回り道が全部 1本の映画を作るための必然だった

Vol.32
ディレクター 下山天(Ten Shimoyama)氏
 
映画『SHINOBI』で、山田風太郎の新解釈を提示してくれた下山さん。同作品は、この7月にフランスでも公開されて大きな反響を呼びました。映画監督である一方、ミュージックビデオ(クリップ)の世界でしっかりとした地歩も築いている。デジタル使いの達人だけど、フィルム映画の良さも知っている(助監督から修行を始めた、自主映画青年でもあるのだ)。多芸で多彩な映像作家が根幹を支えるようになっている日本の映像業界の、そういうスタイルの先駆けと言ってもいいかもしれない。だからもちろん、いろんな経験をしているし、話がいろいろ面白いです。さあて、どんな話が聞けるかなあと期待して、その期待を上回るお話を提供してくれた下山さんでした。

フランスで受けたインタビューの 雑誌の編集長がすごかった。

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最近は、どんなお仕事をなさってました?

夏に、ちょっと長い仕事に取り組みました。10月に発売になった、木梨憲武さんの『NORITAKE GUIDE』というDVDです。ノリさんは毎年、音楽好きな仲間とライブツアーをやってます。それを『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』みたいな作品にできないかという提案があって、じゃあ、人間ドキュメント的なライブビデオを撮ってみようとなりました。 撮影には6月いっぱいかかりました。朝から、リハーサルも含めて撮るので毎日3~4時間ぐらいの素材があがる。それを全ツアー、打ち上げまで追いかけました。で、編集に1ヵ月以上かかり、8月にやっと完成、10月に無事発売にこぎつけました。

なるほど。

そのあとに、ミュージックビデオを1本やりました。並行して、来年に向けて2本、映画の脚本を書き始めました。来春には、クランクインできそうな流れになっていますね。

僕は、下山天という監督の存在を知ったのは、『弟切草』でした。

『弟切草』は、日本で初めてのフィルムレスの映画でもあります。当時『スター・ウォーズ』なんかがフィルムレスで作るということで話題になっていました。規模は全然違うんですけど、とにかく最初にやることに意義があるだろうと(笑)。女の子の自分探しの映画(『イノセントワールド』など)を作っている奴がいきなりホラーを撮ったので、賛否両論いただきましたけど。

ちょうどホラーブームの走りの頃で、てっきりホラー専門の方かと思ってました。

ある意味、確信犯でした。ジャンルに縛られるのはいやですから。幅を広げたいし、数多くの人に観てもらいたいので、やったことのないジャンルにはつい手が出てしまう(笑)。

映像表現のアイデア満載でした。

ある意味、僕はあれを映画だとは思っていない。『弟切草』はベストセラーのテレビゲームです。それを映画化するなら、劇場で、何百人の中でも、自分の中の恐怖というか、テレビゲームをやっている時の1対1の恐怖を体験できる作品にしようと思った。 そのためか、意外な所――海外で受けがよかったりしますね。特にフランスでは、一般公開されたせいか、僕が『弟切草』の監督だとみんなが知ってくれていました。

フランスって、ドービル・アジア映画祭のことですね。『SHINOBI』を出品されたんですよね。

そうですね。ただ、その1ヵ月後には劇場公開が決まっていました。映画祭への出品というよりむしろ、興行のキャンペーン色が強かったんです。36館で公開して、結果的に4週で4万人入りました。

フランスならではの反応、受け入れられ方みたいなのって感じました?

ありましたね。日本の方より深く観ているなあと感じる部分は、いくつもあった。実は、僕自身の裏テーマとして、イスラエルとパレスチナみたいな敵対する勢力間で男女が愛し合った時に、愛は達成されるのか?結局殺し合うのか?という視点を設定していました。そこへの反応は、あきらかに日本より上でしたね。敏感に反応していたし、鋭い質問も飛んできました(笑)。

欧米の人たちは、忍者に異常に興味があるみたいですしね。

忍者とか忍びということに関して、一部の方たちは相当深い造詣を持ってますね(笑)。雑誌のインタビューを受けたんですが、その編集長なんかすごかった。戦前の忍者映画まで、ちゃんと観てる。そんな歴史を踏まえ、下山天はこの作品で何をやろうとしているのか?と、真剣に迫られて、かなりびっくりしました。

忍者への好奇心というか興味は、ちょっと僕たちの想像を超えてるんでしょうね。

そうですね。あとは、『SHINOBI』に限らずですけど、日本映画の、時代劇などに描かれている自己犠牲――大義のために命を落とす、自分の愛情だったり家族だったりも犠牲にしてしまう精神に、とても興味があるみたいですね。

自分では、自分のことを 「わらしべ監督」と呼んでいます(笑)

肩書きを尋ねられたら、どう答えています?

ディレクター、ですね。

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映像作家という呼ばれ方は?

映像作家も映画監督も、正直言うと、どちらもあんまり好きじゃないですね。

ミュージックビデオもやれば、映画もやる。短いのも長いのも、なんでもできる。ジャンルにも縛られないタイプの作家ですよね。

これは性格かもしれませんが、ルール違反が大好きなんです(笑)。『SHINOBI』も『弟切草』もそうなんですが、「映画はこう撮るものだ」という既成概念に挑戦してみたい。デジタルでフィルムレスでやったり、ちょっと撮り方を変えたり、ゲームの技術を使ったりして、「なんだ、これは!これが映画なのか」という反応が返ってくるのが楽しい。そういうものがないと、やった気がしなかったりする(笑)。思い返すと、20代の頃からそういうことを繰り返していますね。

映画の助監督からキャリアがスタートしていますね。

もともとは映画の助監督で撮影所に入っていたんですけど、当時、約20年前は邦画が斜陽の極みで、助監督をやっていても、その先に監督になれるめどが立たない。僕は2年やりましたが、あまり自分の夢に近づいている印象がなかったんです。それで、結果的にいったん──それは別に映画をやめたわけではなくて、次の道としてミュージックビデオの世界にいったんですね。とにかく1日でも早く「用意、スタート」をかけたい。そのためには別にスタッフが3人でも5人でも、貧乏な現場でもカメラが小さくても、全く何もこだわっていなかった。その頃にあらゆることをやりましたね。もう企業VPから何から――もちろんミュージックビデオが主だったんですけど、演歌歌手の映像だってやりました。

自分で道を切り開いていったわけですね。

自分では「わらしべ監督」と呼んでいるんですが(笑)、ミュージックビデオをやったことでフジテレビの深夜ドラマのお話が来て。深夜ドラマをやっていったら、ゴールデンにも進出して、結果的には映画も撮れた。結果、『SHINOBI』にたどりついた時には、ホラーをやってアクションをやって、テレビゲームをやったりといった技術的な貯金が全部プラスになった。ということは、その回り道が全部1本の映画を作るための必然であったと。今では、そう思っています。

3年に2本の映画を撮る。 そういうサイクルが確立しています。

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他のジャンルで経験したトライ&エラーが映画に活きる――ある意味、理想的な形ですね。

やはり映画は映画の現場なので、トライ&エラーは難しいです。出資者もいますからね。映画監督は完成責任を負う職業なので、やはりそれが終わると短い作品でちょっと自由に実験してみたい気持ちになる。繰り返していくとだんだんそれがたまっていって、3年くらいすると、また長いのをやってみたくなる。ここ10年くらいで、そういうサイクルができあがりましたね。

そのサイクルは、意識して作り上げた?

自然になってました、という感じです。映画は、3年に一度、半年に2本、一気に撮る。

ちなみに、来年の2本は、どんな作品ですか?

1本は学校の話です。修学旅行がテーマ。去年、仲間の脚本家の方と、実際に修学旅行に一緒に行ってきました(笑)。青森の、僕の母校に。もう1本は、ホラーのようでホラーでない、都市伝説にからんだお話を、ちょっとエッジを効かせて作ろうと考えています。

下山さんは技術にも造詣が深くて、みずから編集もこなす。ずばり、将来、映画はフィルムレスになると思いますか?

フィルムを愛しているからこそ、フィルムはなくなると思います。楽しい夢の時代だったという想いとともに、20世紀のフィルム文化は一度蓋をするべきだと思う。僕は、たとえば黒澤明さんが現役でピンピンしていたら、まっさきにハイビジョン使うと思うんです。一部の映画活動屋と称する人たちは、「やっぱり映画は35ミリだ、撮影所だ」と主張するかもしれない。でも、映画はその時の時代でもっともトップを走っていなきゃいけないのだと考えれば、デジタルを拒む理由なんてないはず。もっと言えば、これからは違うジャンルのトップディレクターたちも、もっと映画に参入すべきだし、できるようになる。デジタルになったことで、どこが映画でどこがWebでどこがテレビなのかという垣根が全くなくなっていくということも、肯定的にとらえていいはず。スクリーンから解放され、映画はもっと面白くなるのかもしれません。

フィルムの時代も知っているし、デジタル世代のやっていることもわかる。下山さんは古い世代と新しい世代を結ぶ、接着剤のような役割を果たしているのかもしれない。

そうであればいいな、とは思っています。結局のところ第三者の評価を待つしかないことですが、少なくとも、両方からいろいろ学べて得をしているとは思ってます(笑)。

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若手クリエイターたちに、エールをお願いします。

「マイルールを持て」でしょうか。

どういう意味ですか?

もちろん勉強はするに越したことはないんですが、仕事を通して経験することはとても大切です。結果的に全部役に立ちます。だから、そんな、先輩方からいろいろと教わり、学ぶ中でマイルールを持つことが重要になる。「どうやったら映画を撮れるんですか」という質問には、僕なりの返答があります。でもそれは、たまたまそれは僕だからそうしたのであって、あなたたちにはあなたたち、それぞれの道があるわけです。夢さえ捨てなければ最後は撮れる。むしろ、その寄り道、側道でいろいろな貯金をいっぱいしていったほうがいい、そういう意味です。

取材日:2007年10月10日

Profile of 下山天

profile

1966年青森県に生まれる。高校時代から自主映画を撮り始め、在学中に上京。映画・TV・CFの監督助手や撮影助手を経て、ミュージックビデオの世界へ。以降、ジャンルを超えて、企画・脚本・撮影・編集・監督すべてに取り組んでいる http://tenfilm.com/ 1993年 CX/ La cuisine『お雑煮』『YAKITORI』『寄せ鍋』他 1994年 『世にも奇妙な物語 春の特別編』 1997年 『CUTE』 1998年 『イノセントワールド』 2000年 『弟切草』 2001年 『金田一少年の事件簿 魔術列車殺人事件』『金田一少年の事件簿』 2002年 『マッスルヒート』 2003年 『コスメティック』 2005年 『about love アバウト・ラブ/関於愛(クワァンユーアイ)』『SHINOBI』『アウトリミット』 2007年 『真夜中のマーチ』 2002年 『頭山』 2003年 『冬の日』『おまけ』 2005年 『年をとった鰐』 2006年 『Fig(無花果)』 2007年 『カフカ 田舎医者』『こどもの形而上学』

 
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