野を極めればどこでも通用する力が付くだろう、どうせなら一番レベルの高いところで勉強しようと自動車関係の広告プロダクションを自分で調べて電話をかけまくりました。しかも「初心者歓迎」のところはあえて除外して「経験者のみ」となっているところばかりに。「給料もいらないから勉強させてくれ!」くらいの勢いです。当然、何十件電話をかけても散々断られるのですが、その中で唯一「面白そうな奴が来たからとりあえず面接だけでも呼んでみようか」と声をかけてくれたのが次に勤めることになる広告制作プロダクションです。そこでアシスタントデザイナーとして、お客様のお茶出しから写真の整理、校正のゴミチェックや断裁など、一から勉強させてもらいました。

印象に残っているお仕事はありますか?

スチール撮影がアナログ(ポジフィルム)とデジタルの狭間の時期で、ちょうどデジタルへの移行が本格的になってきたタイミングでした。僕は会社で一番若く、専門学校でデジタルの知識を学んだばかりだったということで、技術もないのに撮影にはよく同行させてもらいました。
そこではデジタルでの色々な撮影技法を試してみたり、少ない画素数のデータを何百枚と組み合わせてA4サイズのデータにしたり、デジタルデータをポジフィルムに起こしてから写真分解をしてみたり……デジタル撮影が黎明期だったこともあってとにかく本当に色んなことを試していました。自動車業界でデジタル撮影の方法論やテクニックを形にしたのはあの時の自分達だったんじゃないかと思うほどです。そこで撮影に長く関わったので写真や紙面を見る目も養われてレベルがぐっと上がりました。
また、入社5年目にチーフデザイナー(後アートディレクター)として某有名外車の広告デザインを担当させてもらうことになりました。従来の富裕層ではなく、若者や女性に向けた広告展開を行うという事で、若い僕にチャンスが回ってきたんです。この時はデザイン制作だけでなく、カタログ制作のためのフォーマットを撮影技法から作り上げたり、表現やCI(Corporate Identity)を作ったりと、結果的には日本で展開する広告のベースを作ることになりました。すごく忙しく働いていましたが、この時の仕事が僕のすべてのベースになっていると思います。

まさに広告業界のど真ん中ですね。他にはどのようなことをされていましたか?

フリーランスの時期を経て、不動産広告にも関わりました。その時は広告制作と言っても僕がチラシやカタログを作るわけではなく、新規の広告展開の企画提案業務が中心でした。自動車広告で基本を身に付け、不動産広告で表現力が磨かれたと思っています。メディア系総研でビックデータやSNSを組み込んだ企画やプロモーション、新しい媒体を立ち上げたりもしました。「妄想や希望を現実に」と、まだ世の中にない新しい考え方や仕組み、トレンドを作り広めていく仕事です。総研で実施してみて結果が良ければ、本社で大きな予算をつけて本格的に展開するという実験的な取り組みでもありました。新しい考え方や仕組みを0から生み出すのはとても大変ですが、そこには地方創生やオリンピックに向けての考え方なども含まれており、自分の会社だけではなく世の中の発展に貢献できる新しい仕組みを考えるのは楽しくもありました。

働き方を変えるため、家族のいる北海道へIターン。

地元企業テラスデザインのHPデザイン

北海道へのIターンを決めたのには、どんな理由があったのでしょうか?

地元に住む母親が体調を崩したのが一つのきっかけです。人はいつか死ぬんだっていうことを初めて実感して、もうちょっと家族や周りの人とのつながりを大切にしながら暮らしたいと思うようになりました。 今まではとにかく仕事しかしてこなかったのですが、それってつまりは自分のことしかしていなかったんじゃないかと。仕事だけをしてお金をたくさん稼いでも何か大切なものをなくしている気がしたんです。
そしてそのためにも働き方を変えてみようと思いました。好きな仕事でも朝から晩まで休みなく働くより、もう少し人間らしい生き方をした方が良いなって思って。幸い僕の仕事は全国どこででもできますし、場所はどこでもよかったので「妻の家族がいる北海道で暮らしてみようか」ということになり北海道で暮らすことに決めました。「家族」と「働き方」、この2つが大きなきっかけですね。

札幌へ来て働き方はどのように変わりましたか?

会社勤めからフリーランスに変わり、時間のサイクルが大きく変わりました。今は自宅を中心に仕事をしているので仕事の時間も自分である程度コントロールできます。
例えば、早朝3時半に起きて仕事を始めれば4時間作業をしても7時半。それで仕事を1本仕上げることができます。家族みんなで一緒に朝食を食べ、子ども達を学校へ送り出してから仕事を再開し13時までにもう1本仕事を終わらせる。それでその日はすでに8時間くらい仕事をしているので午後からは出かけたり、子ども達が帰宅するのを家で待っていることもできます。冬は寒くて早起きが辛く、冬場はちょっとずれてしまっていましたけど。
時間の使い方を自分で調整して、家族と過ごす時間を増やすことができたのが一番大きいですね。今まで子ども達からはたまに帰ってくるおじさん扱いでしたから。(笑)

現在はどのようなお仕事をされていますか?

フリーランスのグラフィックデザイナーとして活動しています。デザイナーといってもデザインだけではなく、企業の考え方や方向性を作るところからコンセプトワークを含め、それに関わるグラフィック周りの全てを、紙・Web問わず行っています。 Iターン1年目の昨年は、特に北海道の企業の仕事を中心に取り組んできました。

仕事をしている上で、札幌ならではの地域性などは感じますか?

やはり皆さん地元や地元のつながりを大切にしているのが伝わってきます。例えば、札幌の会社でも「札幌だけで売れて札幌だけ儲かればいい」とは考えておらず、札幌を含めた周辺エリアや北海道全体を合わせた広い視点で見ています。困っている会社があれば周りの会社が一緒になって仕事を作って応援する、「みんなで北海道を盛り上げよう!」という雰囲気がすごく感じられます。正直、東京で仕事をしていた時は「東京のために」という意識はあまりなかったので、すごく良いなあと思いました。そういった全体感を感じて僕もなんとか手助けになれるよう頑張りたいと思いました。

北海道での生活はどうでしょうか?

札幌はとても良い街ですね、住みやすいと思います。北海道と言えば、まず食べ物がなんでも美味しい!確かに冬は寒いですが部屋の中は常に暖かいので快適です。ご近所さんとの関係も良好で、お隣のおじいちゃんやおばあちゃんと毎日おしゃべりをしています。北海道の方は、初対面の方と話すのは苦手でも話し始めると人懐っこくて良い人が多いなって印象です。

技術があれば働く場所に縛られないことを自ら体現。同じようにどこでも通用する人材育成に貢献したい。

今後取り組んでいきたいことは何ですか?

札幌へ移住して2年目の今年は、人を育てるということをやっていきたいと考えています。デザイナーやディレクターは依頼された広告物や制作物を作って終わりではなく、企業の考えやメッセージを具現化するというのが本来の仕事です。イラストレーターでデザインを組めるだけ、webサイトのコーディングができるだけの人ではなく、ちゃんと考えること、提案することができる人を育てていきたいです。基本と応用をしっかり身につければどこに行っても通用する人材になることができます。僕が20年以上広告デザインに関わってやってきたことを、そうやって後継を育てることで残していかないといけないと思っています。そしてそういったデザイナーを育てるためには、僕が受注した仕事を単純にアシスタントや外注先とした後輩へ回せば良いということではないと考えています。企業から仕事を受ける限りはそこに責任が発生します。クライアントに対する責任もしっかり果たしつつ、後輩も責任を感じながら自分で考えて仕事をし、それが経験とスキルにつながっていくような仕組みを作りたいですね。具体的にはこれからですが、そこを理解して仕事を発注してくれる企業と人材を紹介する企業と組んで何かできないかと考えている最中です。

Uターン、Iターンを希望するクリエイターへアドバイスをお願いします。

今は「東京じゃなくちゃ!」という時代ではなくなっています。今までやってきたことを活かして自分の技術に自信を持って進めば企業や業種が変わっても、日本全国どこでも仕事はできます。僕自身、それを自分で体現したいと思ってIターンした部分もあります。
あとは……できればそのエリアの仕事単価について多少勉強してから行くようにすると良いですね。業種や職種にもよると思いますが、東京から比べると地方の単価はどうしても下がってしまう傾向にあるので、東京の単価イメージで来るとちょっとギャップに驚くかもしれません。これは僕の実感です(笑)。でも意外と何とかなりますので、Uターン、Iターンを希望している方はぜひ思い切って飛び込んでみてください。

取材日:2018年3月28日 ライター:小山佐知子

円谷晃司(つむらや こうじ)・グラフィックデザイナー

1977年生まれ。福島県出身。広告業界でグラフィックデザイナー、アートディレクターとして各種広告の企画提案、デザイン設計、ディレクションはもとより、マーケティングとプロモーション戦略を絡めた企画や新しい仕組み、トレンド作りなどにも参画。2016年12月より札幌へIターンしフリーランスのグラフィックデザイナー、ディレクターとして活躍中。

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