最終回
まず、書き始めた当時はただのこわいヤンキーあがりのバカなプロデューサーがなんか愚痴を書いているんだと思われていたのです。
プロマネのときに、周りに舐められないように、わざと現場で怒鳴ったり、怖そうに振る舞っていたところもあるので自業自得ですが。
連載開始当時は39歳。やっと売り上げの安定したプロデューサーになったばかりで、チームを持ち、今までのチンピラ感を払拭する必要がある、と感じていました。
だから、コラムを連載することは「俺は馬鹿じゃないんだぞキャンペーン」だったのです。
CMをつくる仕事をしているのに、ひたすら他人から発せられた情報をかき集めて、さも情報通みたいな顔しているやつがいるけれど、それは自分のスタイルではない、とも思っていました。
調子良く、みんなと仲良く適当に生きていけるならこんな苦労はしてない。調子よくできないのだ。
なんか言えばすぐ、広告代理店のなんとかさんがどうしたこうした友達だ、飲みに行った、ゴルフ行った、という話ばかりの先輩も多かったのです。
それが営業ならば必要で大事な行為なんだろうけど、僕はそういう人たちが興味深い仕事をしているのをあまり見た事がない。きっかけでしかないのに本質だと思うのは良くない。
飯食って、仕事ください、って営業している人に、飯食わせてくれたからいい仕事出そうと思う人も少ないでしょ。飯食ってるときに、またゴルフの途中に、自分の話す言葉や話の内容に興味をもってもらい、好きになってもらわないとチャンスはもらえない。
つまり、自分から発する情報や、自分で体験したネタを話して、面白がられたり、企画のネタになったり、企画したり、コピーを書いたり、またプロの企画者の考えることを逆から見たアイデアを出して周りの刺激になる人間でないと、「あの人は面白いから呼ぼう」というふうにはならない。
タダのただ飯を食わせてくれる人になってしまう。悔しいのはただ飯を食わせてくれるだけのプロデューサーでもそこそこ売れたりする事もあるが、そういう人はやっぱりなんか面白い。
僕のコラムなんてタダの思いつきで、場外馬券売り場でモニターを眺めているおっさんの立ち話みたいなもんだと思われたい節もあったんだけど、チンピラ感を払拭するためにはじめた、一見怪しいけど興味深い、というコラムを毎月書くことは実は大変でした。一ヶ月ってすぐ過ぎちゃうんです。
まず、テーマ。何について書くか?つまり企画。一人で企画を立てる。世の中にある気分や面白そうなこと、腹の立つこと、なんでそうなるの?という疑問。そういうのをピックアップする。なんせ、1回目から200回目までは『番長プロデューサーの「世直し」コラム』だったんです。
何だお前、バカじゃねえの?ちゃんとやれよ。 そういうことを書くために、表面だけじゃなく、何でそんなことになったのか?とウラをとる必要がある。片面だけを見て、憤りだけを書くんだったらXに文句を垂れ流してる奴らとなんら変わらない。
物事には必ず表と裏がある。詳しく調べていくと両方に言い分があり長い歴史なんかもあったりする。あれ?なんか思っていたのと違うぞ。 そうか、そうだったんだ。これは書けないな。 ということが頻繁に起きるんです。それが続くとひどい便秘のような気分で、 締め切りが近づいてくると膨満感に苦しみ出す。
このテーマ探しがかなり苦しかった。当初、会社の名前を出して、自分の名前と顔写真を出してわざわざ番長と名乗り、比較的攻撃的な文章を公に出す。この行為はネット社会ではリスキーでもありました。
実際、こんなコラムでもネットのインフルエンサーや芸能人の友達なんかがシェアしてくれたりすると、アクセス数がいきなり跳ね上がります。短時間に10万単位でアクセス増があり、サーバーがパンクしてシステムダウンしたことが2回あります。幸い、内容は過激なことじゃなかったから大事には至らなかったけど、そういう時は恐怖を感じることもあるもんです。
世の中にはいろんな考え方の人間がいて、僕が書いていることが本気で気に入らない人もいる。
編集部には、いい読者が優しい感想や応援のメールを送ってくれるケースもたまにあったけど、僕のfacebookのメッセンジャーなどには脅迫文が送られてきたことも何度もある。無視ですが。
全然知らない人から、「考え方はわからないでもないが偉そうなお前の言い方がムカつく。」とか、「会って話がしたいからちょっと時間をつくれ。わからせてやる。」とか、いろいろ来ました。
だから、結局チンピラの立ち話になるところを、表現をやたら気にして弱腰になった時期もあります。
そうすると、今度は過激なコラムを期待している層から、ヤワだ、とか、戦ってない、とかの非難が来る。どうしちゃったんですか?と。
無料で読んでるくせに勝手なことばっかりみんな言う。俺、こんな、コラム如きでこんな目に遭うんだから、小説書いてる作家さんや常に批評にさらされている映画の監督さんなんかはどんな目にあっているんだろうか?と思いました。
まあそれでも、初期は嫌になって辞める気は無かった。
先にも言ったけど、ただ垂れ流された情報を受け取るだけの人間や、人の噂話ばっかりする人間がCMプロデューサーなんかやっちゃだめだからだ。縦横斜めと交差する情報が集まるところにいる仕事をしていて、企業秘密もたくさんあるけど、そこで興味深い人間たちを束ねて暮らしているんだから、面白い話がないなんてことはないのです。オリジナルの話をもってこい。
誰かがインチキな商売だと言ったCMのプロデューサー業が本当にそう見えているなら、判断の基準が、作る側の気分と、金を払う側の理屈と、普通に生活している視聴者側の現実と、難しく考えないレベルでプロデューサーがバランスを取れていなければならないと思ったのです。つまり、考えが浅く、作るという行為をやろうとしないで金の計算だけをする役割なのが嫌だったんです。
だから文章を書いて出す、という方法でモノを作る側に立って産みの苦しみを味わっていくのはいい機会でした。またそうするためには、当然、知識や情報を仕入れる必要があったため、興味のあるなしに関わらず、本や漫画を大量に読むことになったし、映画やドラマ、海外のCM、音楽、美術、法律などの知識を仕入れることになる。
増えた知識や見識は、確実に仕事にフィードバックされていっていい循環を生みました。CMプロデューサーはCM制作のホスピタリティと知識を持ったコンシェルジュでなければならない。自分の考えたことを自分の言葉で話して興味深くないと、CMも企画も、打ち合わせでの発言も、態度も金の使い方も説得力がないだろう。
書いていく事で、あえて標榜した自分の人格を元に仕事の時に立ち向かういろんな問題への対処や判断の基準にして、その判断は、部下、スタッフへの接し方までもが、昔風に言うと「男らしいのか?」「デカいのか?」「卑怯者の判断じゃないよな?」という事を確認しながら生きていかなきゃ僕には意味がない。
コラムを毎月書いて、不特定多数の読者にその考え方をさらす、という緊張感のおかげで自分と向き合うこともできたし、何が言いたくて何がしたいのかの自分の輪郭も見えてきたような気もする。
そこには、その場を与えてくれた人たち、僕を見つけて引っ張り出してくれた人たちにはものすごく感謝しています。
このコラムを読んで、新聞社の方から原稿執筆の依頼をいただいたり、インタビューの依頼があったり、そういうこともありました。それを読んで一番喜んだのは田舎の両親でした。東京で何をしてるかよくわからない迷惑な息子の現状が理解できたんだと思います。作ったCMについて業界誌の取材を受けたことは何度かありましたし、必ずそんな雑誌は田舎に送ってはいたんですが、新聞の力は田舎の年寄りにはいまだ絶大だったのです。
18年です。どこかで生まれた子が高校3年生になるまでの時間、毎月このくだらないコラムを書かせていただいたことになる。ありがとうございました。 そんなこんなで、18年もやっていると、時代が変化していき、表現についても、言い回しも、世直しというタイトルについてもあまり好ましくないみたいな空気になっていきました。
コンプライアンス。独り身の時はそれでもよかったけど、子供ができたりして危険度も上がり、環境も大きく変わった。ちょっとした言い回しに、前後をちゃんと理解しないでヒステリックに怒る人も増えてきたし、脅迫されて、来るなら来いとにたっと笑っていられる状況ではなくなった。
実は200回書いた時点で、キリがいいのでもう辞めさせてほしいと編集部に申し入れたんです。書くことももうないし、コンプライアンスもうるさい。所属会社の広報も炎上を嫌って目を光らせている。シラける、と。何より自分の身と家族の危険を感じる時がある。
編集者は笑って、ダメですよ、辞めてもらったら困ります。アクセス稼ぎはまだ一番なんですから、と。気楽に言うなよ。ツラも身分も所属も晒して、なんかあなたも書いてみたらわかるよ、と。
そこで、半年休養をもらって構想を練り直し、今まで企画から執筆まで一人でやっていたことを、編集者と打ち合わせて何を書くか決める、という事にしてもらいました。 タイトルもテーマも刷新して、写真もプロのカメラマンで撮り直してもらい、ビジュアルも新しくしてはじまったのが、「子連れ番長のCMプロデューサーコラム」でした。加えて「刮目相待」というサブタイトルを捻り出した。
「刮目相待」とは、目をこすってよく見、今までとは違った視点で相手の成長や変化を認めること、という意味です。この時期にはもう、あまり面白いことは書けませんでしたが。
いろんな批判的なご意見もたくさんいただきましたが、肯定的な反応もたくさんありました。
やっぱり一番嬉しかったのは就職活動をする学生さんが入社試験の面接を受けに来る時に、
たまたま面接官の僕が名乗ると、
「え?もしかしてコラムの方ですか?就職活動でプロダクションやプロダクションマネージャーについて調べるときに、ずいぶん参考にさせていただきました。やってみたい仕事だと思いました。」という人が毎年結構いてくれてました。
また、たまにファンレターが来て、
「明日大事な撮影で不安だらけの中、夜中に眠れなくて、櫻木さんのコラムを読んで勇気が出て
撮影に行くぞ!という気分にしてもらえました。」という若いプロデューサーの意見もありました。
そうなって欲しくて書いていたので心底嬉しかった思い出です。
他のプロダクションで「新人研修のテキストで使わせていただいています。一応、今度飲みに連れてくから許可をください。」という連絡をもらった時は、飲みはいいからお金払ってくださいね、と思いましたが、そこの社長はいまだに飲みにも飯にも連れてってくれません。
そんなこんなで少しでも何かのお役に立てたならやった甲斐がありました。
読んでいただいた皆さんもありがとうございました。
これからは、少しお休みして、もうこのサイトには書けませんが、別の場所で、引退までの間に、CMプロダクションのあり方やプロダクションマネージャーがどういう考えでやったら上手く行くか、若いプロデューサーの仕事の獲得の仕方、逃げ出したくなった時の精神の置き方、などを、ちゃんとワークフローの順番に並べて不真面目な感じで書き残していこうと思います。
僕の故郷の佐賀県に武士の生き方の指南書「葉隠」というものがありますが、CMプロダクションの葉隠を書き残せればいいかなあと思っています。そのために今現場でプロダクションマネージャーを頑張っているいろんな若者と膝を割って話す必要を感じています。
ここのサイトのコラムは数ヶ月したら消えてなくなりますが、権利は全部引き取ったので、バックナンバーの中で評判の良かった回はまた新しいサイトに少し書き直して残します。
どこに発表するか決まったら引っ越し先を何らかの形でお知らせします。
長い間ありがとうございました。
と書くと全部引退するみたいですが、幸いなことにCMプロデューサーとしてはまだ依頼もありますし、もう少し活動するつもりでいますし、見渡すと最年長なんですが、やってることは全然変わらないのでご安心ください。いつまでできるのかの勝負をしてるところでもあります。
長い間、この拙い文章を読んでいただいてありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
CMプロデューサー
櫻木 光







