人気番組『水曜どうでしょう』放送開始から25年。ディレクター・藤村忠寿氏が示す“YouTube”時代の番組クリエイター像

Vol.191
北海道テレビ放送株式会社 コンテンツビジネス局エグゼクティブディレクター
Fujimura Tadahisa
藤村 忠寿

タレントの大泉洋さんや鈴井貴之さん、大泉さんもメンバーとして所属する演劇ユニット・TEAM NACSの面々が、世界各地で珍道中を繰り広げる人気ローカル番組『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)。1996年10月の放送開始から25年。今や、DVD・Blu-rayの累計出荷枚数が500万枚を突破するほど、全国にファンを抱える番組となっています。低予算・低姿勢・低カロリーの“3低”を掲げながら、ゆるくて面白いと評価を得た人気番組を作り上げたのが、北海道テレビ放送(以下、HTB)・コンテンツビジネス局エグゼクティブディレクターの藤村忠寿さんです。テレビマンとしてのキャリアは30年以上、現在は、母校・北海道大学の公共政策大学院公共政策学連携研究部・メディアフェローも兼任。さらに、2019年2月には『水曜どうでしょう』を共に作ってきたディレクター・嬉野雅道(うれしの まさみち)さんと、YouTubeチャンネル『藤やんうれしーの水曜どうでそうTV』を開設し、YouTuberとしても活動しています。ローカル局から全国区へ。前例のなかった人気番組を生み出した藤村さんに、自身のキャリアや『水曜どうでしょう』の裏側、クリエイターに必要な姿勢などを伺いました。

 

ローカル局ならではの“ゆるさ”があったからテレビマンの道へ

藤村さんはどのように、テレビ業界へ入ったのでしょうか?

大学在学中、留年して暇を持て余していた時期に、たまたまHTBに勤務していたラグビー部のOBから「働いてみない?」と誘われたのがきっかけでした。断る理由もないので二つ返事でオッケーし、報道カメラマンの助手として、卒業まで1年半ほどアルバイトをしました。

その体験から、テレビ局の仕事にやりがいを持ったのですか?

いや、じつはそこまで強い思いはなかったんですよ。正直、就職試験を受けようと思ったのは、とにかく会社がゆるかったから(笑)。アルバイト時代、十勝岳の噴火現場に駆り出されたときは、ニュースの現場に立ち会える機会は貴重だし、野次馬根性が満たされ「面白いな」と思う気持ちは何となくありましたけどね。テレビは好きだけど、キー局はハードルが高そうだし。反面、地方のローカル局は人手も足りていないだろうと、最初に試験を受けたのがHTBで、そのまま合格したので就職を決めました。

入社後、新人時代はどのような仕事を担当していましたか?

本当は、学生時代に経験した報道に行きたかったのですが、新入社員としてHTB東京支社の編成業務部に配属されたんですよ。かれこれ5年間、広告営業に役立てる視聴率の集計作業をやっていました。まあ、ゆるい動機で入社した若手の気持ちを、会社側も見透かしていたんでしょうね(笑)。

(笑)。その後、番組を制作する側に回ったんですね。

制作部に異動したのは30歳になってからです。ずっと異動願いを出していたけど、けっこう時間がかかりましたね。デスクの上で視聴率とにらみ合っているのは「つまらないし無理です」と訴えていたけど、上司から「経験だと思って」と慰留されていました。ただ、当時は報道に行きたい気持ちが残っていたので、制作部への異動もためらっていました。ローカル局の制作部で、何を作ればいいんだと…。いかにも地方という感じの広告タイアップ番組を作らされるイメージでしたし、最初は嫌でした。でも、やっていくうちに楽しさを見出していきましたね。

初めて制作として関わったのはどんな番組でしたか?

当時はお色気番組が流行っていて、初めてスタッフとして関わったのは深夜番組『モザイクな夜』でした。テレビの規制がうるさくなかった時代だったし、けっこう無茶なこともやっていましたね。でも、番組が打ち切りになり、関わっていたスタッフの大半が昼の情報番組を任されることになったんですよ。オレと嬉野さんだけが制作部へ取り残されてしまい、2人で作り始めたのが『水曜どうでしょう』でした。

 

人気番組『水曜どうでしょう』は大学生と同じノリ

今や、全国区の人気を誇る『水曜どうでしょう』。番組の立ち上げには苦労もあったかと思います。

いや、特に苦労という苦労はなかったですね。何なら、企画書すら書かずに番組が始まったので(笑)。これが当時のローカル局でした。オレと嬉野さんが番組を作ると言っても、誰も期待していなかったし。せいぜい「あいつらがコソコソ何かやってる」と思うくらいで、自分たちも『水曜どうでしょう』を単純に面白いと思い続けてやってきただけです。

大泉洋さんの出演は、当初から考えていたんですか?

元々は『モザイクな夜』がきっかけでした。番組終了の半年ほど前から、大泉くんがピンチヒッターとして参加していたんです。スタジオでも立ち回りが面白かったので、じゃあ、お願いしてみようかなと。何となく、笑いの方向性も近かったんですよね。あと、心のどこかでローカル局を小馬鹿にする精神を持っていたから(笑)。

(笑)。ローカル局に対する精神とは、どういったものでしょうか?

キー局と違い、内輪で盛り上がっているだけの番組も少なくないですし。ローカル局にいる自分もそう感じていたから『水曜どうでしょう』は、地元でちぢこまる番組にしたくなかったんです。旅の行き先すら運に任せる「サイコロの旅」のアイデアであるとか、アメリカやヨーロッパに羽ばたいたのも、その気持ちがあったからです。

全国展開は当初から考えていたんでしょうか?

いえ、思っていなかったですね。さっきも言ったとおり、ローカル感を出したくないと考えていただけで。でも、手応えを感じ始めたのは1999年です。ローカル局の秋田朝日放送でレギュラー放送されることが決まり、その後、東北、関東、西日本と放送してくれるテレビ局が増えていきました。実は、テレビ業界ではローカル局同士で互いの番組を買う慣習があるのですが、それはあくまでも昔からのよしみで支え合うためで。『水曜どうでしょう』はHTBでおそらく初めて、多局から「面白いので買いたい」と言われた番組でした。

番組は2021年10月で放送25周年に。同じテレビ業界でも、反響はありそうですね。

自分より若いスタッフからは「番組を見ていました」「尊敬しています」とよく言われます。かれこれ25年目ともなると、放送開始当時に小学生だったともよく聞きますね。

旅先の観光そのものではなく、道中の様子をメインに、裏方の藤村さんや嬉野さんも存在感を見せる番組フォーマットは、その後の旅番組にも影響を与えた印象があります。

狙ってやったわけでもなく、単純に予算がなかったんですよ。ディレクターもオレと嬉野さんの2人で、出演者も大泉くんと構成作家の鈴井貴之さんが基本だから、北海道からなるべく離れようとなるとタクシーや原チャリで目的地へ向かう形しかなくて。その状況で撮影するとなると、ハンディカメラしか選択肢がなくなるんですよね。旅の道中を映すというのも、逆転の発想というか。形としては、大学生たちがプライベート旅行の一部始終を記録するようなノリと同じ(笑)。とりあえず無駄話もすべて記録しておいて、あとで編集するという流れは、放送開始当時から変わりません。

 

これからの時代は「誰が撮ったのか」が鍵になる

長寿番組を生み出す秘けつはあるのでしょうか?

何も考えないのが一番。たぶん、長く続けようとすると無意識に型へハメてしまおうとするから。オレらは「一生どうでしょう」宣言をしたけど、2002年9月にレギュラー放送を終了したのも、その気持ちがあったからです。

テレビマンである一方、2019年2月からは嬉野さんとYouTubeチャンネルも開設されましたよね。その理由は何ですか?

きっかけは本当に単純で「YouTubeが儲かっているらしい」と聞いたから(笑)。でも、自分たちが儲けたいわけではなく、個人のYouTuberで数億円もの広告費を稼いでいる話もあるし、どんな流れでお金が入ってくるのかを確かめたかったんですよ。まあ、いざやってみたら「これだけの再生回数に達しても、この程度か…」と現実も分かりましたね。一方でテレビとは違う、手軽に番組を発信できる場所を持ちたい気持ちもありました。最近はローカル局ですら、制作側の敷居が高くなり過ぎている気がするんです。もっと手軽に、みんな自分が「面白い」と思ったものを作ればよくて。YouTubeの企画では、嬉野さんと一緒に視聴者の方からおすすめされたお酒をただレビューするだけの動画を投稿していますけど、無理なく続けていこうと思っています。

近年は「テレビ対YouTube」のような論調もあります。それに対してはどう感じていますか?

YouTubeが敵だとは思っていません。むしろ、今の時代はネットに流せばそれだけ見てもらえる確率も高まるし、親和性を持ってやっていくべきだと思っています。オレ自身もDVDが普及し始めた当時に、『水曜どうでしょう』をDVD用に再編集したりと、世の中の変化にはできる限り付いていこうと思ってきましたから。

テレビマンの1人として、誰もが映像で個人発信できる時代について特別な思いはありますか?

すごい時代ですよね。自分は若い頃8mmのビデオカメラから始めたような世代だから。今では、スマホでも4K画質でキレイな映像が撮れるようになって、手元で編集してカッコよく見せられるのですから、すごいなと。そう考えると、これからは「誰が撮ったのか」が大切な時代になってくると考えています。カットイン(映像の中に短い映像をテンポよく挿入すること)のタイミングとか、細かな技術はもちろんありますけど、誰でもキレイな映像を撮り編集できるとなると、クオリティの差を付けづらくなるでしょう。でも、誰が撮るのかは代えが効かないですよね。人気のYouTuberが支持されているのは、みんな自分をさらけ出しているからだろうし、映像内で人格をどれほど伝えるかが、ますます大事になってくると思います。

個人が目立つ時代になりつつある一方、やはり、テレビマンとして番組は作り続けていきたいですか?

もちろん、ありますよ。最近、年齢的にテレビ局の環境に対する寂しさも感じています。制作関係者の話を聞くと、自分たちの世代はもはや現場に立っていない人間ばかりですし。番組自体も制作会社に任せっきりな状況で「それでいいのか」という思いもあって。オレと嬉野さんが『水曜どうでしょう』を作ったのは、そもそも「こんな番組があったら面白いよね」と純粋にその一心でした。自分自身はディレクターとして、今後も現場で番組づくりに関わっていきたいです。

最後に、今なお最前線で活躍するクリエイターとして、読者に向けてアイデアを形にするためのアドバイスをお願いします。

昔から「人のアイデアなんて、たいしたことない」と思っていました。企画会議でアイデアを出し合うとなっても、結局は似通ったものしか出てこないじゃないですか。真にアイデアを形にするなら、本当に必要なのは最後まで「曲げずに行く力があるかどうか」にかかってくると思うんです。でも、ある程度のところまで行き着くと、やめちゃう人が多いんですよね。やめずに続けたいなら情熱だけでもおそらく無理で、ときには「本当にできるの?」と聞いてくる人の声をさえぎったり、どこか自分をダマす必要もあると思っています。それこそ若くして映像業界で活躍したい人がいるなら、他人の意見には耳を貸さず、思いつくものをとりあえずYouTubeやTikTokに投稿してみるのも全然よくて。自分だけではなく他人からも「面白い」と思ってもらえるようなものを、積極的に発信し続けてほしいと思います。

取材日:2021年8月19日 ライター:カネコ シュウヘイ スチール撮影:小泉 真治 ムービー撮影:村上 光廣 ムービー編集:遠藤 究

 

 

※記事内記載の社名、サービス名、作品名などは、各社の商標または登録商標です

 

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プロフィール
北海道テレビ放送株式会社 コンテンツビジネス局エグゼクティブディレクター
藤村 忠寿
1965年生まれ。愛知県出身。北海道大学への進学をきっかけに故郷を離れる。北海道テレビのコンテンツビジネス局エグゼクティブディレクターとしてテレビ番組制作に関わり続ける一方、北海道大学公共政策大学院公共政策学連携研究部のメディアフェローとしてメディア研究などに従事。ラジオNIKKEI第1『藤村忠寿のひげ千夜一夜』(毎月最終水曜21時半〜)、朝日新聞北海道版の隔週連載コラム『笑ってる場合かヒゲ』も担当。

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