「50年前の探し物」
後輩に貸す約束をした本を探すのだけど、見つかりません。事務所の本棚と本を積み上げたタワー(※写真①②)と自分の部屋の本箱とを隅々まで探しても見つかりません。30分経過、見つけにくいものではないはずなのに出てきません。井上陽水のあの曲が頭の中でグルグルし始めたので一旦あきらめて水分補給。今日は起きてすぐも眼鏡が見つからず10分近く部屋中をさまよいました。眼鏡は毎日どこかで探していますね。GPSを付けたいくらいです。

写真①②
みんなも同じなのでしょうか。気になったので調べてみると(諸説ありますが、文具メーカーのコクヨさんが2022年に行ったアンケートによれば)人は年間54時間、探し物をしているのだそうです。日本人の平均寿命は約84歳なので、単純計算だと一生のうち4,536時間が探し物の時間。キザに言うと人生は自分探しの旅なので死ぬまでに何かを見つけられたらラッキーなのかもしれませんが、それにしても今日もまた見つかりません。
仕方ないので禁断の扉である押し入れのドアを開けて乱雑に置かれた40箱のダンボールの中(※写真③)から「本等」と書かれた1箱の封を切ると、その中に見慣れない古い1冊のノートがありました。表紙には「ぼくの一人旅 門田陽」と鉛筆で書いてあります(※写真④)。
写真③
写真④
読みました。小学校6年生の冬休みにどうやら僕は一人で山口県光市の従兄弟の家に遊びに行って、そのときのことが日記形式で綴られています(1974年12月30日~1975年1月6日)。読んでいくと所々漢字の間違いを赤で直されています(※写真⑤)。宿題で提出したようです。それにしても小学6年生にしては平仮名が多く拙い文章でほんとに僕が書いたのでしょうか。情けない。
写真⑤
今から50年前の事です。僕の記憶とだいぶ違います。山口の従兄弟の家に行ったのは夏休みだと思っていました。そもそも年末年始の丸々一週間、なぜ一人で行ったのでしょう?どこにも何も書いていません。そしてもう一つ読んで不思議だったのは1頁目に書かれた地図(※写真⑥)。
写真⑥
そこにはこの旅の予定が記されているのですが、元々は光市の従兄弟の家から大分の叔母の家と大分の祖父母の家を訪ねるはずが行っていません。そのことは元日(1月1日)に記されていました(※写真⑦)。「今日は9時ごろに起きた あいにく外は雨だった 戸畑に来たし(※戸畑は従弟たちの仲良しの家)光は楽しいし、大分いきはとりやめにした」とあります。おいおい50年前のオレ、何やってんだよ!大分ではきっと祖父母が孫が来るのを楽しみにしていたでしょうし、お年玉も用意していたはずです。それをその場の気まぐれというか、雨でおっくうになって行かないなんて、ダメダメです。今の僕とそっくりの行き当たりばったりの生き方。途中まで疑っていましたが、これは僕が書いたようです。
写真⑦
帰省の時期、行きの博多駅は相当混んでいた模様です(※写真⑧)。「きのうの鹿児島本線の事故で列車がひじょうにおくれているらしい いくらまっても列車はこない ふと横を見るとこうしゅう電話の前に長い列ができていた 長くまってきついのだろう その列の中で赤んぼが泣き出してしまった するとその後ろにいた外国人がポケットからひょいと細長い風船を取り出すと見る見る間にワンちゃんを作ってしまった これを泣いていた子に渡すとたちまち泣きやんでしまった (オーワンダフル)。この最後のくだらないダジャレが言いたいだけで書いた文章。これは僕が書いたもので疑いないようです。
写真⑧
さらに読み進めると旅の初日の乗り換え駅(徳山駅)で親戚の電話番号を書いた大事なノートをなくし、1月2日に行った初詣でひいたおみくじもどこかに落としてしまっています(※写真⑨)。あ~、もうこれは100%間違いなく僕が書いたものです。そして旅の最後は僕のカン違いで駅まで迎えにきた母と合流できずにそのまま帰宅してしまい、「家に帰るとさんざんにおこられた いやな幕切れであった」と書き終えています。そういえばあの頃の通知表の所見欄には「思い込みがはげしく、おっちょこちょいな所があるので、すぐに行動する前に考えましょう」と毎年毎年書かれていました。あれから半世紀。今、身に染みて感じています。
写真⑨
ところで、今回でこのコラム「とりとめないわ」は120回目。月一だから丸10年続いています。誰も言ってくれないので自分で言いましたという話はまたの機会に。

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