放送部の少年が、“今”を伝えるライブ配信の第一線へ。少数精鋭で“テレビクオリティー”を実現

岐阜
コテツダイ株式会社 代表取締役
Nagao Kawase
川瀬 長生

岐阜県大垣市を拠点に、映像のライブ配信を中心とした独自のポジションを築くコテツダイ株式会社。スポーツや音楽などのライブ配信を中心に手掛けており、少数精鋭のチームで「テレビ番組レベル」のクオリティーを提供しています。紆余曲折を経て、映像配信の世界に飛び込んだ代表の川瀬 長生(かわせ ながお)さんに起業までの道のりや現在の事業、クリエイターとしての信念などを伺いました。

放送部の経験が今の仕事につながる

学生時代に「将来の夢」はありましたか?

明確な夢はなかったですね。よく成功者が語るような「こうなりたい!」といったビジョンも持っていませんでした。大金持ちになりたいとか、いい車に乗りたいという気持ちもなく、ブランド物に興味があるわけでもなかったですね。
ただ、中学校では放送部に入っていて、それが今の仕事に少しつながっているのかもしれません。放送や配信に関わる人の6~7割が中学や高校で放送部だったという業界アンケートもあるくらいで、当時から人に何かを伝えてフィードバックをもらうのが面白かったのかなと、振り返れば思います。
高校は進学校でしたが、部活は任意だったので帰宅部に。年齢や学年で序列が決まるのがどうしても納得できなくて、結果で判断すべきだという考えが私の根底にあります。

大学を中退し、社会に飛び立つ

大学時代やその後のキャリアについて教えてください。

センター試験でA判定だった青森の大学(経営経済学部)に進みました。
ところが青森は生まれ育った岐阜よりさらに田舎でテレビの民放が2局しかなく、カルチャーショックでしたね(笑)。しばらくしてミスタードーナツでアルバイトを始め、責任感や仕事への向き合い方が鍛えられた気がします。
一方、大学はけっこう厳しめのカリキュラムで、単位を取っても平均評点が低いと退学勧告されるシステムだったんです。それで、2年で中退することになってしまいました。
親からの仕送りも止まり、時給630円のアルバイト生活では生活が厳しくなったので店長に直談判。その会社は青森県内でフランチャイズや飲食業を幅広く手掛けていました。交渉の結果正社員になれたのですが、配属されたのが本社の営業管理部、今で言うシステム部のような部署だったんです。
そこでは数値管理や業務改善、システム構築まで任され、Windows95の時代に店舗の在庫管理や発注システムをゼロから作ることもありました。仕事を通じて飲食業の知識はもちろん、原価率や物流の仕組みまでを学ぶことができました。
ところが7年ほどキャリアを重ねたある日、親会社の連鎖倒産に突然巻き込まれてしまったんです。事業ごと競合会社にM&A(企業の合併・買収)され、そちらの社員になったのですが、情熱は消えてしまったので半年ほどで退職しました。

趣味がいつしか、自分の仕事に

映像業界に入ったきっかけを教えてください。

もともと趣味で映像を撮っていたのですが、それを知っていた大学時代の友人が紹介してくれた函館のHTB(北海道テレビ)の報道プロダクションに入りました。前職を辞めた28歳の頃です。報道番組や情報番組のロケを担当し、24時間関係なく動くような現場で1年10カ月ほど働きました。
そして報道プロダクションの仕事にやりがいを感じていた29歳の頃、保険代理店を営んでいた父が病に倒れ、急遽実家に帰ることになりました。長男として家族を支える責任もあったので、保険代理店の仕事に就いたんです。
保険業界では、営業の仕方がまったく分からず最初はとても苦労しました。父の顧客を引き継いだのですが、2~3年は保険のことで常に頭がいっぱいで余裕がなかったですね。
しかし5年ほど経つ頃には営業ノウハウが自然と身につき、顧客とのコミュニケーションやノルマへの対応を通じて営業力が鍛えられました。この経験は今の映像事業にも大いに生きています。営業を知らないと事業がうまくいかないことを身をもって感じています。

コテツダイを起業した経緯を教えてください。

35歳で現在の役員である吉田とインターネットで知り合いました。そして彼から「一緒にNPOでネット配信をしませんか?」と誘われ、Ustreamやニコニコ動画で番組配信を始めたんです。当時はYouTubeもまだ普及していなかった時代です。趣味の延長で、地域貢献のつもりでやっていました。
その後、岐阜でネット配信をボランティア的に行っていた方とつながり、彼を通じて仕事の依頼が来ました。それがコテツダイの売上1号案件です。

法人化された経緯も教えてください。

5年ほど個人事業主として活動し、売上が800万円ほどに達した頃に保険業との収支が不明確になってしまい、財布を分ける目的で法人化しました。自宅を事務所に、ひとり会社としてスタートしました。
社名は、保険業のサポートをしてくれていたスタッフが、私が飼っている猫の名前「コテツ」と「おてつだい」をかけて「コテツダイ」を提案してくれました。

少人数でもテレビ局のクオリティーを実現。スポーツや音楽のライブ配信手掛け

コテツダイが手掛ける事業内容は?

コテツダイはマルチカメラ(複数台カメラ)を使用したインターネット動画配信(生放送)を得意とする映像プロダクションです。ライブ配信をメインに、スポーツリーグや音楽ライブ、イベントなどの配信を手掛けています。

どのようなリーグを配信されているのでしょうか?

ソフトボールのJDリーグや、バスケットボールのBリーグ、サッカーのJリーグ、バレーボールのVリーグなど、ほとんどのスポーツのライブ配信を経験しています。
ライブ配信は特にスポーツでのニーズが高く、リアルタイム性が求められる現場で、テレビ局並みのクオリティーを少人数で実現できるのがコテツダイの強みです。テレビ局制作の4分の1の人員という少数精鋭でカバーし、テレビ番組レベルのクオリティーを提供しています。私がテレビ局出身ということもあってこのクオリティーを実現できているのですが、ここまでできる会社は業界でも少なく、それが強みとなっています。

現在の規模感も教えてください。

現在は社員3人(20代中心)で、売上は4000万円規模です。1人増えるごとに売上を1000万円増やす計算で企業としての成長を続けています。

社員教育を強化し、変化し続ける会社へ。新たな事業領域にも挑戦中

これからの展望は?

社員を増やし、内製化をさらに進めたいと考えています。映像業界はフリーランスや外注頼みが多い業界なのですが、技術の伝承やクオリティーの均一化には社員教育が不可欠です。若手を採用し、根っこから育てれば、フリーランスではできない価値が生まれると信じています。
東京や名古屋への進出は、今のところは考えていません。都市部に仕事が多いことは分かっていますが、増える経費や業務に追われるだけでは意味がないと思っています。クリエイターとしてアウトプットのクオリティーを追求し、変化し続ける会社を目指します。また、映像以外の領域にも挑戦中です。若い頃から経験してきたプログラム開発の知識を生かし、テロップシステムやサブスク型の新たなサービスを構築しています。拠点は大垣のまま、次の成長を考えるための時間を確保しています。社員には「現場がない日こそ成長のチャンス」と伝え、広い視野をもって仕事をするよう求めています。

クリエイターは「ギブ」の精神で。まず自分の価値を見せることが大事

世の中のクリエイターにアドバイスをお願いします。

若手のクリエイターにとって絶対的に必要なものが“投資”です。時間やお金、そして機材などへの投資なしに成長はありません。1万円使わなければ1万円以上のリターンはないし、セミナーなどに参加して1時間の勉強をすることで、これまでやってきた仕事の作業時間が半分になることもあるでしょう。クリエイターは「テイク」ではなく「ギブ」が先です。初回から報酬を求めるのではなく、まず自分の価値を見せることが大事です。見積もりが出しにくい業界だからこそ、結果で評価される覚悟が必要です。安く使われるのではなく、120%の仕事で価値を上げ、次の仕事で正当な対価を得る。それがクリエイターの成長のコツだと思います!

 

コテツダイ株式会社

  • 代表者名:川瀬 長生
  • 設立年月:2017年6月
  • 資本金:800万円
  • 事業内容:映像制作/ライブ配信/Webサイト制作/システム開発
  • 所在地:〒503-0033 岐阜県大垣市福田町837-7
  • URL:https://kotetsudai.works
  • お問い合わせ先:0584-47-6870 /

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