映画ソムリエ/東 紗友美の“もう試写った!” 第64回『はじまりのさよなら』
『はじまりのさよなら』
▶かつての自分と、もう一度出会いたい人におすすめ
映像美や音楽にも心打たれる、繊細な青春映画度100

人は行き詰まると、何かの美しさを、ひとつの角度からしか見られなくなってしまうことがある。
けれど、見方が変われば、世界は少し違って見える。これまで失ったと思っていたものの中にさえ、新しい美しさを見つけられるかもしれない。
『はじまりのさよなら』は、そんな小さな希望を、音楽と風景、そして人との出会いを通して描く青春映画だ。
音楽教室を営む目の見えない母・花江(板谷由夏)のもとで、音楽とともに育った少年・長沢樹太(大倉琉人)。美しい歌声を持つ彼は、変声期を迎えたことで、自分の声だけでなく、当たり前だった日常や大切な人との関係にも変化を感じ始める。幼い頃から一緒に過ごしてきた親友・大也(原田琥之佑)への言葉にできない恋心、母との暮らしに抱く複雑な思い。揺れ動く心を抱えた樹太は、やがて、会ったことのない父を訪ねて東京へ向かい、そこで舞奈(久保田紗友)と出会う。

変わっていく自分をどう受け止めるのか。大切な人との関係が変わるとき、人は何を手放し、何を見つけるのか。
本作の魅力のひとつは、三つの章を通して、少年の心の変化を風景や空気感とともに映し出していく構成にある。
尾道を舞台にした前半は、光の柔らかさや海の気配まで伝わってくるよう。どこか『君の名前で僕を呼んで』(2018)を思わせる、繊細で瑞々しい空気が漂う。髪を明るく染めるという小さな行動にも、何かを変えたい少年の期待が滲む。まだ自分の気持ちをうまく扱えない彼を、町の穏やかな時間がそっと包み込んでいるようだった。

そこから都市へと舞台が移ると、映画の呼吸も変わる。人の声、ネオン、行き交う人々。
それぞれが自分の言葉で生きている街の喧騒は、尾道の海や風とは対照的だ。それでも、どちらの風景にも確かな生活の匂いがある。人が暮らす場所には、その場所ならではの体温が宿っているのだと感じた。
印象的なのは、物語の中で交わされる何気ない会話だ。
「いつまでも親にこだわって、反抗とかダサイですよね」
「うーん、でもそれって普通じゃない?」
正論で導くわけでも、無理に励ますわけでもない。ただ、その気持ちを「普通」と受け止めてくれる人がいる。答えを急がず、相手の心が動き出すのを待つ。そんな距離感に、私はとても惹かれた。
誰かを好きになることも、家族との関係に悩むことも、自分が自分でなくなってしまうように感じることも。成長の途中にある心は、いつだって矛盾していて、簡単には整理できない。樹太が抱える思いも、特別な誰かだけのものではないはずだ。だからこそ、彼の戸惑いを見つめているうちに、自分の中にしまっていた青い春の記憶まで呼び起こされていく。

そして、私がとりわけ心を動かされたのが、音楽と「虹」のイメージが重なる瞬間だった。
虹は、澄み渡った空に架かるものだと思いがちだ。けれど本作は、とある少し違う場所にも虹が生まれることを教えてくれる。
その意外な場所が、光が、つくり出す虹。
その光に手を伸ばす樹太の姿が、もうとっても美しい。
美しさは、最初からひとつの形に決まっているわけではない。
誰かにとっての美しい声も、ある時期には失われてしまうかもしれない。でも、それは美しさそのものが消えてしまうことと同じではないのだ。
また、樹太の胸の内にある恋心が、物語の中で大げさに説明されることなく、ひとりの少年の切実な思いとして描かれていることにも心を留めたい。虹は多様性や自分らしさを象徴するものとしても知られている。だからこそ、この物語の中で虹が広がることに、私は静かな意味を感じた。
もちろん、虹にはさまざまな意味がある。だからこそ、ひとつの解釈に閉じ込めず、観る人それぞれの思いを受け止める余白があるのだと思う。

本作は、murffin discsが設立20周年という節目に挑んだ初のオリジナル長編映画でもある。SUPER BEAVERの柳沢亮太が初めて映画音楽を手がけ、sumikaが主題歌を書き下ろした。
音楽を通して数々の物語を届けてきたレーベルが、今度は映画という表現で、変化の中にいる人の心を描こうとしたことも興味深い。音楽が感情を彩るだけでなく、言葉にならない思いを受け止める存在として響いてくる。
そして、樹太の周囲にいる大人たちも忘れがたい。彼の人生を代わりに決めることはしない。
それでも、必要なときには手を離さずにいてくれる。誰かを支えるとは、正しい答えを教えることだけではないのだろう。本人が自分の足で歩き出せるよう、そばにいること。
私も、そんな大人でありたいと思った。
かつては眩しく見えたものが、いつか自分の手の届くところにあるかもしれない。今は失ったように感じるものも、別の形で自分を支えてくれるかもしれない。

「きっと明日はいい天気」
この言葉は、物語の中の少年だけでなく、今まさに何かの変化に戸惑っている私たちにも向けられた、ささやかな祝福のように響き、そして残っていく。
さよならは、必ずしも終わりだけを意味しない。ある自分との別れが、新しい自分の始まりになることもある。
観終えたあと、いつもの景色の中にも、自分だけの虹を見つけられる気がした。
『はじまりのさよなら』
2026年11月20日(金)kino cinéma 新宿ほか全国ロードショー

【出演】
大倉琉人/久保田紗友 原田琥之佑/坂槇莉緒 梅山恋和 芹澤雛梨
渋谷龍太(SUPER BEAVER) 藤原”36 才”広明(SUPER BEAVER) 小川貴之(sumika)
はっとり(マカロニえんぴつ) タカハシマイ(Czecho No Republic) 木村浩大(SAKANAMON)
笠原秀幸 深水元基/板谷由夏
【監督】隈本遼平 【脚本】灯敦生
【音楽】柳沢亮太(SUPER BEAVER) 河野圭
【主題歌】sumika「はじまりのさよなら」(Sony Music Labels)
【宣伝配給】TO ブックス 【制作プロダクション】AOI Pro. 【製作】映画「はじまりのさよなら」製作委員会
【コピーライト】©︎2026 映画「はじまりのさよなら」製作委員会
【Web・SNS】
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