人を幸せにするために、写真にできること、写真以外でできること
札幌市を拠点に活動するフォトグラファー集団「アンドボーダー」。彼らの写真は、北海道の広告シーンを彩っています。創立から6年、その勢いはとどまるところを知りません。写真と映像はもちろん、飲食など異業種への進出も好調です。会社の魅力と成長の秘訣を探るため、代表取締役社長の長濱周作さんにお話を伺いました。
偉大な師匠を超えるために、独立した
「アンドボーダー」を立ち上げたきっかけを教えてください。
独立する前は、大箱のスタジオに勤めていました。アシスタントとして入社して、いろいろな先輩について仕事を覚えて、カメラマンになって…。刺激的で楽しかったですね。社長は天才で、すごく尊敬していましたしね。ただ、その存在があまりにも大きすぎて、いつまでも超えることができないのではないかと思ってしまったのです。
それで、「僕は社長になりたいので、辞めさせてください」と、決意を話しました。あのときは、社長と2人で泣きましたね。親子ほどの年齢差があって、かわいがっていただきましたし、働きたかった会社だったし、13年くらい勤務して思い入れも強かったですし。それでも、次のステージに行かなければならないと、独立を選びました。
スタートはフリーランスだったのですね。
それは費用の問題があったからです。スタジオも機材も整った環境で仕事をしていたので、独立したばかりだからといって、場所がありません、機材がありませんというのはあり得ないと思っていたのです。お客さまにご迷惑をかけてしまいますから。会社設立にかかる費用を試算したら、1000万円は必要になる。人員が増えると、機材も増えて、さらに金額は膨れ上がります。まずは、フリーランスとして独立することにしました。
ちょうど1年後に法人化なさっていますね。
会社員と違って、個人事業主は自分の裁量でいろいろなことができます。その分、視野が広がり、考えも変わったのでしょうね。写真だけで一生やっていくつもりが、他のことにも目が向くようになりました。人生は長いから、写真だけで生きていくかどうかは分からないぞと。写真を撮る以外の可能性を感じて、法人化しようと考えたのです。フリーランスになってからちょうど1年後、アンドボーダーがスタートしました。そこからは走りました。ほんとに必死に走りました。
法人化して最も変わったことは何でしょうか?
独立したのは32歳。あと15年は最前線でやれるだろうから、その間に残りの人生に必要なお金を稼ごうと思っていました。でも、なんか違うなと…。会社という組織のいいところは、集団で助け合いながら仕事ができること。その達成感は一人ではまず味わえません。目の前のお金よりも、集団の良さに改めて気付けましたね。
長濱少年をつくったもの、フォトグラファーの原点
子どもの頃から写真に興味があったのですか?
それがそうでもなくて、中学生のときは建築家になりたかったです。将来を見据えて高校を選んだくらい本気でした。でも高校生になると、行動範囲も交友関係も広くなって、一気に世界が開けますよね。興味の赴くまま、思うように生きた結果、余儀なく方向転換。将来どうしたものかと思っていたとき、母がちらっと「写真でもやってみたら」と言ったのです。父が、若い頃に趣味で写真を撮っていたのもあって、勧めたのかもしれないですね。厳格な父に、私の進路変更を納得させるための作戦だった可能性も否定できません。真相は分からないのですが、写真もいいかもと思って、専門学校に進学しました。
フォトグラファーの原点は、ご両親といえそうですね。
いや、母はただの思いつきで言ったと思いますよ。私を長い間見てきたなかでの思いつき。ただ、母の影響は大きいですね。なかなかの変わり者で、子育ても独特でした。門限や約束を守れずに叱られて、私が精一杯の言い訳をすると、「あ、それは前に聞いたからダメ」とか言い出す。言い訳するなら、雑に考えずに真剣にやれと…。
小学生の頃は、おもちゃやお菓子はあまり買ってくれないけれど、美術館に行きたいというとお小遣いをくれました。あと、母は映画が好きで、ものすごくたくさんの作品を観ていました。それをはたで見ていて、映画って格好いいな、映像の瞬間瞬間も格好いいなと思っていました。いろいろな体験が、今につながっているかもしれません。
初めての仕事はどんなものでしたか?
専門学校のときに先生の紹介で、独立前に勤めていたスタジオに就職しました。先生が社長の師匠だった縁で、面接に行って、いろいろと話をして、帰り際に「明日から出社できるよね?」と言われまして。「あ、もちろんです」と答えたら、「そうだと思って、もう飛行機のチケットも手配してあるから」とか言うわけですよ。『なんだこれは!?』 と驚きながら、仙台に飛びました。仕事は荷物持ちだけでしたけれど…。衝撃的なスタートでした。
2020年、写真を使った新しい事業が始まる
飲食店を手掛けることになったきっかけを教えていただけますか。
いまは居酒屋とパフェの店を経営していますが、海の家を手掛けたことがきっかけですね。「海の家をやっているフォトグラファーはいないよな」と気付いて、差別化していくために始めました。海に対して、みなさん、いろいろなイメージをお持ちとは思いますが、あれはいいですよ。波の音が聞こえて、天候によって海の見え方が違って、現実から離れられる…。そういうものってなかなか近場にありません。何もしないでボーッとしていられるのもいいですね。それで、たまたま挑戦する機会があったので、それに乗ったのです。そのとき運営を手伝ってくれたスタッフが、今は居酒屋を切り盛りしてくれています。
異業種への進出に不安はありませんでしたか?
それはないですね。大変ではありましたよ。今もまだ分からないことも多くて、大変です。でも、何もやらないことのほうが怖い。会社が永続的に続くと確実に保証されているならともかく、どうなるかは誰にもわかりません。業績がいいうちに手を打っておかないと、悪くなってからでは身動きが取れなくなってしまいますから。異なる業界に進出するのはいいことだと、実感しています。それまで知らなかった飲食関係の知り合いが増えて、自分の幅が広がりました。
これからも多角化が進みそうですね。
アンドボーダーは今8期目。このあたりで第1章が終わり、第2章の始まりと考えています。写真・映像部門では、今後を見据えてWebを強化しなければならないですね。飲食部門でも新しい動きがあります。生産ラインを持っている企業と提携して、プレミアムアイスの開発に取り組み始めました。また、「写真を利用したもの」という事業枠を設けていて、そこでもいくつか企画が動いています。日本には、写真を飾る文化がありません。そういう文化をつくる仕事がしたいです。せっかく写真に携わっているのだから、革命的なことを企ててもいいのではないかと思っています。孫ができたときに、「写真を飾る文化を日本に根付かせたのは、おじいちゃんだよ」って胸を張りたいですね。
動いてみることが大切、思いやりはもっと大切
仕事をするうえで大切になさっていることは何でしょうか?
頭で考えるだけ、インターネットの情報で知った気になるだけではなく、自分で動くことは大切ですね。もっと大切なのは思いやり。うちの会社はチームなので、利己的なのは絶対にダメです。スケジュールも機材もスタジオも自分さえよければいいというのでは成り立ちません。いかに利他的であれるか。とても大切なことだと考えています。
「私たちはフォトグラファー集団です」と宣言なさっていますね!
私たちは、作家ではなく、コマーシャルのフォトグラファーです。企業の販売促進に関わっている以上、企業の納得する写真が撮れないと成立しません。一人だけで考えていると偏りが出てしまいます。時代性の問題もありますしね。だからこそ、ベテランと若手の交流は大切です。「上は下に与えるだけではなく、優れたことは吸収すべき」と、社員にはよく言っています。また、年齢を重ねるうちに、ベテランが後輩たちに仕事面で追い抜かれることもある。そのとき、会社はどんな受け皿を作っておくべきか。最近はよく考えます。
「会社の受け皿」は、クリエイティブ企業のモデルケースになりそうです。
全盛期のようには仕事ができなくなったとき、先が見通せなくなって不安なはず。フリーランスは孤独との戦いだけれど、会社は一人で戦わなくてもいい。みんなが年をとっていくなかで、どう補い合えるか。ピークを超えたとき、その下がり始めを遅くすること、下がるスピードを遅くすることができるのは、集団のメリットだと思っています。
最後に、クリエイターへのメッセージをお願いします。
人を幸せにする写真を撮りたい…。独立したときの気持ちは、いまも変わっていません。スポーツ選手と同じで、クリエイターにもピークがあると思っています。活動期間をできるだけ長くするためには、優れたものをどんどん吸収することが大切です。うちの会社では、月1回のミーティングでそういう場を設けています。それぞれの写真を出力して壁に張り出して、ディスカッションをするのです。恥じらいを捨てて、切磋琢磨し合い、クリエイティブを盛り上げていきましょう!
取材日:2019年11月15日 ライター:一條 亜紀枝
株式会社アンドボーダー
- 代表者名:代表取締役社長 長濱 周作
- 設立年月:2013年10月
- 資本金:600万円
- 事業内容:写真・映像、飲食店
- 所在地:〒060-0005 北海道札幌市中央区北5条西18丁目glam3F
- URL:http://andborder.jp
- お問い合わせ先:上記HPの「CONTACT」より