「+αの画」で信頼を築いた27年。東北を映し続けるテレビカメラマンが貫く映像の矜持
積み上げてきた豊富な経験や実績を武器に、地元・仙台はもちろんのこと、東北一円や東京の放送番組などにも幅広い映像撮影技術を提供する有限会社レック。テレビ番組やビデオソフト撮影のキャリアをスタートさせた同社代表の渡邊 勝見(わたなべ かつみ)さんに、会社の軌跡や映像撮影にかける思いなどを語っていただきました。
テレビ黄金時代にハードワークをこなし、キャリアを築き上げる
映像業界でどのようなキャリアを積んでこられたのでしょうか?
宮城県塩竈市で生まれ育って、仙台の高校を出た後、東京のテレビ関係の専門学校に入りました。そこで、撮影・編集技術や放送機材の扱い方などを2年間学んだ後、その専門学校のOBから誘われる形で、番組制作技術プロダクションに入社しました。
当初は放送機材の調整やメンテナンスなどを行うビデオエンジニアとして働いていました。とはいえ、一人で何役もこなすのが当たり前の環境でしたから次第に自分でカメラを回す機会も増え、撮影が中心となっていきました。ドラマやバラエティ、クイズ番組、ドキュメンタリーなど、本当に幅広いジャンルの番組やコマーシャルなどの撮影技術にも携わりました。
当時はテレビ局も番組制作に予算を豊富にかけられる時代だったので、30カ国以上は取材で行きましたし、1年のうち100日は海外ということもありました。エチオピアの内戦でソマリアに逃れる避難民の取材(国境付近では戦闘状態)に行って、国境付近の丘で兵士に銃で守られながらの撮影など、命の危機を感じることも何度かありましたね。沖縄の海中から水中生中継も民放で初めてやらせていただきました。
時代的にも会社に数日泊まり込むのは日常茶飯事でしたし、1カ月まるまる家に帰れないということもありました。しかし、厳しい環境ながら、7年間本当に多くの経験をさせていただいたことで、ベースを確立させることができました。
仙台で独立、創業にいたった軌跡を教えてください。
27歳の時に、実家の事情で宮城に戻ることになり、仙台支社がある東京本社のプロダクションに転職。そこでは、仙台の放送局に2年半程度出向という形で、放送局内での仕事に携わりました。
その後フリーになり、ほかの仙台の放送局とアルバイト契約をし、カメラマンとして1年勤務しました。仙台ではまだフリーとしては難しいこともあり、その後仙台のプロダクションに再度就職。そこで、約8年ほど勤めましたが、やはり自分でやりたいことをやろうと思い、1998年にまたフリーになりその後、有限会社レックを立ち上げました。
「会社じゃないとテレビ局からの仕事を発注できない」という声があったことが法人化の大きなきっかけになりました。そこから現在にいたるまで、映像技術、撮影専門の会社として、継続して事業を行っています。

要望されたものに加えて、必ず+αを撮ることで、信頼を培ってきた
現在の事業内容を教えてください。
テレビ番組撮影が主になりますが企業や自治体などのプロモーション動画なども含めて、映像制作全般を手がけていますが、やはり中心となっているのはテレビ番組の撮影です。地元の放送局のみならず、東京や全国からの仕事もあり、東京のテレビ局から東北ロケ案件に携わることも多くありますね。全国や海外にも依頼があれば出かけて行きます。
変わったところでは、今年2025年8月1日に公開された福島県浪江町の神社再建にまつわるドキュメンタリー映画「そこにあるべきものたち」の撮影にも携わらせていただきました。

映像を撮るなかでのこだわりや強みはありますか?
撮影機材にはこだわりを持っています。例えば、高速現象をスーパースローで撮影できる機材や、昆虫の視点を再現できる“虫の眼レンズ”などを扱っています。そういった特殊な機材を必要とする撮影の相談を受ける機会もあります。
また、東京時代からやっていた水中撮影で自身が生まれ育った東北の海の素晴らしさを伝えたいという思いから、潜水士の資格を持っており、水中の撮影も行っていました。
テレビカメラマンとしてのポリシーを教えてください。
どんな時でも人と向き合うことです。なので、東日本大震災の時は苦しかったですね。被災された方たちが辛く大変な目にあっているのを撮るというのは、非常に心が痛みました。レンズというのは時に凶器になり得るんです。本当に辛い撮影でした。
テレビカメラマンとしては、自分を出さないようにするということも心がけていますね。よく「渡邊さんはオーラがないね」と言われることもあるのですが、オーラを出しちゃダメなんです。スチールのカメラマンはいかに自分を出していくかだと思いますが、テレビのカメラマンは撮られる対象者が素のままでいられるように、いかに気配を消せるかが重要だと思っています。
独立されてから、30年近く事業を継続できてこられた秘訣は何でしょうか?
それが自分でもよくわからないんですよ(笑)。他に撮影がうまい人はたくさんいるのですが。ただ、意識してきたこととしては、テレビカメラマンは依頼されて撮る立場なので、もちろんディレクターから要望された画は撮りますが、それにプラスして、一つ二つは必ず自分なりに良いと思うディレクターが気づかない画を撮るようにしていました。編集する時に、ディレクターがその画に気づいて、使ってもらえたら良かったと思っています。それを欠かさずにやってきたことで、信頼を得ることにつながってきたと思いますし、付き合いが長くなってディレクターから意見を求められたり、アイデアを出し合ったりすると、映像に厚みが増していって、良い作品になっていくと思います。

簡単に映像を作れる時代だが、見られる映像作品を作るのは簡単ではない
今後、テレビカメラマンとしてやりたいことは?
今、テレビの元気がないじゃないですか。予算が厳しいことや制約もあって、なかなか作りたいものを作ることが難しくなってきていると感じています。
脚本から演出、撮影、照明、音声、美術などのスペシャリストが集まって、皆の“やりたい”を生かした作品に挑戦してみたいとは思っています。例えば、ドラマとかドキュメンタリーをまたやりたいですね。
難しいことは十分承知していますが、テレビの現場のベテランたちが集まって、ワイワイと何か面白いことをやっているとなれば、周辺も感化されて一緒にやりたいと思う若手たちも出てくるでしょう。そういった多くの意欲ある作り手たちを巻き込んで、なにかしらの映像作品を作りたいですね。仙台であまりやってなかったことにチャレンジしてみたいとは常々思っています。
会社としてのこれからの展望を教えてください。
創業以来、ずっと私一人でやってきた会社ですが、二人の息子が社員として入ってきました。二人とも私と同じカメラマンなので、事業内容自体は変わっていないのですが、マンパワーが増えた分、撮影だけではなく、企画や編集まで映像制作をトータルで担える体制づくりも視野には入れています。以前はあと数年で会社を畳んで辞めるつもりでしたが、私もまだまだ頑張らなければいけないと思っています。

映像業界を志す若い方々にメッセージをください。
今は誰でも簡単に映像を作れる時代になりましたが、人に見てもらう映像を作るのは簡単なことではありません。ナレーションや文字スーパーで説明するような番組も多く見受けられますが、多くの人に見てもらう映像は本来余計な説明はいらず、見るだけで伝わるものでなくてはならないと思っています。
そして、そのためには、どのように撮影して、どう編集してつないでいくかといった構成まで考えて撮影していく必要があります。胸を張って自分の作品だと言えるような映像づくりに取り組んでいってほしいと思いますね。
取材日:2025年10月21日 ライター:髙橋 徹
有限会社レック
- 代表者名:渡邊 勝見
- 設立年月:1998年
- 資本金:300万円
- 事業内容:テレビ番組撮影・映像動画制作・Web動画・Web CM制作・Web配信・ドローン空撮・水中ドローン撮影・スーパースロー撮影
- 所在地:〒985-0863 宮城県多賀城市東田中2-38-15
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