同じ空気感で、ジャムセッションするような集団でありたい

仙台
株式会社AIRJAM(エアージャム)
Yusuke katagiri
片桐 祐介

山形県という歴史・風土的に独自の強い文化が色濃く残る地域に根ざして、TV番組、TVCM、企業のプロモーションムービーなど、映像コンテンツの企画制作を幅広く手掛ける「株式会社AIR JAM」。少数精鋭のスタッフで、映像コンテンツの企画・構成から撮影・編集までワンストップで担える体制を築いている同社の片桐祐介(かたぎり ゆうすけ)社長に、創業以前からのストーリーや、映像制作にかける思いを伺いました。

子供の頃の夢はウルトラマンかTVカメラマン

会社創業までの来歴を教えてください。

山形の高校を出た後、東京の映像制作の専門学校に進学し、CM制作を学ぶ傍ら、週末は地元の放送局でアルバイトをしていました。そろそろ卒業後の就職先を決めないといけないというタイミングで、地元の制作会社から、といっても当時社長と専務の2人だけしかいない会社だったのですが、「戻ってくるなら面倒見るよ」と言っていただき、卒業後は地元に戻り、その会社に就職。

約7年 映像制作の現場でイチからかなり厳しくご指導いただけたことで、27、28歳のときにフリーランスとして独立でき、それから約3年後に会社を設立したというのが大まかな流れになります。

映像制作を志したきっかけは何だったのでしょうか?

完全に父の影響ですね。父は地元の放送局に勤めていまして、特に報道を担当していたものですから、いつ家に帰ってきて寝ているかも分からないような生活でしたが、そんな父に憧れを覚えたのが原点です。幼稚園ぐらいのときには「将来何になりたい?」と聞かれたら、「ウルトラマンか、TVカメラマン」と答えるようになっていました。

では、片桐社長はカメラマンとしてキャリアを積んでこられたのですか?

それが、就職した会社がカメラマンだからカメラだけ回せればいいというのではなく、ディレクター業務から照明や音声、編集まで全てできるマルチクリエイターであるべきという考え方でした。最初こそカメラのアシスタントとしてスタートしましたが、映像を作るために必要な作業を一通りその会社で経験することができたことで、20代で独立できたのだと思います。

入社前からその方針については聞いていたので、大変厳しいことは覚悟していましたし、実際ほとんど寝る間もないくらい忙しい日々でしたが、幅広くさまざまな業務を経験できたのは非常にありがたかったですね。

もともと、独立志向だったのですね?

そうですね。高校生のときに、映像業界を志すにあたって、30歳で独立、35歳で会社設立、40歳で社屋建設といった目標を立てました。なので、就職するときも「その目標のために独立できるだけの力をいち早く身につけられる会社か」を第一に考えましたね。厳しい環境でも続けられたのは、人より早く成長するためには、寝る時間を削ってでも多くの仕事をするしかないという思いでした。

優れたセンスと発想力のあるスタッフが集まることで、多様な見せ方が可能に

独立したきっかけは何かやりたいことがあったからでしょうか?

厳しくご指導いただいたおかげで、独立してもある程度やっていける自信がついたというのはありましたが、人間的な評価も必要になる状況で自分の力を試してみたくなったというところが大きいですね。ありがたいことに、会社からも快く送り出していただき、退職のあいさつに行った矢先で仕事をいただけたりと、順風にスタートさせることができました。

また、より一層の成長のためには報道の経験を積みたいと考えていたのですが、某放送局の報道番組の契約スタッフとして入らせていただき、報道の経験を積むことができたのは大きかったですね。独立を決意した時、多くの方に反対されましたが、商売人の娘である妻だけは、「いつか挑戦すると思っていたから。」と一言言って、限られた収入から内緒で貯めていてくれた独立資金を黙って手渡してくれました。その瞬間、妻や幼い息子のために死に物狂いで頑張ろうと思いました。

では、会社を設立するに至った経緯を教えてください。

きっかけは、会社員時代の後輩に道で出会ったことでした。「結婚したばかりなんだが、今の会社も辞めざるをえなく、次も決まっておらず、そちらで使ってもらえないか」と言われたんです。私の方もちょうど仕事量が増えていたところだったので、「それなら、やるか」という話になりました。

その後、しばらく手伝ってもらっていたのですが、「今後どうする?」という話になり、「できればこのまま使ってもらいたいのだが、妻に相談したら、『会社じゃないとダメだ」と言われたので、法人化してもらえませんか』と頼まれて、それに応えたというのが、実は会社設立までの流れなんです(笑)

法人化したことによる一番大きなメリットを教えてください

会社組織にしたことで、自分1人では出せるアイデアに限界がありましたが、会社組織にしたことで非常に幅が広がりました。優れたセンスと発想力のあるスタッフが集まることで、会社として多様な見せ方が提供できるようになりました。

逆に、一番大変だったのは何ですか?

やはり資金面ですね。結構な金額になる機材を買いたいと思い、藁にもすがる思いで銀行に融資を頼みにいったことがありましたが、担当から「あなたに貸せるのは50万円ですね。それがあなたの価値」と冷たく突き放され、非常に悔しい思いをしたこともありました。今でもその銀行とは、融資の営業が何回来ても一切取引はしてないですね。

機材は地デジ化のときのHD対応や、4K対応など、いち早く取り入れているため、先行投資は常にしており、大きな経営課題ではあります。だから、社員に対して怒ることは滅多にないのですが、機材を大切に扱ってもらえないと厳しく注意しますね。

すべての社員が一通りなんでもできるマルチなクリエイターに

今現在は、どのような仕事のボリュームが多いのですか?

TVの番組制作がもともとは多かったのですが、企業や自治体などのプロモーションムービーの制作もだいぶ増えてきました。特に、広告代理店を挟むことなく、当社の作品を見た企業から評価いただき直接お声が掛かるケースが増えています。今後は当社からもより積極的に提案する動きを強めて、その割合を増やしていきたいと考えています。

社員の育成方針を教えてください

自分がカメラからディレクター、音声、照明、編集までなんでもやるマルチな映像クリエイターとして育てられたというのもありますが、基本的にはすべての社員が一通りなんでもできるマルチなクリエイターにというのが当社の方針です。外部のスタッフと仕事をしていて、例えば専門のカメラマンは確かに良いカットは撮るんです。しかし、そのカットを作品として生かすための前後の画像がないことがよくあります。

もし、ディレクターの心得や編集マンの心得があれば、そういった前後にも思いをはせてカメラを回せるようになります。すべてのスタッフが良い作品を作るために、必要なことを言わずとも心得て動くためには、関係するあらゆる業務を理解している必要があるというのがその理由です。「AIR JAM」という社名も、同じ空気感でジャムセッションするような集団でありたいという思いで名付けました。

では、ご自身もまだまだ現場の一線でお仕事をされるのですね。

そうですね。マネジメント業にかける割合は徐々に増えていますが、私自身も現場で仕事をしています。しかし、仕事を任せたならば、極力口を挟まないようにしており、「AIR JAM」としての最低限のクオリティをクリアしていれば、「自分だったら〜」とか「〜だと思う」などと言わないように心がけています。

自分の意見を出してしまうと、次第に自分のテイストに似たものしか出てこなくなってしまいますから。スタッフの個性を生かした多様なテイストが出せる会社であたいですし、それが当社の強みにもなっています。

山形という地方に根ざして仕事をして いて、不利に感じる点はありますか?

正直に言って、予算が厳しい案件が非常に多いです。しかしながら、当社では提案の段階でも絵コンテ作成の費用はいただく方針でやってきて、理解も得られるようになってきました。制限も多いですが、その中でいかにアイデアを出して質の高い作品を作れるか、そこにやりがいも感じています。

取材日:8月25日 ライター:高橋 徹

株式会社AIR JAM(エアージャム)

  • 代表者名:片桐 祐介(かたぎり ゆうすけ)
  • 設立年月:2006年4月
  • 資本金:400万円
  • 事業内容:TV番組・TVCM制作、映像コンテンツ企画制作
  • 所在地:〒990-0301 山形県山辺町大字山辺2768−6
  • URL:https://www.airjam.co.jp/
  • お問い合わせ先:上記ホームページの「お問い合わせ」より

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